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旧ずぶ邸あるじのイントンコントン日記

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ずぶの学校新聞 no.24

台北散策 あたたかいまち~

 

生まれて初めての海外旅行に、おともだち(人権マンmegumi「ずぶぬれ」に登場)と行きました。

 めぐみ先生のブログ↓

murimurichan.hatenablog.com

一泊だったので、台北駅周辺にある迪化街(てきかがい・ディフアジエ)と中山(ちゅうざん・チョンシャン)あたりを歩き回りました。

 

私の初中国語チャレンジはホテルにて。ホテルの方は日本語がペラペラだし忙しいので、なかなかすきがなく話させてもらえない。日本語で話しかけられているのに、無理やり「対(そう)」とか「是(はい)」とかで返すちぐはぐな会話。焦る私。が受付のひとが変わった瞬間、(付け焼刃で)何度も練習した

「我要寄放行李(荷物を預けたいです)」

を繰り出す、やっと言えた、すると中国語で返ってきた! わあい通じた。嬉しい。そして無事荷物を預けた後、フロントマンの青年に話しかける、「エクスキューズミー」の中国語がとっさに分からず、いきなりの

「厠所哪里?(トイレどこ?)」

というぶしつけな問いに、少し照れ気味にほほえんで

「にかい…」と教えてくれた。謝謝。

 

建物がレトロで、看板が繁体字で、街並みがごちゃっとしていてとても趣がある。平日の朝9時ごろ、台北駅でもスーツのひとをあまり見かけなかった。

 

朝は道端におにぎり(飯団・ファンタン)屋さんがあって、通勤の方々が並んでいたので流れに乗って並びました。台北で働いていたら買うな。コンビニ(もあるけど)ではなく、随所にある屋台から噴き出す湯気に、まちの温かみを感じた。

 

前に並ぶ現地のひとにばりばり中国語で話していたのでおじけづきかけたが、いざ順番が回ってきておどおどしだすと日本語のメニューを出してくれて、後ろに行列があるにもかかわらず嫌がることも急かすこともなくて、言葉が分からなくても笑顔で説明しようとしてくれてやさしかった。

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日本のコンビニでは言葉は通じるし、わからないこともないし、今まで感じたことがなかったやさしさ。じーん。「ゆで塩たまご飯団」(約200円)には、あげものとかマグロフレークも入っていた、具沢山温かいおにぎり。謝謝。

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市場(迪化街にある永楽市場)に行きました。その周りのお店には朝ごはんを食べているひとたちがたくさん。犬もいた。のんびりした午前のひととき。

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一日目に布問屋の店先で購入したゆるズボン(約600円)を履いて広場のいすに座って名物の「油飯(ヨウファン)」を食べる。はちみつビール飲む。風景になじめたかな?

 

とにかくひとがやさしかった。そういえば私は、買い物をするとき、バスをおりるとき、まちで使う日本語の「ありがとう」はなかなかごにょごにょしてしまいがちだ。それは何か「言わなければならない」という強迫(自分で自分に)、またそういう時だから言っている(気取っている)という余計な自意識による。

 

でも台湾では本当に困っていて不安なときにやさしくしてもらったので心から言えた。便利な日本ではひとに何かを訊く機会が少ない。書いてあるのに、機械があるのに、忙しいのに、「できないひと」だと面倒がられてしまうのではないかとためらう。

 

台湾では当たり前に助けを求めればよく、当たり前に助けもする、という印象を受けた。困っていると、すぐに手をさしのべてくれる感じ。できないことがあるのが当たり前だし、困ったら素直に助けてと言える力があるほうが、何もかもひとりで頑張る力より、生きのびる力があるんじゃないか。

 

無理なものは無理やし、そんな別に無理せんでもええし。忍耐努力して何もかもをできるようにならなければならない、という過剰な自立心、自己責任論は自分も他人も厳しく追い詰める。

 

「謝謝(シエシエ)」は、大きな声ではっきりと、目を見て心を込めて言えた。いつも下向いてる自分じゃないみたい。それしか言えないからかもしれない。音が好きだからただ言いたいだけかもしれない。

 

 

あかまつ みさき

(まっすぐにヘルプと言おう。それでやっとサンキューが言える。)