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ずぶの学校新聞 no.4

ひとりの時間、自分と対話

 

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みなさんは、ひとりの時間に何をしていますか。

 

私は家族や友人、先生、生徒とお話をするのが大好きですが、

基本的には、ひとりでいます。

ぼんやりしています。

学校を卒業したら、自動的にそうなるのでしょう。

いや、学校の中にいても、

すでにひとりでいられるひともいるかもしれません。

 

私は、ひとりの時間を楽しめるひと、

孤独を愛するひとに魅力を感じます。

自分との対話をし続けられるひと。

やっぱり一人で何かをする、

ということは不安だから。

けれども、みんながしていることを

同じようにすることが自分にとって正しい答えだとも

限らないような気がします。

 

芸術家の森村泰昌さん阪神大震災のとき、

誰もが被災地に行くべきだと主張する中、

あえて「行かない」という選択をしたそうです。

 

また、東日本大震災のときは、

 

2011年の夏にもともと岩手県

個展を開催する予定になっていた。

ところが三月に震災が起き、

美術展などをやっている場合ではなくなった。

 

誰もが「仕方ない」という風潮の中、

断念してしまいそうになる自分に憤り、

逆にやるべきではないかと思い立ったそうです。

そのお言葉は重く響きます。

 

「みんなで同じ絵を描くなんて、

いっぱしの画家がやるべきことではない。

それぞれに違った絵を描くから絵はおもしろい。

被災地に行くか行かないかではなく、

今の世の中の趨勢はどういう方向に流れているかと注意深く観察し、

ならば自分はいかなる選択をすべきか

と想像をたくましくすることが重要である。

百人の芸術家がいたら百種類の表現がある。

これは健全です。

みんな同じというのは不健全です。」

森村泰昌『美術、応答せよ!』)

  

私はプロの芸術家ではありませんが、

ずぶの芸術家です。

みんなそうだと思います。

「こどもはみんな芸術家」とおとなはいいますが、

本当はおとなだってそのはずです。

人間はひとりひとり違うのです。

なぜか、どこかで、そのことを忘れたり、

面倒くさがったり、あきらめたり、

しているだけです。

別に、そんなにむきになって、

あきらめなくてもいいんじゃないか……? 

 

何かを考えたり、創ったりしながら、

自分自身を見つめながら、

いつまでも自分の絵を描こう! 

こどもと一緒になって遊ぼう! 

へたでも、少しでもなんでも、

いつまでも自分の好きなことを忘れないことが、

そのひとにとって絶対に正しい。

自分が人間であることを

がんばって忘れたおとなには、

ばかにされるかもしれない。

 

いいのさいいのさ、

ほそぼそと、こそこそと続けよう! 

その生き方は、勇敢で、ほほえましくて、

いじらしくて、泣けてきます。

 

最後まで、自分であることを忘れない、

あきらめない。貫く。

それが本当の「自立」した人間。

 

 

ぶん・え あかまつ みさき

すぐあきらめようとする、自問自答の日々。柔軟すぎて何も決まらない夏休みに。自戒を込めて。

 

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絵・和(あい)/和亀(わかめ)二號より