もやもやずぶちゃん

旧ずぶ邸あるじのイントンコントン日記

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ずぶの学校新聞 no.6

 

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授業のようす

人間だもの、ネガティブ礼讃

 谷崎潤一郎「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」という随筆があります。西洋の明るく、隅々まで照らし出されることをよしとする華やかな文化に対して、日本はほの暗く、目に見えない音やにおいに趣を感じる落ち着いた文化を持っているのだということを、蝋燭(ろうそく)や、紙、漆器など、数多くの例を挙げて述べつらね、「陰翳(いんえい)」、かげりのある日本の文化をどこまでも「礼讃(らいさん)」、褒めたたえる文章です。

 

本当に私は共感するところが多く、これを読んで以来、電灯をやめ、ロウソクに!……なんてそこまでの勇気はまだない(いつかやる気?)のですが、家の中には、テレビを筆頭に、冷蔵庫、炊飯器、ティファール(!)、洗濯機、ドライヤー、除湿器、ステレオ、パソコン、スマホ等の充電器(充電器の多さ!)、果ては何のコードかわからないものが無為に生えていたりなんかして……嗚呼、なんとまあコードの多いこと!という驚愕の事実にふいに気づかされるたびに氏の嘆きを思い出し、ため息しながら掃除をするのでした。こういうのを「すさまじ(興ざめだ)」というのです。すさんだ我が家。もちろん電気はありがたいです。いつもお世話になっています。はい。

 

「闇」や「ほの暗い部屋」に魅力を感じるという性質は(昔の?)日本人限定なのかどうかわからないのですが、私が好きな部屋は、「やや暗め」です。部屋の電気を消して、ロウソクに近い色の電球をひとつ点ける。ポチ。落ち着く……。

 

私は「暗い」ということをポジティブにとらえます。人間の暗い部分、心の奥深い部分は誰しも暗いもののはず。なのに、なぜか「暗い」ことが「悪いこと」「変なこと」のように思われることがよくあります。大勢の場ではひとは自分の暗い部分を隠しがちです。(私も。これでも。)隠さないひと(隠せないひと)は変なひと、となります。(私だ。隠しきれない。)それは、「社会のルール」というやつなのでしょうか。でも、そうやって決めつけてしまうのはつまらないとも思います。(開き直る。)各人の「暗い」ところに、そのひとの光るものがあるのですから。(正当化。)

 

私は「暗い」こと「悪い」ことが最悪なのではなく、それ以上に「暗い」こと「悪い」ことを他人事として、自分のことでもあることを認めないことが最も罪深いと思います。本当に社会的なひとは、自分の暗い部分を認めることができ、反省することができ、だからこそひとの暗い部分も理解することができ、ひとと心を通わせることができるのだと思います。

 

ひとは、ネガティブな感情にこそ、ひっそりと、そしてより深く共感するものではないでしょうか。

 

わたしだけかな……うそだうそだ、認めちゃいなよ!

 

ぶん・え  あかまつ みさき

文筆家と名乗ってみたい秋、教員よりは。