もやもやずぶちゃん

旧ずぶ邸あるじのイントンコントン日記

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ともにするともにある ~覚醒のネットワーク①~

月一回のペースで書いてきた四年分の「ずぶの学校新聞no.0~no.45(2015.2〜2019.2)」を集めた冊子『かわいいデモ』を発行しました。

 

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8日の文学フリマ大阪には間に合わずでしたが、10月27日の「zineday osaka」@レトロ印刷JAM、11月17日の「エデュコレ」@神戸KIITOに持っていきます。

 

〜あとがき〜


この冊子にはずぶの学校をはじめた2015年の5月(正確には2015年2月)から、教員の仕事を辞めた2019年の2月まで毎月一回ホームページで掲載することを決めていた「ずぶの学校新聞no.1~45」を集めた(2015年2月の卒業生へあてた文章が実質no.0にあたるものということで、おまけ的に最後に所収した)。なお、2018年2月の「これが私の生きる道」と同じく7月の「今学校で起こっていること」は、ずぶの学校新聞ではないが、自分にとって転換点となる大事な文章でもあり、また読者にとっても背景が分かりやすくなると思い、載せることにした。


2018年の6月までは教員を辞めるつもりはなかったが、7月の出来事をきっかけに自分の生き方に対する考えが大きく変わった。それまでずぶの学校で行ってきた表現活動がつもりつもってきたこと、学校の外における人間関係のゆるい連帯が強い支えとなっていたことも影響している。今のところ学校に戻るつもりはない。2019年4月からは学校新聞の色合いも少し変わりつつあるので、このたび11年の教員時代晩年の4年間の記録として一冊の冊子にまとめてみようと思いいたった。

 

文章自体は当初のままほとんど触っていない。今の自分にとって変わらない部分もあるが、稚拙に感じる嫌な表現も多々目に付く。お読みぐるしいかもしれないが、これも当時の私を思い出すよすがとして、また変化の過程ということで、どうか寛容にお許しください。

 

これからは本当に本当に社会にとって、自分にとって「良い!」と心の底から思うことを選んで、なければ作って、やっていきたいと思う。それは自分の経済的利益にはつながらないであろうし、だから人からは無意味に見え、遊んでいると思われるかもしれない(実際遊んでいるだろう)。どうして遊んではいけないだろうか? 人生は限りがある。社会にとっても自分にとっても本当は良くないけど、自分の経済的利益、世間体のためにしぶしぶやるということをやめたい。どうすればやめられるだろうか? それをみんなで考えたい。本音で話ができる時間、思ったことをすぐに実現できる場所、それがずぶの学校でありたい。

 

2019年2月14日に祖母が急逝した。大荒れだった2018年の夏に、兄と3人で銭湯に行きお寿司を食べた祖母。年明けにも兄と2人で家を訪れごちそうになったばかりのことだった。2017年の夏に、ずぶの学校が、祖母の家の隣の「旧ずぶ邸(大阪市東淀川区)」へ移転してから1年半ほど、家の管理人として、ご近所さんへの営業マンとして、常連客(スポンサー)として大変お世話になった。それまでは年に数回会う程度だったのが、移転後は週2~3ほどのペースで会うことになり、ともに生活&活動できたことが今となっては嬉しく、ずぶの学校をやっていて「良かった!」ことは間違いない。

 

初盆のお供えとして 2019年8月 
かまし みさき

 

 あとがきにも書きましたが、読み返してみると今なら書けない文章ばっかり(この文章もやがてそうなるのでしょう)。考え方や表現において変わらない部分と変わった部分があると感じます。たとえば、2018年7月の記事には…

 

奇跡というのか、縁か、運かわかりませんが、まわりのひともそうなのでした。この時間・空間・人間(じんかん)が非日常の奇跡。目の前のひととゆるくゆるぎなくつながっておくことは、この壊れやすい大地にひとり、心細く暮らしていくうえでなくてはならない命綱だと痛感しました。

(中略)

「わかる」ということよりも(それは無理だから)、その時その場でその人の苦しみ、痛みに「つきあう」ということ(かつて「つきあった」という記憶)が、ゆるくゆるぎなくつながっているという淡い希望をいつまでも持ち続ける方法ではないだろうか。

zubunogakkou.hatenablog.com

 

とあります。

 

が、2月に祖母を亡くし、7月に祖父の弟に出会い、家系図をいただいた今の私は

「ゆるくゆるぎなくつながっておく」とか

「この壊れやすい大地にひとり」

というふうには全然思えなくなっています。

 

