もやもやずぶちゃん

旧ずぶ邸あるじのイントンコントン日記

旧ずぶ邸あるじの

ゆめうつつ、半信半疑の

いんとんこんとんらいふ

なんクルクルないさぁ~♪

ずぶの学校新聞 no.2

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~ずぶのなりたち~

 そういえば、こどもの時は、スケジュール帳の使い道が分からなかったけれど、だから、時間が永遠に感じたのだった。仕事があったらそうはいかないとはいえ、現代人はどうしてこんなに前のめりなのだろう。予定がないと不安? 何にもすることが決まっていない時間、ゆっくり考える時間は作らない。極度にひとりを恐れる。先回りの人生設計をして、その通りに事を運ぼうとする。明日誰と出会うか、何が起こるか分からないから、わくわくするのに。びくびくこじんまりまとまって、早々に人生を決めてしまい、あとはありふれたルーチンワークの日々が黙々と続いていく……

な-んか、そんなのひまじゃないか!

と思いあまって、ちょっと人生の冒険をしてみたのがこの学校、というわけです。人生の遊び方を探求中。

 

 

~こどもたちに、どんな人間になってほしいか~

英語を小学校のうちから学ばせることについては賛否両論あり世間は騒いでおりますが、私は国語を担当する者として、ひそかにがんばらねばなと拳を握りしめています。まずは国語だという意見はもっともですが、では国語の力をどういうふうに伸ばしていくのかに関しては話題にならない。興味すら持たれていない。こどもたちに、どういうふうな人間になってほしいのか、ビジョンの模索もない。そんなすぐに効力の期待できないことの議論をしている悠長な時間はない? あれよあれよと何も考えないままに、ただ言うことだけはきくおとなしい、みんなと同じことしかしない、小さな人間がどんどん増えていきます。

 

小中学校の間に、こくごへの関心が高まっていれば、そのほかのことは大抵、受験勉強ででも、社会に出てからでも、どうにでもカバーできます。なぜなら、思考力があるからです。思考力があれば、放っておいてもいつも自分で物事を見て考えているので、いつか必要だと思ったとき自分から自分のやり方で勉強しだします。英語はやる気次第です。知識は後からでもマスターできますが、思考力や意識がないと、やる気は芽生えません。やる意義を見出し、自分にとって必要だと思う力。目先の欲得ではなく、どうするのが本当にいいのかを考える力。問題点を見つけ出し、どうにかしようとする力。母国語が読めない書けない話せない聴けないこども、人間に対する理解や愛、センスのないこどもは大きくなってから、仕事をするとき、家庭を持ったとき、人間関係を築き、豊かに生きていくうえで、非常に心もとない。魅力もない。

 

人間は集団の中にいても基本の単位はひとりです。ひとりであっても、自分で判断して、ひとりでに楽しそうに生きていける信念を持ったおとな。そんな代替不可能な人間たちが好きこのんで集まっている社会は愉快だと思いませんか。「コストパフォーマンス」的には代替可能だったとしても、「やっぱり君がいいよ」と言いあえる社会。そのひとりひとりを認める姿勢が、本当の人権の尊重ではないでしょうか。

 

 

ぶん・え―あかまつ みさき(臆病な冒険家、ばかにされ上手)

 

 

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