もやもやずぶちゃん

旧ずぶ邸あるじのイントンコントン日記

旧ずぶ邸あるじの

ゆめうつつ、半信半疑の

いんとんこんとんらいふ

なんクルクルないさぁ~♪

荊門、龍泉公園へ🐉【後篇】

さて、中国は武漢より

高速鉄道で2~3時間ほどのところにある

荊門(けいもん・ジンメン)の「龍泉公園」

ぶらり散歩【後篇】です。

 

【前篇】はこちら

zubunogakkou.hatenablog.com


f:id:zubunogakkou:20250625164543j:image

 

奥深し!「龍泉公園」

犬のような、きつねのような狛犬

 

f:id:zubunogakkou:20250625164621j:image

 

奥に鎮座しているのが

かの陸象山(九淵)のようです。

 

ちょうど今年(2025年)の一月に

論文的な文章を書いている中で

実は少し調べていた人物。

(このときまですっかり忘れていましたが)

 

私が好きな王陽明

心学の元になったひとでした。


f:id:zubunogakkou:20250625164616j:image

 

威厳におののきつつ、遠巻きに鑑賞。


f:id:zubunogakkou:20250625164648j:image
f:id:zubunogakkou:20250625164532j:image

 

王陽明もいました!


f:id:zubunogakkou:20250625164626j:image
f:id:zubunogakkou:20250625164547j:image
f:id:zubunogakkou:20250625164609j:image
f:id:zubunogakkou:20250625164537j:image
f:id:zubunogakkou:20250625164640j:image
f:id:zubunogakkou:20250625164603j:image

くま??


f:id:zubunogakkou:20250625164553j:image

f:id:zubunogakkou:20250625164631j:image
f:id:zubunogakkou:20250625164637j:image

聖教直承学追孔孟徳風遠

吾心天予政並柳韓遺澤長

かな?

 

これは「孔孟」(孔子孟子)と対で

「柳韓」なので、柳宗元と韓愈ではないかと思い、撮影しました。

大学時代「韓愈」の文学を研究しておりました。

 

長らく、そのことが解せなかった(認めがたかった)のですが

去年ウーリーさんに出会ったり

なんやかんやしてだんだん

納得(サレンダー)してきての今。

ようやく、ここまでたどりつきました。


f:id:zubunogakkou:20250625164523j:image

朱熹(しゅき)と論争したと有名な

「鵝湖(がこ)の会」ごっこができるスペース。


f:id:zubunogakkou:20250625164558j:image

バルコニーかわゆい💕

 

f:id:zubunogakkou:20250625172633j:image
f:id:zubunogakkou:20250625172628j:image

 

出ました!

私の大好きなことばです!

 

宇宙 すなわち わが心

わが心 すなわち 宇宙

 

儒教も心学的になってくると

精神性というか、スピリチュアル度が高まって

より本質的に

宇宙の真理になっていく。

 

四方上下を「宇」といい

往古来今を「宙」という

 

空間=「宇」 時間=「宙」

宇宙とは「時空」のことなのだ~

時空は、わが心が生み出すのだ。

 

自己責任!

(と言いすぎるとしんどくなるから

仏教的「縁起」の考えも同じぐらい持ちつつ)

 

そしてわたしは

「こころ」から「ことば」が

生まれてほしいのである。

 

陸九淵の心学思想①

「大做一个人」

ビッグな人間になる。

自分のエネルギーを最大限発揮し

価値を感じられる自己実現の人生めざす。

 

f:id:zubunogakkou:20250625172618j:image

 

陸九淵の心学思想②

「自作主宰」

自分が人生の創造主であるという

主体責任意識を持つ。

外的な権威に盲目的に従うのではなく

自分の本心にしたがって判断、実践する。


f:id:zubunogakkou:20250625172612j:image

 

陸九淵の心学思想③

「発明本心」

わがこころが「自発」し

それを「自覚」し

「自為」(行動・実践)への順番で。

 

内側から湧き出し、満ちれば

外へあふれだしていく。

 

f:id:zubunogakkou:20250625172547j:image

 

陸九淵の心学まとめ

心即理

朱熹の「性即理」に対して

心即理」を唱えたと言われるね。

 

心学の核心部分はシュタイナーにも通ずる

と思うしたくさん共感するのであります。

マッチョっぽいとこが玉に傷なんだが。

(神格化され、教育に利用されたがゆえなのかもしれません…)


f:id:zubunogakkou:20250625172542j:image

 

