4月に引っ越しました。去年から改修してもらっていた古いお家へ。
人生初の一軒家暮らし、憧れの縁側生活の夢がかない、日々を満喫しています。
庭を眺めながらここに屋台か舞台があってもいいなぁと思い始めました。
そういえば「庭訓往来(ていきんおうらい)」という書があったな…
室町時代に庭の教え(家庭教育)について、文通形式(往来=みち、行き来するもの、手紙)で、
僧侶によって書かれたと言われる寺子屋の教科書らしい。
(「庭訓」は『論語』で孔子が庭で息子を呼びとめて教えた故事からきているそうな)
ほほう…
(聞き覚えのある単語が頻出するな…)
ステイホームなどと叫ばれ、ひきこもることが主流になった現在。
外に頼りすぎず、形に惑わされず、今いる場所、自分が立っている地点、ホーム、家庭、庭での学び、個人(学ぶ側、自分主体)の即席即座(=最近は「ペヤング」と呼んでいるもの)の学びの大切さが再認識、再開発されていきそうです。
道でも辻でもおっけー👌
坪内逍遥の「家庭用児童劇」という本には家でこどもがやるための劇の台本、お面の型紙が載っています。
(「逍遥」は荘子の第一章「逍遥遊」を思い出すことばですね。ふらりん!)
非常にかわいい装丁!
「童話、童話術、童話劇は、主として子供その人のためのものである。〈中略〉第一義的の童話や童話劇は、あくまでも子供その人のために作られ、否、むしろ子供その人もしくは子供そのひとと同化し得る人びとによって作られ、もしくは話され、演ぜられるたぐいの物でありたい。「子供の頭から」「子供自らによって」「子供自身のために」「子供に関した題材」なぞということが始終考えられてありたい。」
…うんうん。
「私のいわゆる家庭的子供劇の主眼は芸術的本能を善導して子どもの心性をまんべんなく多方面に、自然にかつ円満に啓発し、撫育し、陶冶しようという点にあるのです。で、干渉の反対の自由ということ、注入の反対の自発ということ、命ぜられてするのでなく、自分で好んでするということなどが要義になるのです。」
…それな!
「広く民衆間に向かっては、彼のページェント(公共劇)―すなわち民衆のための民衆自身の劇―の創始と興隆を望んだと同時に、各家庭に向かっては、子どものための子供自身の劇の創始されんことを希望し〈中略〉ページェントと家庭用の子供劇とは、私の目的からいうと、その帰着するところがひとつで、共に人間の芸術的本能を利用して、それによって広い、大きな意味での心性陶冶に資益しようとする教育運動だといってよい」
子供=民衆。
自分たちでする自分たちのための劇!
「家庭用」ということばに、今深く共感する。外注の商品ではない、自家発電的なまなび(あそび)とそれにともなう適度な教え(みちびき)。
「はたから強いて教えて真に迫らせようとしたりするのは禁物である。要するに、及ぶべきだけウブでありたい。」
そう! ウブ! ズブ!
5月1日にずぶの学校は6周年を迎えました。
ともだちと記念のおまつりをしたいなぁと話していると、
そういえば昔(4年前)ずぶの学校で手作りしている同人誌『和亀(わかめ)』に寄稿した物語に「いんとんライブ」というのがあったことを教えてもらい(自分が書いたのですが忘れていました)
読み返してみると……
なんともう庭でライブをしているではありませんか!
(くまちゃんが山のいおりに隠遁しながら、通りすがりのお客さんをもてなしつつライブをするおはなし)
それや! ってことでオンラインで人形劇動画をつくろう。家で。庭で。
作りました❣ 屋根裏の梁を舞台にしてみました。
やかまし みさき
1986年大阪生まれ。中・高国語教師をしながら15年にゆるいまなびや「ずぶの学校」を開校し、校長に就任。現在古家、古着、古本など古いものの循環、再利用、リメイクを模索中。
昨年5月20日に亡くなった大叔父さんは、先生であり僧侶であり全国童話人協会顧問でもあったそうです。リスペクトの意を表して本日本誌を発行しました。
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