もやもやずぶちゃん

旧ずぶ邸あるじのイントンコントン日記

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これが私の生きる道2018

学生時代(~2009)

「文学」が好き「先生」が好き「学校」が好き、つまり「人間」が好きで、教師になろうと思い始めたのは、大学の三回生のとき。

 

一・二回生のときは、抑圧された(自分で追い込んだ)受験期の反動もあって、遊びに遊んでばかになっていたので、その反動で今度は急に真面目になってしまった。アルバイトも塾に変えて四年間(大学院二年を含む)は最も熱心に「勉強」した時期でした。

 

勉強……今思えば、勉強の幅が狭かった若かりし頃。「文学」を極めるぞ!という自負により、ずんずん狭くなる袋小路に迷い込む。(先生がやさしくてかわいかったので中国文学を専攻していたけど、中国に留学する気はずっと起きなくて自分の学問に対する本気じゃなさに悩んでいた)

 

大学院の一回生から非常勤講師をすることになり、いろんな生徒と話す機会を得て少しずつ現実(仕事)と学問のギャップを知る。

 

 

 教員時代(2010~2014)

とはいうものの「勉強」への固定観念はぬぐえぬままエリート女子校(?)、神戸海星女子学院へ。

 

チャイムがなったら先生が教室に来るまでみんな立って待つという恐ろしい学校(学年があがるとだんだんゆるくなるけどね)よくできるひとたちを前にして(何の話でもよく聴いてくれる)、ここでも熱心に「勉強」しましたが、そのほかの仕事での働きっぷりが受け身というかどで正採用にはいたらず、優等生を自認する私は葛藤する(そこやで) 

 

三年目のときはだいぶ開き直って、中学二年生の授業ではじけました。教科書は簡単な内容(説明文)すぎておもしろくなく(説明ほどおもしろくないものはない)、「書く」「話す」というアウトプットに力を入れる授業を模索(するとインプットもはかどる)。

 

一年かけて単元が終わるごとに作文(毎回変なお題あり)を書いてもらって返事をする(×150人!)という、思い返せば静かな狂気を感じる熱中ぶり。作文は割と出さないひとが多い課題ですが、この学年は書くのが好きだったようで、ほとんどのひとが毎回出してきたので大変なことに。作文ノートは交換ノートみたいになりました。

 

みんなそれぞれにおもしろくて、表面はおとなしーくしているように見えても中身はのびのびしていました。そのときは今年で最後(最期)という葛藤をひとり内に秘めていたので(生徒には内緒にしてた)決死の覚悟を持っていたからこそできた授業だったと思います。

 

「作文教室」がしたいなぁと思い始めたのはこのときでした。それで、ひとが訪ねやすい中崎町に引っ越すことにしました。

 

運よく次の職場が見つかったのは三月の終わりごろ。大学の後輩が声をかけてくれたのでした。西宮東高校。高二、50回生の副担任になりました。最初から完全にはじけてた(やけになってた)ので初日の学年へのあいさつから体育館をざわつかせました。

 

「みなさんを文学の世界に引きずりこみたいと思います。」

 

ここでおもしろかったのは、男の子がいたことと高校の現代文を担当できたことです。同僚の先生とも仲良くなっておやつを食べたり、飲みに行ったりしながら日夜お話し、一緒に授業を考え、講演会に行き、政治や教育、人権問題にも関心を持つようになりました。

 

「おせっかい教育論」(内田樹鷲田清一釈徹宗平松邦夫

「僕らの民主主義なんだぜ」(高橋源一郎

 

に感銘を受け、自分のことばにもっと説得力を持たせるために、50回生が卒業したら(人生二回目の受験期というぐらい日々勉強しました)私もまた大学生気分で自由に生きようと思っていました。

 

内田先生、鷲田先生、釈先生、みなそれぞれに私塾を開いていて、私もやってみたい!と思いあまって、またしても反動で、2015年から非常勤講師をしながら「ずぶの学校」を始めました。

 

 

校長時代(2015~現在)

今度は大学生のときと違って「遊び」の意味も「学び」の意味も大きく変わってきたようでした。当初は家でやろうと思っていたけど、東高校の二年間は精神的に多忙で(休日は予習や部活)仕事だけに費やしてきたので家が荒れていたし、家では真剣にやらないだろうと思って、家の隣のビルの一室を借りて始めました。

 

よくわからない空間になっていて本気でサイコな雰囲気でしたが、最初に持った自分の「教室」でした。ひとりでなんでもやってみたかったのですが、何もできないし知らないし、でも何でもできる(してもいい)ことがよくわかりました。