ああ、窓や扉がかわゆい…


f:id:zubunogakkou:20250625172602j:image
f:id:zubunogakkou:20250625172459j:image
f:id:zubunogakkou:20250625172452j:image
f:id:zubunogakkou:20250625172456j:image

 

バナナのトンネルを抜けたら

あじさい畑でした。(咲いてた!)


f:id:zubunogakkou:20250625172651j:image
f:id:zubunogakkou:20250625172447j:image
f:id:zubunogakkou:20250625172639j:image

 

ウーリーさんが幼いころ通っていた絵画教室、

アトリエがここにあったそうです。

そんなおとぎ話?!

現在は、「九淵ブックバー」になっている。


f:id:zubunogakkou:20250625172557j:image

それな!

 

そして公園の近くのおしゃれな喫茶で

まったりおしゃべりしました~

 

金のハートスプーン

f:id:zubunogakkou:20250625172645j:image

 

中もおしゃれだったがテラスで
f:id:zubunogakkou:20250625172510j:image

 

犬もいるし
f:id:zubunogakkou:20250625172504j:image

 

あじさいも咲いてるし
f:id:zubunogakkou:20250625172523j:image

 

ウーリーさんの手紙を読んで

龍泉公園に来たいなと思っていたけど

まさか心学の祖が祀られているなんて

知らずに来たのでおどろきました。

 

宇宙便是吾心
吾心便是宇宙

 

泉水奔涌的書院
至今不断涌现出

 

何百年も前から今に至るまで

こんこんと

ウーリーさんのようなひとを

湧きだしつづけている泉のある学びの場。

 

願わくば学校は

内側からやる気がみなぎるような

かわいいパワースポットであってほしいな

とあらためてひしひしするのでありました💕

 

 

f:id:zubunogakkou:20250625233414j:image

船のようになってた!ウーリーさん撮影

荊門、龍泉公園へ🐉【前篇】

2024年の5月に「好運龍来ぞろぞろぞろ」と

突然ずぶ邸にやってきたウーリーさん。

そのおはなしは「ずぶぬれvol.17」に書きました🐉

 

今回の旅は、ウーリーさんにも寄稿してもらった

10周年の記念冊子「走馬灯」を手渡さんがため。

 

表紙絵はウーリーさん

 

いちばん行ってみたかったのは

彼女との手紙のやりとりで気になっていた

ふるさとのお庭

中国は荊門(けいもん・ジンメン)にある「龍泉公園」

 

2025年の端午(たんご)の節句

ドラゴンボートフェスティバルのころに

なんと!訪れることができました✨

 

f:id:zubunogakkou:20250625134625j:image

 

湖北省武漢(ぶかん・ウーハン)を中心とした地域は

古くより「荊楚(けいそ)の地」

と言われています。

 

中国古代の詩集『楚辞(そじ)』の

代表的な作者である屈原(くつげん)が誕生し

国を憂えて川に身を投じた地でもあります。

 

ドラゴンボートフェスティバルは

その屈原の命日のおまつりで

川にちまきを投げます。

 

その風習が平安時代に日本にも伝わり

端午の節句ちまきを食べるそうです。

 

あいにくの雨模様ではありますが

ちょうど大雨は上がり

これはこれでしっとりして

なかなかあはれな公園散歩日和かも。


f:id:zubunogakkou:20250625134721j:image

 

いきなり儒教の大家

陸九淵(りくきゅうえん)がお出迎えしてくれました🌟

 

ギャラリーのような丸い建物に入ってみました。


f:id:zubunogakkou:20250625134726j:image
f:id:zubunogakkou:20250625134635j:image
f:id:zubunogakkou:20250625134655j:image
f:id:zubunogakkou:20250625134700j:image

f:id:zubunogakkou:20250625134730j:image

 

武漢といえばコロナウィルスが記憶に新しいですが

(それしか知らなかった💦)

辛亥(しんがい)革命の発端もここ武漢の地域だそうです。

 

時代の変化のさきがけとなりがちな

先端的な地なのですね。


f:id:zubunogakkou:20250625134640j:image

f:id:zubunogakkou:20250625134707j:image
f:id:zubunogakkou:20250625134630j:image
f:id:zubunogakkou:20250625134715j:image

