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ずぶぬれ vol.3 トキとバーイに酔って

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ずぶぬれ vol.3 表紙


よだんのよだん(巻末コラム)

 

「うじゃ」という習い事を始めました。

 

体や声、太鼓を使って、その時その場でそこにいるひとと音楽・ダンスを通してコミュニケーションをとる即興楽団UDje()(うじゃ)

ensembbbu.exblog.jp

はじめてワークショップに参加したとき、私が忘れてしまっていた感覚を鮮明に思い出した。自由に歌ったり、踊ったりすること。決まった形を教えてもらうのではなく、自分の中から出てくるでたらめな音や動きでオーケー。

 

参加者の中には、音楽や舞踊の素養のある方も数多くいて、何もない私はいかにもどんくさく、やっぱり恥ずかしい気もするのだが、うじゃを主宰するナカガワエリさんは、何をやろうが優劣をつけない先生なのである。一人一人をよく見ていてそれぞれの個性に合ったミッションをそっと与えてくれる。とにかく、何もしてみないことが一番恥ずかしくなってくるのだ。

 

真剣に、自分の気持ちに素直に遊んでいること、人に媚びないで自分の芯を貫き通すことを実際に今この場で一人一人にやってみせさせる気迫がすごい。それは押し付けるのではなく、圧倒的な光によって、草木に上を向かせるように。「お天道様は見ている」といった存在感。

 

切羽詰まって、何か音を発しなくてはならなくなった瞬間、私からとっさに出てきた音は、中学の時吹奏楽部でトランペットを吹いていた時に練習した「ダブルタンギング」の音だった。トゥクトゥク…と発しながら、あ、私の中にこんな音が残っていたんだ。

 

「思い出すこと」「思い付くこと」、過去と未来は、現在にある。私の体の中に宿っている。いろいろな人、時間、場所が、私の中に眠るいろいろな私を引き出してくれる。時々それに気が付くこと。それが川の流れに抗う石であり、音の流れに逆らう休符であり、ちらっと光る生きる希望のように思う。

 

自分の中に「何もない」なんていうことはないはずなのだ。それは周囲からの贈り物をないがしろにする傲慢な発想だ。何も分かっていない、分かろうともしない青二才だということだ。

 

あるいは「表現できない」? そんなはずもない。もっと今の不完全な自分をのびのびと動かして、やってみればいい。完全態でなくても今ここでできることは何か、そうだ、やることだ。さあ、歌おう、もちろん楽譜はないぜ。

 

「他人が笑おうが笑うまいが自分で自分の歌を歌えばいいんだよ。歌に限らず他人の判断ばかりを気にしていては本当の人間としての責任がもてない。」(岡本太郎 

 

Be Taro!!

 

*****

 

ナカガワエリさんのホームページ 

erinakagawa.wixsite.com

 

 

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編集・イラスト・文 あかまつみさき Misaki Akamatsu

1986年大阪生まれ、大阪市在住。中・高国語教師をしながら、15年にゆるいまなびや、人間アトリエ「ずぶの学校」を開校し、校長に就任。好きなひと、岡本太郎佐藤二朗、サティ、みうらじゅん。学校目標「迫力をます」(写真 西宮船坂里山学校にて 撮影・さくらまみ)

 

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