もやもやずぶちゃん

旧ずぶ邸あるじのイントンコントン日記

旧ずぶ邸あるじの

ゆめうつつ、半信半疑の

いんとんこんとんらいふ

なんクルクルないさぁ~♪

声、歌、ことば

最近、大きめの声を出さなくなった。

(学校を辞めたからね)

 

文字に書く、文字で読むのは、まだ頭の中から外に出ていない感覚もある。

自分のからだに変化はない。

(読んだ人の頭の中を変えることはあるのだが…テレパシー?)

 

声に出して読むと、自分の体感、周りの空間が変わる。

ほんまにそうなんや…と腑に落ちる。

音読って大事なんだなと思う。

音読は好きなんだけど、「文字」や「ことば」をなぞって読んでいるので

棒読みになる。これは素読…?

(和漢混交体の素読が好きだった…意味はいつも後からついてくる)

(全部、外国語だなー)

 

自分が出した声を「音」として聞くと

単調な「縫い目」といった感じがする。

ことばをなぞっているだけだからね。

(ことばが好きなんだね)

 

バリエーションがない。

バリエーションを模索できるということを

先生に教えてもらうまで知らなかった。

高い低い、大きい小さい、早い遅い、からっとじめっと…

バリエーションを模索すると、意味…色?角度?が変わる。不思議。

意味ってキラキラのカードのようにいろいろあるんだなー

(意味って「自分」の中にしかないもんね)

(「自分」もいろいろあるしね)

 

自分が「ある意味」を思ったとき、突然「昔のことば」(音がついているときが多い)が降ってくるときがある。

それはいつか耳から入ってきていた誰かの声なき声、「ことば」だった。

そのとき「昔のことば」を「分かった!」という気持ちになる。

ガッツポーズ!

(そういうことかーって、そうかどうかは知らんけど…)

 

自分は「楽器」なんだと先生に教えてもらったら

声を出す恥ずかしさが薄らいだ。

バリエーションがないことがコンプレックスだったのかな?

ないんじゃない、探してなかっただけ。

探せるって知らなかっただけ。

 

人形も「楽器」だと思っていて、動かしてはじめて

「使う」ことができる気がしていたところ。

自分のからだもきっとまだまだ「使う」ことができる。

 

 

15日、人形劇します♪

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