2年生の最後の授業で
音楽リクエストをしてもらいました。
知らない曲ばっかり。
ある女の子が前にきて
「こんなん教室でかけてええんかな?
先生怒られへん?」
ともじもじしていました。
「大丈夫! 怒られたら怒る!」
と私が言って、やっとかけてくれた曲は
河内redsというバンド
(売れてないそうです。
応援してあげて!と言われる)の
「男はみんなちょっとだけホモ」
え、ふつう……
「ホモ」や「レズ」ということばが
いいかどうかは別として
(傷ついたひとがいるかもしれない)
男が一人の女を
女が一人の男を
好きになるという思い込み
のなかを生きているのか
と逆に気づきがありました。
古風な……
私はいろんなひとが好きだが……
ロマンチックラブイデオロギーは根強い。
すべての差別用語とされるものに言えるが
「ホモ」とか「レズ」ということばが悪いのではなく
それをよくない意味で使うことがよくないのじゃないか
そしてすぐにそのことば自体を隠ぺいしてしまう
障害の「害」がよくないとか(ひらがなにしろとか)
よくないって言うことがよくないって思ってる証拠じゃないのか
ホモでもいいし(みんなホモやし)
レズでもいいし(みんなレズやし)
障害者でもいいし(みんな障害者やし)
誰が何を好きでもええやん
は来年度から呪文のように唱えさせていこう
と思った次第でした(教育!)
若いときは確かに
ドラマや漫画や音楽から
ロマンチックラブをするもんなんだと
(あこがれとともに)
刷り込まれているのだが
歳を重ねるほど
人グルメ
になり
なんでも食べられるようになるのである。
えじゃないかえじゃないか
人権教育(いや教育全般…)、むずかし。
桃太郎が鬼退治をして
めでたし、めでたし、だろうか?
とこどもらに問う人権の授業も
なんだかな……と考え中。
結局は先生と生徒に信頼関係
があればいいのであって
先生が「何か」をしようとすると
生徒はその求めに応じようとするので……
何もしないでもいいのかもしれない
(なんやねん)
信頼関係を築く以外のことは……
(信頼となめられるのとほぼ同義であるのが
ゴニョゴニョ……)
自分にとっての「幸せ」についての作文を書いてもらいました。
さきほどの彼女の作品。
幸せとは、星が降る夜と眩しい朝が繰り返すようなものじゃなく、大切な人に降りかかった雨に傘を差せることだ。
これはbacknumberの「瞬き」の歌詞です。幸せとは? と書いていたのでこの歌の初めと一緒だ?!と思って最初に書きました。もちろんそれだけではありません。
この曲の初めに「星が降る夜と眩しい朝が繰り返すようなものじゃなくて」と言っていますが私はこれを「毎日」ととらえていて今日があって明日があること。と思っています。私はそれも幸せと思うのですが、そこは作曲者と私の考えの違いですね。
そして、ここでの「大切な人に降りかかった雨」とは人間の生きる中である困難な状況や試練を指していると考えています。「傘を差せることだ」は、そんな困難にさしかかった友だちをたすけるということ。何でも話してくれたり頼ってもらうことに幸せを感じるということなんだと(勝手に)思っています。
私は2017年はすごく色々なことがあっていい意味でも悪い意味でも刺激があった年でした。親にもたくさん怒られ迷惑かけて本当にろくでもない娘だ! と思います(笑) 友だちともたくさん言いあい泣いて笑って怒っていろんな感情をもちました。今思い返すと去年は自分のことしか考えていなくて何かに泣いているのも全部自分自身でした。
なので2018年は人に頼ってもらったり、たすけたり。大切なひとたちの「雨」に「傘」をさせる人間になってそれが幸せだと思える高3になりたいです。
あ…受験もガンバリマス。
いいなぁ~しっかりしている~大人だなぁ~まっすぐ!
私が高校生のときを思い返してみると……
屈折しすぎてほぼドリル(?)……コワッ(今も?)
みんな知ってて私だけ知らなかった。はやりらしい。