 

ここで空間づくりに協力してくれたのが友人と、東高校の卒業生たちです。(大学院時代に生徒だったものぶちゃんも早々に来てくれました)

 

それから生徒として(お金を払って)来てくれたのが、海星で最後に作文の授業でフィーバーしたあのときの中二の生徒たちです。高校二年生になっていました。わざわざ来てくれる、なおかつお金を払ってくれるというのはすごいことだ!と感動しました。

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この場所で、生徒たちはよく学校の話をしてくれました。学校の中の生徒の顔はほんの一面にすぎないということを知り、いろんなことを考え、悩んでいることも分かってきました。作文だけでそのひとのすべてを分かった気になるようなことはやめようと思うようになりました。

 

多くの人の本音を聴き、私は学校でどういうふうに前に立って、話をし、授業をするのがいいのかをずっと考えています。

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元生徒じゃないはじめての生徒さん!のライブ @ずぶの学校(中崎町

2015年の年末に、フェイスブックでTERACOさんからずぶの学校にいいね!が来ました。ほとんど外界との接触がなかったので(FBしてるのに?)すごく嬉しかったのです。そいでTERACOさんをたどってみてみると……何か同じにおいがする……ということで早速出かけてみることに。

 

フレンチトーストを食べて、高木さん(現・さくらさん)とお話してみると、同じようなことで悩んでいるようでした。共感……共鳴! 生徒にお金を払ってもらうようになって以来、お金は気持ちを表現する手段だと思っていたので、1000円のところ感動&応援の気持ちを上乗せをして2000円をお支払いして帰宅。

 

すると後日、高木さんの息子さんが高校受験のための小論文をみてほしいということでずぶの学校にやってきてくれました。粗削りながら、正直な文章だったので「よいと思います」と言うと、安心した様子で帰っていきました。そのとき高木さんも、1000円のところ2000円をお支払いしてくれ、二人で笑いました。

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小論文を読んでいる図(撮影・さくらまみ)

2016年の夏に借りていたずぶの学校をひとまずクローズし、自宅で続けることにしました。そのタイミングで部活動の「テラコブラクダ」が始まったので、渡りに船ということで部員になり、毎週通っていろんなひととお話しています。

 

やっぱりひとと話をするのが好きなんだなぁと思います。2017年は雑誌を作ったり、イベントをしたり、愉快なことだらけでした。秋からは月一回の大人向け文学読書会「文学momimomi」を開催しています。

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文学読書会momimomiのようす(@TERACO)撮影・さくらまみ

 一方、夏からは祖母の家の隣の空き家を掃除、補修しながら、新たにずぶの学校のセカンドシーズンが始まりつつありました。

 

四人のメンバーを中心に長期的に創作活動ができる拠点にしたいと考えています。最近は地域の方との交流も少しずつはじまってきたので、また「教室」的なことにもトライしてみようかなぁと思っています。

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のぶちゃん(右)と私(左)@旧ずぶ邸 撮影・さくらまみ

私にとって、教室は上から下への伝達の場ではなくて、一緒に何かをやってくれるメンバー集めの場なんだと気が付きました。かつて「引きずりこむ」って言ったことばは本当にそうだった! 「こっちへおいでよ」と、ちょいちょいと誘うのです。一緒に遊んでくれるひと、この指とまれ~♪ と。

 

そうそう、小さいときの口癖は「だ~れもあそんでくれへ~ん」でした……今と同じ!笑。強欲……本当は一緒にじゃなくていいです。そのひとが自走してくれればそれでよし。ティーチャーとはチャッカマンなのだ。

 

最近は学校での授業も、昔の遊びの延長になってきています。文集を作ったり、ラジオ番組を作ったり、歌を歌ったり、イラストや漫画を描いたり、ぬいぐるみを披露したり(占いもする)

 

そういえば遊びほうけていた大学の一・二回生の夏休みは、ラジオでマーキーさんの声を聴きながら、ぬいぐるみを作っているのが幸せでした。今も同じです。

 

授業も創作活動のひとつ。遊びと学び、仕事と趣味に境目がなくなってきた、今までのごちゃごちゃを整理して生かして「表現」することを意識できるようになってきたのが2017年。

  

年末に、占いで「創造」がキーワードだと言われて、びっくり。でも火がつきました。自分の役割がわかった気がします。

 

既成の「学問」でも「芸術」でも「教育」でも「福祉」でも「政治」でもない(所属できない)けど、どれでもある、いつでもどこでもただただ「自分」のままで創造する、私なりの生き方を貫くことだと。

  

 

あかまつみさき