なんだか今は 

「人は大地(自然のすべて)でゆるくゆるぎなくつながっている」

というふうに感じるからです。

 

この夏は、そう感じられるようなできごとが続きました。生きていることと死んでいることは大地の上と下でつながっていると感じます。かつては「淡い希望」だったものが、今は「深い納得」に変わりました。

 

ずぶの学校をはじめてから、からだの調整(うじゃ)を習うようになってから、特に仕事を辞めてから、そしてきわめつけは「山の寺子屋」を終えてから、スピードを増して目が覚めてきたのだと思います。

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ずぶ邸の庭に彼岸花あらわる

 

つながっているからこそ、「「わかる」ということよりも(それは無理だから)、その時その場でその人の苦しみ、痛みに「つきあう」という」意志、開かれた姿勢をいつも持っていたい(できるかぎり)と思います。それが憧れの大叔父さんのお言葉、

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大叔父さんが発行していた寺報「ともしび」より

 

「よろこんで問題解決のために苦楽を共にさせていただきます」という、この姿勢なのではないか、これしか答え(応え)はないのではないかと思うのです。

 

 

そんなとき、即興楽団うじゃのナカガワエリさんから本を借りました。

上田紀行氏の『覚醒のネットワーク』

エリさんが「うじゃのバイブル」とおっしゃる本…

 

 

覚醒のネットワーク

 

この本は、1986年(私が生まれた年!)に筆者がスリランカで伝統医療「悪魔祓い」のフィールドワークをしているときに三週間ぐらいで一気に書き上げたそうです。

 

が、まったく古びない内容!

 

「自分を発見し、世界を変革する新しい運動」を、福祉、医学、教育、国際協力、フェミニズム、地球環境などの多分野にわたって考察している章から「教育」の一部分(大部分)引用します。

ところどころにやかましのやかましい心の声(小さいかっこ)が入っていますがお許しください。

 

教育の抱える問題は誰の目にも明らかになってきました。(誰の目にもだって?!)それは一言で言ってしまえば、ひとりひとりの中にある限りない可能性を実現するものとしての教育が、人を選別し、差別化する装置になってしまっているということです。

 

それはしかし、社会全体の大きな問題が教育現場に現れているともいえるでしょう。例えば、前節のホリスティック医学の定義を教育の分野に読み代えてみるとそれがいま求められている教育像とぴったり当てはまるのに驚かされます。

 

一、知識や狭い意味での「能力」に偏らず全人的な教育観に立脚する。

二、自己学習能力を教育の原点に置く。

三、学習者が自ら学習し、教師は援助する。

四、様々な教育法を総合的に組み合わせる。(教科を超えるのがいいよね…)

五、自分の抱える問題(そこが原点、根本だー!)の発見から自己実現へ。

 

医療と同様教育の問題も「権威」と「おすがり」にあります。医療の中心が病院であり、医者であるという現状と同様、私たちは学校という閉じられた場のみが教育の場であるとし、その学校と教師という権威に「おすがり」して、自らが教育の主体であるという立場を放棄しています。その結果、親は学校の先生の無責任ぶりを批判し、先生は家庭での教育不在を非難するという無責任のなすり合いが起こっています。そしてここでは教育の主役である子供たち自身の姿が置き去りにされています。(ネグレクト!虐待です!)いま自覚すべきは、誰もが教育の主体である(生徒、先生、親、地域の人、学校外の人もみんな全員なんだよ~~~)こと、教育を学校に押しつけるという前提を一度解除して開かれた地平の中でもう一度教育を考え直すことなのです。最近見直されてきた地域での子供たちの活動、受験や競争にとらわれない教育としての私塾の運動(ずぶもそのひとつ!)などは、子供たちから学ぶ(だって「わたし」が主体だから)、という今までとはまったく逆の方向を含みながら、教育を学校という閉域から取り戻すというダイナミズムをもっています。

 

しかし、学校という場での変革もまた必須です。なぜならば、競争原理によって支えられ、管理化の進む学校という場が私たちがいままで見てきた「殻をかぶった自我」の養成工場になっていることは誰の目にも明らか(先生たちは誰もそんなふうには思ってるようには見えなかった…病んでいた)だからです。

 

