もやもやずぶちゃん

旧ずぶ邸あるじのイントンコントン日記

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ずぶの学校新聞 no.39

~ここが崖だわ~

 

6月は大阪を中心に大きめの地震がありました。「死」や「無」という視点から見れば、日常がいかにはかなくもろく、非日常の世界であったか、人間がいかにちっぽけで無力な存在か、はっきりと気付かされた出来事でした。



電車でちゃちゃっと移動することも、教室にのらりくらりと立っていることも、ずぶ邸でまったり過ごしていることも、全然当たり前のことではなかった。「奇跡的に生きのびているんだなぁ」ということを「あたま」で思ってはいましたがそれが「からだ」にずんとおちてきました。 

 


奇跡というのか、縁か、運かわかりませんが、まわりのひともそうなのでした。この時間・空間・人間(じんかん)が非日常の奇跡。目の前のひととゆるくゆるぎなくつながっておくことは、この壊れやすい大地にひとり、心細く暮らしていくうえでなくてはならない命綱だと痛感しました。

 

 

「ひととつながることはできないと思いますね」と高校の時に国語の先生が喝破していたのを思い出します。(その女性の先生はとある高校で奇跡的に再会し一年同じ職場で働くことになった。送別会の時に「今はともだちを三人までしぼりました。もう時間がないからね」と言っていた。貫いているー!)面と向き合って一本のひものようになることは、クローン人間でない限り不可能だと思う。それをお互いに目指すと共依存になり、まわりへのしわよせも大きくなってしまう。ランナーのように何かしらの同じような方向性をもって並走していて、お互いその横顔を見るしかない。つまり「わかる」ということよりも(それは無理だから)、その時その場でその人の苦しみ、痛みに「つきあう」ということ(かつて「つきあった」という記憶)が、ゆるくゆるぎなくつながっているという淡い希望をいつまでも持ち続ける方法ではないだろうか。

 

 

その瞬間同じコースを走っていても、じきにそれる。たとえ災害がなかったとしても、自分で作る壁、障害がなかったとしても、崖は常に人間の半歩前にある。前田司郎脚本のドラマ「徒歩七分」の最終回のタイトル「ここが崖だわ」。ひととの別れは死別に限らず突如来る。そのひとがそのひとの道を進みだすとき。そのとき相手の決意を受け入れられるように自分も自分のコースを進むのだ。

 


それははじめて2年一緒に過ごした卒業生を見送ったときに思ったことで、その巣立ちをきっかけに「ずぶの学校」がはじまったのでした。その卒業生も就職が決まった報告をしてくれたり、来年大学を卒業するということでお話に来てくれたりもしました。「子育ては親育ち」親の方が子離れできない問題児。こどもの足を引っ張ることだけはしたくないので、好き勝手にゆらゆら生きることにしています。


この一か月はそんなふうに「無常ということ」を再確認し、パソコンと名前を新調し、また新たに何をしようかなという気持ちになってきたところです。


やかまし みさき

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句会で作った俳画。ずぶ邸種まき後の庭の様子。塀の色を塗りかえたいと思っています。
「あわじはあじあ 自転車やかまし駅前」
「蚊がいてもいなくても書く淡々と」の二句を合わせました。