よだんのよだん(巻末コラム)
大阪市西区にあるイサオビルの「青空図書館」を運営されているオカモトマサヒロさんの先日の文章に感動したので、ここに引用させていただきます。
"都構想反対"の幟を立て独りで声をあげる男性がいた。そこへ背広姿の男性が登場し、少し話したいとマイクをもらい大阪市廃止の是非について理路整然と話をした。ちゃんと勉強しているのがわかる内容であり私はよいなと思った。数日前のことである。そして住民投票当日。夕方、投票しに行くとそこにGくんの姿があった。訊くと午前中から頑張っているという。プラカードや手作りの横断幕を掲げて通り行くひとたちに訴えかけている。私は投票を済ませ仲間にはいらせてもらうことにした。マイクを借りて言葉も発したが先日の男性のような気の効いた話はできない。そんな時、通りすがりの女性が話したいと参入してくれた。自分の思っていることを率直に語る彼女の話は通行人の胸にも届いていた。路上から声を発すること。私たちはその術を身につけないといけない。#路上の文化
まさに、この「フリーペーパーずぶぬれ」が目指しているのは「路上の声」を集めることなのでした。社会的か個人的かはどちらでもよく、人々が心の底から今思っていることを表明、表現し合うこと、そのことが立場や役割、意見の違いを超えて、人と人の間の連帯を取り戻す唯一の方法だと思います。
そこで以前まで「まちのおとぼけ余談集」だったずぶぬれのサブタイトルを今回から「みちのおとぼけ余談集」にしてみようと思いつきました。「路上=道」です。また「未知」との掛詞(かけことば)としてとらえてもおもしろい気がしました。根を張った「まち」から流れゆく「みち」へ。地の時代から風の時代へ移ります。読み終わったら捨てずに誰かにまわしてみてもおもしろいかも(笑)
6月ごろから動画配信を積極的にはじめるようになり、私は文字を書くだけでなく声を出して、自分の歌を歌いたかったことに気がつきました。人形を作るだけでなく、動かしたかったのと同じように。昔から文字が好きで、声に不安があり黙り症で、声を出すことには全然自信はないのですが、とにかく日ごろから、からだを動かし、声を出す練習が自分にも必要だと感じています。
道で踊っても歌ってもいい。マイクを持って話してもいい。政治家や有名人だけでなく一介の市民でも誰でも話ができ、聴いてもらえるような成熟した社会が理想的。大阪にそういう光景が一瞬でも現れたという話を聴くと希望が持てるし、以前よりも大阪のことを好きになることができました。自分もそういう機会があったら勇気を持って受けて立てるひとでありたいと願います(自分で機会を作れるひとでもありたし)。
そういうおとなたちの姿勢が、学校、職場、家庭のような小集団を成熟させ、痛いときに痛いと言え、いじめや差別をおかしいと言えるひとが増えるに違いないのです。
やかまし みさき(Misaki Yakamashi)
1986年大阪生まれ。中・高国語教師をしながら15年にゆるいまなびや「ずぶの学校」を開校し、校長に就任。現在古家、古着、古本など古いものの循環、再利用、リメイクを模索中。9月から12月まで母校に里帰りしています。撮影:さくらまみ
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