3月16日、土曜日。小雨のち晴れ。
旧ずぶ邸の目と鼻の先にJR淡路駅が開通。
テープカットが行われました。
こんなに近所に「駅ができる」なんて…
アンビリーバボー!
ずぶ邸でも負けじと(?)
念願の人生初テープカットをしました。
《路面劇場part1》
《路面劇場part2》
《路面劇場part3(テープカットあり)》
その夜、開通した電車に乗って、ある一家がずぶ邸にやってきました。姉妹と両親。
姉妹はずぶ邸の人形劇の舞台を見て大興奮し、そこにあった人形たちを総動員して、即興で人形劇をはじめました。
ああ、これはちょうどこれからやろうと思っていた
「即興人形劇」!!
赤ずきんちゃんやその場で考えたオリジナルストーリーなど。こどもはエネルギー、スピード感があるなぁとかんどう…
(童話もこどもの口から聴くと新鮮だった。そういうパターンなんだとか、解釈なんだ…とかいう発見があって「物語り」っていい。何回も聴きたい)。
小学六年生のお姉さんの方は反抗期らしく、ママのお人形を動かしながら、
姉「ゆきだるまさちこです」
母「女なんですね」
姉「男です」
母「ご結婚されているのですか」
姉「はい、ノブスケさんと言います」
母「え!」
姉「女です」
と常識と思われることと逆のセリフをどんどん作っていきます。
母「お仕事は何をされてるんですか」
姉「……カツラ作りをしています」
一同「え!」
姉「カツラ国のユキダルマ人です」
妹「お悩み相談ありませんか」
姉「あの…実はわたし…がんなんです」
一同「え!」突然のカミングアウトにざわつく。
「……がんはがんでも、元気になるがんです」
その場で考えながら、みんなが普通思わない、驚くようなことを言おうとしていたのだと思います。
ロックの精神。自分はそうじゃないんだ!という野心やレジスタンス、社会参加(そういうのが教室でも嬉しかった)。
元気になるがん…考えたこともなかった…確かにそういうこともあるかもしれない。
成長期で反抗期の娘への接し方に、両親ともに苦労されているそうで、つい激しく怒ってしまったこともあるとか。
家族(主に親)だけで子どもを育てるなんて無理。昔は近所や学校や寺やいろんなところに、家族以外の大人がいて見守っていてくれたけど、今はそういうものはほぼ滅び去ったのに家制度だけが「自己責任」だけが厳然と残っている。
家の問題を家の中だけで解決するのは無理。
学校の問題も同じ。
私も小学校高学年から中二ごろにかけて、両親が家庭内別居状態で、ともだちや兄とはげしく遊んだりしていた、あれは、しのいでたんやな~~~ってことを、姉妹を見て思い出したのでした。
遊びは一種の逃避でもあり、反抗の手段でもあるのかもしれない。それがないと「希望」がないと生きていけないなとそういえば中学校、高校からの帰り道によく思っていました。
運よく友達に恵まれて、遊びの内容が一見牧歌的で、作詞作曲や、脚本録音や、漫画読んだり描いたり、ゲームしたり、人形作ったり。
今やっているようなことの基本はここで友達から教わったのです。あまり気が付かなかった(気づかれなかった)けど、かしこくしのいでたなと思います。
今と同じかもしれない。
今は家庭の問題ではなく社会(職場)の問題で、だけど。
お姉さんもだいぶつもってるのかもしれない、こういう遊びで発散しているのかもしれないと思うと切ない。遊びは切なくもある。希望でもある。命の光。
この文章を書いた後に見つけて深くうなずいたことば。これを読んでアップしようかなという気持ちになりました。何度解いても、この答えにたどりつく。
「楽しいことは進んでやれる。この楽しみを生活の芯となしうれば、それは自治と抵抗の原点ともなりうる。詩人はそこに〈希望〉の水源を見た。」それ! https://t.co/le3oAwLYNv
— ずぶ (@nueninaritai) March 26, 2019