 

公園や町のいたるところに掲げられている

社会主義核心価値観」

日本にはない風景。

学校っぽい。ちょっとこわい。

 

f:id:zubunogakkou:20250625135309j:image

 

橋や壁、塀、屋根、柱、入口

至るところの曲線、まるみがかわいい。

チャイニーズ感じる。

龍みたい!


f:id:zubunogakkou:20250625135227j:image

 

文明湖という湖もあります。

小山もあります。


f:id:zubunogakkou:20250625135241j:image

 

夾竹桃の季節🌸


f:id:zubunogakkou:20250625135223j:image
f:id:zubunogakkou:20250625135146j:image

そしてなんと、、

ウーリーさんの通った高校が公園の中に出現!
f:id:zubunogakkou:20250625135231j:image
f:id:zubunogakkou:20250625135151j:image

湖のほとりにあります。
f:id:zubunogakkou:20250625135213j:image
f:id:zubunogakkou:20250625135208j:image
f:id:zubunogakkou:20250625135250j:image
f:id:zubunogakkou:20250625135155j:image
f:id:zubunogakkou:20250625135317j:image

 

およそ300年ほど前からつづく

「龍泉書院」が高校の母体。


f:id:zubunogakkou:20250625135218j:image
f:id:zubunogakkou:20250625135255j:image
f:id:zubunogakkou:20250625135235j:image

かわいすぎる楼閣あらわる。

「躍淵閣」…?


f:id:zubunogakkou:20250625135246j:image
f:id:zubunogakkou:20250625135259j:image
f:id:zubunogakkou:20250625135159j:image

 

石碑!!これが銘ってやつかなぁ。


f:id:zubunogakkou:20250625135304j:image

そしてさらに

 

おどろくなかれ!

泉が今も湧いている!!

 

f:id:zubunogakkou:20250625152427j:image

 

「龍泉」ここが公園のメインシンボルだね!

(中国ってここは何と漢字で大きく

書いといてくれるからわかりやすい)


f:id:zubunogakkou:20250625152337j:image
f:id:zubunogakkou:20250625152359j:image
f:id:zubunogakkou:20250625152351j:image

 

「蒙泉」

うまく泉の全貌が撮れない

(撮影はおとものサヤカさんにほぼ任せております)


f:id:zubunogakkou:20250625152422j:image
f:id:zubunogakkou:20250625152413j:image
f:id:zubunogakkou:20250625152404j:image
f:id:zubunogakkou:20250625152418j:image

「恵泉」
f:id:zubunogakkou:20250625152356j:image
f:id:zubunogakkou:20250625152431j:image
f:id:zubunogakkou:20250625152408j:image

f:id:zubunogakkou:20250625152333j:image

フェンスがないのが外国っぽい…

 

300年ほどの歴史を大切にし

建物や自然が残っている広々とした庭つきの学校。

 

日本ではあまり見受けられないが

「学問」の権威が日本より高いのかもしれない。

儒教、そして朱子学科挙など

歴史の面影を感じます。

 

陸象山(九淵)は1139-1192のひとだし

屈原なんて、紀元前250年頃のひと・・・

 

やはり中華・・・

儒教的素養、修養を土台とした

漢字文化の偉大さを感じるとともに

自分の魂のふるさとを感じました。

 

これが公園、これが学校…!!

 

つづく…

zubunogakkou.hatenablog.com

 

小冊子はこちらからご購入いただけます。

www.zubunogakkou.com

「新しき村」のこと🍙

東京での人形生活の休日に

新しき村」に行ってきました。

 

新しき村」のことはひとからきいて

前々から気にはなっていたのですが

この本を古本屋さんで見つけ

 

武者小路実篤新しき村の誕生と生長』

 

春の草花が咲いているころに

行くイメージがわきました。

それが叶いました🎵

 

note.com

 

この本の中から一節引用します。

(表記を多少変えています)

 

生まれた以上は

 

 

人々はあまりに

意気地なく生きる、

日光と、清鮮な空気を要求せずに、

そして歓喜を要求せずに。

彼らは快楽を求める、

しかし深い歓喜は求めない。

生きがいは求めない。

ただ平凡に、生きることをもって満足する。

そして与えられたるもので満足する。

しかし自分たちはそれでは満足ができない。

自分たちは、

この世に生まれた以上は、

与えられるものだけでは満足ができない。

何かしなければ、

日本に生まれたことを、

この地球に生まれたことを、

一人でも多くに喜んでもらわなければ、

我慢ができない。

生きたということが、

何か意味されなければならない。

自分達の歩いた足跡は、

未知の友を勇気づけ、励まし、

より正しきものに憧れさせないでは、

我慢ができない。

 

