宮藤官九郎脚本
(2014年)
を見た〜📺
当時もところどころ見てたと思うが
今回は通しで見る。
ちょうど学校に勤めてたころでもあり
懐かしさを感じながら
今との距離を感じながら見た。
男と女のわちゃわちゃのはなしで
男子校(仏教)と女子校(キリスト教)の実験的合併のはなしで
男性性と女性性の統合のはなしだった。
(男とは? 女とは?という根本的問いかけも含む〜)
自分もカトリックの女子校に勤めてたこともあり
以前はだいぶ女子寄りの視点で
そーだそーだと痛快に見てたけど
今回は男子の視点もだいぶ理解できた…
んじゃないかと思う。
(男性を認めない女性のこわさ、ごうまんさ、過激さは本当は自分を認めてもらいたいという欲求不満のあらわれ?)
そう、自分がお寺の孫やったって気づいたから
主人公の男性国語教師、原平助(寺の次男)
と同じ視点も
持てたかもしれない。前より。
(2014年のわてと違う点)
一言でいうと
愛💛
ってことになる〜
万事、愛。
分断を超えて
NAKAYOKU
TANOSHII
OMOIYARI
へゆこう。
カトリックは離婚できないらしく
一人のひとと一生付き合う(離婚しない)
ということを美化してる風にも
感じられなくもない。
自分にもそういう節があったかもなぁ。。
(平助の兄が離婚しても父が再婚しても
別によかったかな〜とは思う〜
しなくてもいーけど…)
男と女だけでなく
神と仏
被害者と加害者
その親と親
それぞれにそれぞれの痛みがあり
苦しみがあり
物語があり歴史があり
神(女子校校長)に懺悔したり
ラジオ(男子校校長)に相談したり
話すことで放していく
風に流して
軽くなっていく。
ごめんねごめんね〜
とライトに
かろやかに〜
じゅうぶん悩んで苦しんでる〜
おつかれおつかれ〜🍵
じぶんをゆるして
手放していこう〜👐
じぶんの過去を清算するために
先生になって
達成したら辞めるという行き方は
潔くていいなぁ〜
じぶんのために(お金だけじゃなく)仕事して
結果ひとのためにもなるのがいちばんニャ〜
したいことしよう〜😽
(うしろめたい気持ちがあると
仏像が死んだお母さんに見えるのがおもしろい〜
「母ちゃんは"うしろメタファー"なんだよ」
っておもしろい〜
そうかも。。)