もやもやずぶちゃん

旧ずぶ邸あるじのイントンコントン日記

旧ずぶ邸あるじの

ゆめうつつ、半信半疑の

いんとんこんとんらいふ

なんクルクルないさぁ~♪

へんてこ学園ドラマごっこ

大阪は東淀川区にある「旧ずぶ邸」またの名を「ずぶの学校」

f:id:zubunogakkou:20190924221409j:plain

祖母の家の隣にあったこの空き家で活動しはじめたとき

あんまりひとが来ないのを見た祖母に

「『学校』っていうのがかたいんちゃう?」

と言われたことあります。

 

そのとき「そんなもんかなぁ~~~?」と思い

もう一度考え直してみたのですが

ださい(笑)とは思いつつも

やはり自分のテーマが「学校」なのでどうしてもはずせないなと

そのときも思ったし、今もそう思います。

 

今や「学校嫌い」で不登校になってしまっているのですが

実はほんとに学校や先生が好きなのです。

好きでいたいのです。

 

学校…

双方向でゆるぎない信頼がありながらも

一定の距離感がある「師弟関係」というものや

学校を舞台にした、はちゃめちゃな「学園ドラマ」が

20年前も好きだったし、今も好きです。

 

思い返してみると中学生時代には

GTO(98年)

伝説の教師(00年)

などが放送されていておもしろおかしく見ていたし

 

高校~大学生時代には

さよなら小津先生(01年)

めだか(04年)

など、だめな先生が変わっていく様子を見て、かんどうしました。

(今思えばドラマの中の先生はみんな訳アリの「アウトサイダー」だったな)

 

大学生のころには教職の授業をとっていたり、夏目漱石が弟子との交流を書いた随想や書簡を読んだり、黒澤明氏の映画「まあだだよ」に見たりしたことが、どういうおとなにいてほしく、自分がどういうひとになりたいかの指針(進路)になっていったと思います。

 

個性の塊である、実存のままのこども(孫悟空)に出会って

おとな(社会)が「変わる」ということが希望だし

おとなを信じられるこどもはのびのびと成長していきます。

(私がそうでしたからね!)

 

年をとることは本来、希望だったと思いますが

現代では嫌なことのようになってきています。

 

それもこれも尊敬すべき、信じられる「おとな」がたくさんいれば

楽しみなことになると思うのです。

 

「変わる」組織

「流動的な」集団

(参加の余地があるということ)

 

 

このたび、GTOを見返してみて思ったのですが

組織がつぶれ、立場がなくなったとき(最後の方)

いがみあっていた職員の間にはじめて「連帯」が生まれました。

 

「職業」や「立場」を演じることが

架空の「ごっこ遊び」だということに気づいていれば

ひとは「友達」になれるんだと思います。

 

友達がいれば「物語」がどう変わることも楽しめる

(「リスポンス+アビリティ」が高まる)し

物語を作る主体になることができるようになるんだと思います。

 

ひととちがっても

自分が本当にいいと思っている方に一歩踏み出すには

友達がいて楽しいこと、連帯感を感じられることが

なくてはならないことだと思います。

 

「ずぶの学校」はへんてこで自由な学園ドラマごっこをしているところです。

f:id:zubunogakkou:20210201194734j:plain

八朔屋はじめました

 いい曲です☆

www.uta-net.com