(中略)

 

友達よ。

仲間よ、

信じるものよ。

ともに真心からおどれるものよ、

何か、よろこびをこの世に生もうではないか。

人間は喜べる動物だ、

死に勝つ動物だということも、

でき得べくは自分たちで知ろうではないか。

愛は我らを一緒にし、

そこに喜びを生み、

生きがいを生み、

子孫の生命に希望を与えるだろう。

できないことか、

できないことか、

そうは思わない。

 

俺たちは強いられれて

戦争にゆくことを恥じようじゃないか。

他人に強いられることを恥じようじゃないか。

 

俺たちは生きるためには

恥でも忍ぶ、

しかしあわよくば、

恥を忍ばないでよそうではないか。

 

我らは強いられた労働を恥じようではないか。

我らは労働を金で売ることを恥じようではないか。

生きるためにはやむを得なければ、

よろこんで働くとしても、

機会があったら強いられない

労働をしようではないか。

 

そしてその上に、

何かの目標を持とうではないか。

人類の喜び、

人類の愛を目ざます仕事、

そういう仕事を目標にしようではないか。

小さい木が天を目がけて生長するように。

もとより足元は忘れずに、

自分達の本職を忘れずに。

 

少なくもそういう人間が、

少しはいてくれなければ、

心細いと思うものは、

自らそういう人間になろうとしようじゃないか。

何もそのために筆をとる必要はない。

真心で真心を動かせばいい。

 

 

「労働廃絶論」「限界芸術」

また「所有」について考えをめぐらし実験する中で

武者小路実篤を理想郷のこころみである

新しき村」が現在もなお存在することに

わくわくしたのでした。

 

岡本太郎や各種学者さんたちも

この「新しき村」には

関心を持っていたらしいです。

 

宮沢賢治

「農民藝術概論綱要」にも

通ずるところがある気がします。

 

日常的に創作や発表ができる

小さな表現による交流の場が

経済中心に陥らずして

しかし採算度外視というわけでもなく

生活の中で自然にぐるぐると

循環しつづけるような

そういう持続可能な理想郷状態を

保ちつづけられたらいいなと妄想しています。

 

土間ギャラリー「ほそ道」として

これから少しずつ企画、

おーぷんしていきたいなと

考えています。

 

 

細道にて🥒

旧ずぶ邸あるじ

かましです。

 

東京での人形生活を終え

ずぶの学校10周年のおまつりを終え

今年の仕事はこれで終わりかな?

と感じている今です(´・ω`・)エッ?

 

現在(5月)は

ギャラリー展示をしています。

 

「ギャラリー土間」

から名前を変え

 

「ギャラリー細道」

(ギャラリーほそみち、ほそ道?)

 

としようかと考えているところです。

 

ちょっと落ち着いたので

ギャラリー細道にて休憩中。

 

細道ナウ

 

自分の考えをふりかえりつつ

整理してみようかと思い

こちらにやってきました。

 

「労働廃絶論」by ボブ・ブラック

という考え方は極端な理想なのかもしれないが

何度もたどりつく

ひとつのうれしい答えではある。

 

「限界芸術」by 鶴見俊輔

ということも目指してみたい

あわいにいます。

 

そんなことを考えながら

いんとんこんとん人形生活をつづけてきて

4年ほど…

 

この・・・

「いんとんこんとん人形生活」こそが

わが仕事であり生活であり人生なのだと

紆余曲折を経て

消極的に受け入れざるを得ないのだな

というそこはかとない心境です。

 

金銭面では

けしてもうかるではないがゼロでもなく

ちょっとマイナス

よくてトントンくらいで推移…

 

 

人脈や経験は

うれしいたのしいことがいっぱいで

どんどん豊かになっているので

そういうものなのかなと感じています。

 

むしろ給料生活が

ちょっとずれていたのだろうと

ふりかえっています。

(それに気づく前に働けたことに感謝)

 

