もやもやずぶちゃん

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愛のある創造を♪

かたまりの中のひとりとして

父の日の句会の次の日の朝…
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地震がきました。大阪、震度6弱

 

地面を揺るがすような大変なことが起こっている時、そのことに触れないっていうのは犯罪のような気がした。反応のスピードが大事だってこともよく分かった。

 

わかっていながらも、手が震えていて、自分が逃げることに必死で書くことができなかった。

 

いつか来るはずだったカタストロフィが今日来たんだと思った。

 

大変なことってのは、結局「個人的」なことととらえられてしまうということも分かった。大変だと感じるのは個人だから……? 自己責任? たとえ地震というかたちで、ある程度の範囲のひとと同じ経験(一見)ができたとしても。

 

たまたま月曜日は仕事(学校)は休みだったのだが、その30分後に

「今日の授業は二限からとします」

というメールが来て、怖かった。大きく揺れたのは私だけだったのか?と思わせる力もあった。

でも、実際電車は止まっていたし、電話も通じなかったし。どうやって行くの? 連絡するの?

もしその日に授業があって行けてたとして、さあ授業をと言われても「何を?」それどころじゃない、自分のことでいっぱいいっぱいなんだよ。しかも相手もそうなんだから。授業なんかできるか!

 

これって個人的なことなのか?

個人的なことは社会的なことではないのか?

 

 

地震は広い範囲でかたちにあらわれるからわかりやすいし、まだ共有しやすいほうだと思う。

 

それでも、私は東日本大震災の時も熊本の地震の時も、そのあとになってからもそのことに文章で触れたことはなかった。当事者性のなさ、畏れおおさ両方あった。今はじめて触れた! 今回自分が揺れてみて、触れてもらえること、声をかけてもらえることはうれしいこと、正気に返るような気持ちになることをやっと実感したのだ。

 

何らかの(切実な)声に対して「応答すること」に関しては意識的にやろうとしてきた。が自ら発すること、特に怖い思い、苦しい思いをしているひとに、自分から名前を呼ぶこと(呼び戻すこと)って私はずっとできていなかった。今もなお苦手なことだ。

 

地震だったら、ここまでのことを割と多くの被災経験のあるひとに共感してもらえる気がするのだが、そのほかさまざまな痛みも同じことだと思う。

 

私は地震の前日まで別のことでいつになく沈んでいた。(地震のおかげで吹き飛んだ)

 

このことに関して、今までだったらひとに「相談する」ということは積極的にしようと思わなかった(できなかった)と思う。相談されることはあっても相談するのは苦手だから。「話す」ことが下手で、感情がうまく退けられず整理して説明できない。内容に嘘が生じる。誠実さに欠ける。そのことによってわかってもらえない、否定されたら傷つく。相手の考え方、気持ちを見計らって合わせてしまう。向こうも面倒くさいだろうし、そうなると私も申し訳ない。相談するほどのことじゃない(個人的なことだから)と思っていた。(そしてツイートに垂れ流したりもしている…)

 

それは、私が今まで大事にしたいと思ってきた「私」を主語にして話すってことなのじゃないのか?

できてないやん。面倒くさくてもやるんだった。

 

個人的な感情も、人に話すから社会的な感情になっていくのではないのか?

 

個人的な感情も、話せば相手にだって別の経験で思い当たる節があるかもしれない。今はなくてもその先そう感じるかもしれない。

 

しかしどうやって誰に相談するのか。

 

相談する前に相手に「期待」があり、相談してるうちに「説明」になり「配慮」になり「教授」になり「誘導」になる側面もある。そして「幻滅」になる。何をしてるんだ、自分。

 

そんな浮ついた言葉遊びの相談じゃなくて、まわりのひとにはただ知っておいてもらうだけでいいのだ。単なるアウトプット。迷惑でもそういう相談は積極的にしていきたいと思う。今しなかったら引きずってこじらせて、あとあともっと迷惑をかけると思う。ひとりでは生きられない。上に上がった体を下げてもっと地に足をつけてひとりふんばる。前のめりの姿勢を後ろにひいて、立つ。もっとずんずん行く、遠くまで。続ける覚悟。

 

一対一の関係では、存在を許して、見とめてもらうだけでいい。

 

そして全体に対して、話すことが苦手な私は書くこと、あるいは俳句(笑)、表現で議題を提出して相談に乗ってもらいたいと思う。

 

自分の座る場所は、自分で切り開いて整えていく

と思ってずぶの学校をはじめたんだった。原点。

 

かたまりの中のひとりとして。

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蚊がいてもいなくても書く 淡々と