そこではまず管理化のようなハードな制度的側面に対してNOを突きつけていく運動が必要(ほとんどイエスマンだった気がする!)であると同時に、教育観、そして「子供」観の転換が求められています。子供は何よりも自然に近い存在です。子供は大人と比べればまだ表層の分断された世界には編入されておらず、深層のエネルギーを抑圧してはいません。多くの文化で子供たちがいちばん神に近い存在とされ、儀式やお祭りなどで「神の子」の役割を担っていることはよく知られています。そして子どもは自然にお互い友達になる能力を持った天性のネットワーカーでもあります。(今わたしも友達づくりをがんばっています)ぼくのような文化人類学者が外国の村に入って行ったときにまず子どもたちが近づいてきて友達になるというのは、子どもたちの「殻」の薄さを物語っているといえるでしょう。しかしそうした「神の子」の子どもたちは学校に入ったとたんに「殻」をまとうことを要求され、無理やり「人の子」になるように強制されます。もちろん放任教育がいいというのではありません。「神の子」は「人の子」でもなければ社会では生きていけません。しかしそれは「神の子」を否定するということではないのです。むしろ大人の側が子供を受容し、自分の中の「子供らしさ」を発見していくこと(昔何して遊んでいたかをよく思い出しています)が問われているのです。(中略)

 

学校での学びが上から下へという単方向性のものであり、また物事を分析したり、記憶したりという「言語脳」の能力主義に貫かれているという事実も学校が社会の縮図であることを物語っています。友達に親切な子、愛情の深い子は「やさしい子」ではあっても必ずしも「できる子」(「できる」とは言うことをきく従順な子??)とは評価されません。あるいはひとつの問題をじっくりと自分のものとしていく子も「のろまな子」の烙印を押されてしまいます。教育は双方向性の学びの場であり、そこでは頭だけつかうのではなく身体で体得して行くという新たな教育の場が生まれてきたのは、ある一方向のみの発達した「片側人間」への反省から生まれてきています。(そうなんです。「片側人間」がわたしでした)子どもの自発性を伸ばして、身体で学んで行くことを強調するシュタイナー教育や、教室の壁をとっぱらい、時間割も弾力的にして行くフリースクールの運動はこれからも目を離せないものとなるでしょう。

 

そして学校という場で子どもと同じくらい(いや子ども以上かも)管理化によって病んでいる教師の側の癒しも医療での医師の癒しと同様にまた必要です。エンカウンターグループやサイコセラピーに参加した教師の多くが語るのは管理の板ばさみにあって教師自体が生きる力をなくしている(そうなるから辞めていくんです)という現状です。しかし孤立無援で生徒も敵としか思えなくなっていたのが、ある「気づき」の後では生徒と自然なコミュニケーションが取れるようになり、教育の場が自分が成長していく自己実現の場にもなってきた(自分が学びの主人公になれるなら続ける意味もあるというもの)というのです。生き生きしない教師が、自分も抑圧されているのだからおもえたちも抑圧されるべきだ、と生徒の可能性をブロックするような教育の悪循環(それでした、ブロックのみならずダメージも与えていました)から、教師も生徒もともに可能性を伸ばしていくような双方向性の学びあいの場へのシフトが求められているのです。

 

このようなことを去年、私なりに書いた文章がこちらです👇

zubunogakkou.hatenablog.com

 

「覚醒のネットワーク(The Awakening Network)」という、この英語のタイトルには二つの意味があるのだそうです。

 

ひとつは「人々を目覚めさせるネットワーク」

もうひとつは「目覚めつつあるネットワーク」

 

世界中のいたるところで人々が目覚めるとき、今まで隠されていた深いネットワークが目覚めていく。そしてそのネットワークがまた新たな人々を目覚めさせていく。

 

こどものころのネットワーク(=つながり、連帯、ともだち)の感覚を取り戻すことが私を癒し、目覚めさせていくと感じます。ずぶの学校の活動を通して、その修練(=遊び)の期間があったために、勤めていた学校を未練なく「自信を持って辞める」ことができました。一番最初に引用したあとがきで言うとこの部分です。

 

それまでずぶの学校で行ってきた表現活動がつもりつもってきたこと、学校の外における人間関係のゆるい連帯が強い支えとなっていたことも影響している。

 

この「目覚め」「気づき」であり、心からの「学び」なのではないかと思います。

すべては自分とつながっている、と自分が主人公(当事者)となる「学び」

自分(=他人)の抱える問題を解決するため、幸せ(自己実現)を目指して…

「問題解決のために苦楽をともにする」というあり方…

 

「ずぶの学校」そして「山の寺子屋」のモットーである

「みんなが先生、みんなが生徒」の意味はここにあるのではないでしょうか。

 

 

<つづく…かも…>

 


山の寺子屋に関する四つの文章👇