同じ流れで

「所有」ということについても

考えをやわらげていきたく

自分がひとりで占有する

ということは

一見安心なようでいて

(確かに安心はするのやが)

停滞をまねくところがある。

 

息苦しさ

閉塞感

のたねになる。

 

ものも

ひとも

お金も

 

ゆるやかにとらえる

 

自他の境界も

 

あいまいにぼやかす

 

自然に身をゆだねて

宇宙の流れのまにまに

 

変わっていくこと

無常ということに

興と

こころのかろやかさを覚えるのであります。

 

消費的ではなく

投資的に動かして

風を通していきたいのです。

 

危険なこともあるかもしれないが

鬱や重圧からは

解放されるのではないかと思うので

 

生きる上で

危険さ、不安定さは

必要なものだと自分は思うことが多いです。

 

喪失や傷

死をおそれすぎず

受け入れる、昇華する方へ

進んでいきたいのです。

 

地上に、風や流れがある以上、砂地の形成は、避けがたいものかもしれない。風が吹き、川が流れ、海が波うっているかぎり、砂はつぎつぎと土壌の中からうみだされ、まるで生き物のように、ところきらわず這ってまわるのだ。砂は決して休まない。静かに、しかし確実に、地表を犯し、亡ぼしていく……

 

その流動する砂のイメージは、彼に言いようのない衝撃と、興奮をあたえた。砂の不毛は、ふつう考えられているように、単なる乾燥のせいではなく、その絶えざる流動によって、いかなる生物をも、一切うけつけようとしない点にあるらしいのだ。年中しがみついていることばかり強要しつづける、この現実のうっとうしさとくらべて、なんという違いだろう。

 

たしかに、砂は、生存には適していない。しかし、定着が、生存にとって、絶対不可欠なものかどうか。定着に固執しようとするからこそ、あのいとわしい競争もはじまるのではなかろうか? もし定着をやめて、砂の流動に身をまかせてしまえば、もはや競争もありえないはずである。現に、沙漠にも花が咲き、虫やけものが住んでいる。強い適応能力を利用して、競争圏外にのがれた生き物たちだ。

                         安部公房砂の女

小学生とお母さんと作ったカッパたち🥒

 

ゆあーんゆよーんゆやゆよん🎪

われらはブランコ愛好家なので

中原中也の「サーカス」を読んで

 

ゆあーんゆよーんゆやゆよん

 

サーカスといえばピッピ!

 

こんな音ってどうやってつくるんだろう?

 

ってことで

いろんな人形(?)たちを動かしながら

音を考えるあそびをしました。

 

擬態語と効果音の違いとは??

 

そして一緒に詩にしました。

 

音がない者たちの音(うた) ~あるいみサーカス~

 

 

ねこがないた きぴきぴきぴきぴ

かたつむりがころんだ こゎ~ん こゎ~ん こゎ~ん コト

みつあみがほどけた びぃ~~ん びぃ~~ん

やわらかいものがおちた ちゅぉん

からまったいとがは(這)った にゅうにゅうにゅう

まつぼっくりがつどった ボン ぼん ぼぉん

おばあさんがおどった フン フン フフン

むくげがとびでた びゅぉろっ

わたげがとんだ ふぁ~~ ふぁ~~

ゴトーがはしった シュン シュン

ながぐろいものがま(巻)かれた ににににににに…

九本の足がつかんだ ムキョ ムキョ

カッパがのみこんだ トドトドトドトドトド ん゛ーーー

そして まがったはた(旗)がささった   ピ

 

 

フォントや表記で

視覚的にニュアンスをあらわすのは

漫画やインターネットなどが登場した

現代ならではの工夫なのでしょうね。

 

フォントもあるいみ「ネオ漢字」?!

と思ったら

文字というものは

無限にあるのだと気づかされます。

 

そういった感受性、センスは

どこで学ぶのか。

本人が興味を持つかどうかだが。

(何事も)

 

文字だけの国語の授業は

レトロだけれども

やはり限界を感じます。

 

フォントの印象のちがいとかも

なにかの授業で習うんだろうか?

 

そんな心配をしていたら

常連さんの大学生の女の子が

詩を朗読してくれました。

 

ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

 

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを

近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし

 

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

 

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

 

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

 

        「自分の感受性くらい」茨木のり子

 

は~い

ですよね~

 

自分のセンスは自分でみがこう

それがセンス!

詩を囲む音がない者たち