私が「国語」をおもしろいと思うようになったのは中学二年生のときでした。
もっとさかのぼれば、小学三年生のとき
引っ越した先の新しい学校で女性のちゃんとした、まじめな感じの担任の先生に何度か作文を褒められたことがあって
文章を書くことや言葉に対して、得意なのかもしれないと自信をもちはじめてはいました。
(将来の夢に「作家」や「翻訳家」と書いていたのを覚えています)
覚えているなかのひとつは、物語のような文章で今も残っているのですが、躍動感の伝わるものでした(何かの物語のつづきかな?)
もうひとつは、普段のつづり方のような日記のような文章でした。
(掃除の時間に歯並びが悪いことを男の子にからかわれ、武内さんという女の子がかばってくれたという話。こういう文章がいいんや~って思ったような記憶がありますが、思い返してみると「差別」や「人権」に関わる自分の原点のような文章だ。マイ『銀の匙』的な)
中学校二年生の時はクラスの友達や担任の先生とも仲良く
国語の先生とも相性がよかったのもありますが
(中一の時は相性が悪くテストもできなかったので「3」とかだった…評価っていったい…?ことばはことばだけじゃないということがよくわかりますね)
どちらもリズミカルで読んで気持ちの良い文章です。
「ドラゴンボール」や「ワンピース」など戦う系の漫画やゲームにはまっていた時期でもあったので『平家物語』は言葉もさることながら内容的にもおもしろいと思いました。
(木曽の最期かな?)
もっと古典を読めるようになりたいと思ったものです。
(しゃきしゃきした「和漢混交文」が好き、漢字が好き)
その『平家物語』の中で
私が自分がする方の授業でよく読みたがったのは「ぬえ退治」のエピソードです。
教科書には載っていませんが、古い時代のセンター試験の問題だったのか?
問題集に載っていたのを見つけました。
あらすじは
帝がよなよなおびえるので、警護に召集された弓の名人源頼政が、しぶしぶながら夜宮殿のまわりをうろうろしていると、黒雲にのった妖怪があらわれたので、弓で射落とす。近寄って見てみると、頭はサル、からだはたぬき、しっぽはへび、手足が虎、鳴き声はぬえ(鵺、トラツグミの異称「ひ~ひょ~」と鳴く)の妖怪だった
というものですが
この妖怪はその後船で流されて、芦屋の方に流れ着いたらしく、芦屋に「鵺塚(ぬえづか)」(ぬえのお墓)というところがあります。当時そのへんの学校に勤めており自分も住んでいたこともあってとても親近感のわくお話でした。
世阿弥の能にもなっているとかで有名らしい。
まさかの「ぬえを描いてみましょう」という試験問題を作ったこともある!(笑)
というわけで『平家物語』は2010ねんごろのマイブームでして
夏休みに熱中して絵を描き作ったプリントがコチラ👇
瀬川康男さんの絵本が学校の図書館にあり、感動して鎧など見よう見まねでかきました。
確かに感動が伝わる作品だ(作品?)
(文字が多いけど…)
これを配ったとき
教室になんだかいつもと全然ちがうやわらかさが生まれました🍵
(一生懸命ついてきてくれてたんや…( ;∀;)このときはまじめにやることやってたから…)
そういう生徒の反応を目の当たりにして
「あ、絵って大事なんや!」
という大きな学びがありました。
それ以来プリントには手描きの絵を入れる(時間がなくとも)
ということをこころがけるようになったのです。
(かわいくないと嫌…!笑)
文字だけを一生懸命追いかけていた私が
ひとに伝えるための「表現」にうっすら目覚めはじめたころのおはなし…
ちなみに「ぬえ」には
転じて「正体不明の人物やあいまいな態度」という意味もあり、
現在でも「財界のぬえ」や「ぬえ的人物」といった表現があるそうです。
そしてその「ぬえ」の意味をポジティブに転用し
何者か分からないおもしろいひとになりたいということで
ずぶの学校の校章にしたのでした
(ツイッターのアカウント名は@nueninaritaiです)し
そのぬえを実写化したぬいぐるみが
ゴッゴローリの役をして人形劇に出演したりしているのです!
(エンデの「ゴッゴローリ」もいろんなものに変身する、孫悟空のような大地の精霊)
10年以上前からつながっていたとは…!
茶色い(手足が黄色)のがゴッゴローリ(ぬえ)です。黒いのも変身バージョン。