もやもやずぶちゃん

ずぶの学校のやかましみさきです。絵や文、俳句、ぬいぐるみの創作、人形劇、手作り作品のお店をしています。ワークショップ、オーダーメイド受付中。おたよりください。info@zubunogakkou.com

ずぶの学校のやかましみさきです。

絵や文、ぬいぐるみの創作、人形劇、手作り作品のお店、

表現の家(ライブハウス)をしています。

ワークショップ、オーダーメイドも受付中!

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今学校で起こっていること(相談)

6月29日金曜日、放課後遅くに質問を受けていてテストが完成していなかったので、夜の8時ごろまで職員室に粘っていたら


「あいつの言ってることは意味がわからん」
「もうテストを受けさせるのもどうかとさえ思ってきた」

 

というような言葉が聞こえてきて、(え、何事…)と思っていたら

「校長訓戒まで受けさせたらいいやん」
「それでも反抗するようやったらしめたものやん」
「担任は何をしてんのや、がつんと怒らへんのか」

 

と聞いていた男性体育教師が答える。

耳をそばだててきいていて驚いたが、それは去年から私ももっていた高3のクラスのNさんだった。ムードメーカーで、鋭くてとても面白い子だ、(これはあかん)と思った。

身勝手な感情なのだが、私はいいなと思っていた子から順番に、私の知らない間に学校を辞めていくことがいつも残念に思っていたので、今回は聞きつけたからには何かできることはないかと思い、とりあえず何があったのか話だけでも聴いてみようと思った。これが余計なお世話だったかもしれないのだが。

その三十代男性教師Aは4月から三年の生活指導担当になった。新学期早々、Nさんが制服のリボンをわすれたり、こまごましたことで生徒指導室に呼ばれたとき(そんなことで生徒指導室に呼んだり反省文を書かせたりする指導はいらん)に「ルールを守れないやつは看護師になれない」とほぼ初対面で将来を否定されたり、怒鳴られたりすることがあって、Aの言葉は早い段階で彼女の耳に受けつけなくなっていた。

Aの授業中も言葉が耳に入ってこないのでそれをそのまま伝えると怒鳴られる。小テストのコメントでテストの内容に関するコメントの最後に「マイナスの発言はなくなるといいですね」と書かれ、最後の一文は学習内容に関係がなく気分を害したので「私に対してはコメントは結構です」と書いて断ると、その返事に「そんなん書く必要ないやん、あ、書いてもうたわ」とあった。その後、生徒指導室で出くわしたときに「お前のせいで全員にコメント書くのやめたわ」と言われた。

言葉が耳に入ってこないのに、授業には出席しなければいけないし、「寝るのも、話すのも、別のことをするのも、すべてだめだ、俺の話を聞け」と繰り返し言われて、仕方がないから天井の点の数を数えるという無意味な時間の過ごし方をしていた。

ついにある日、小テストが返却されてすぐ紙を破ってしまった。(もともといらない紙の破り癖はあったのだが)Aはそれを見て「復習に使うんやから破ったらあかん」と笑いながら軽く注意してきたのだが、Nさんはそのテストで復習をする気はなかったのでそのまま破り続けたところ、Aは急に怒鳴りだした。そのあと30分ほど怒鳴り続けたという。他の生徒も同じように不満があったので、彼女がテストを破ったり言い返したりすることを陰で応援はしていたらしいのだが、表立って助太刀できるものがいなかった。

その日、担任Uから家に連絡があり、彼女は数時間、両親から注意を受けた。

次の日、Aから生徒指導室に呼ばれたがやはり話がかみあわない。Nさんは「(Aの)言葉が耳に入ってこないから別の人を通してくれ」というのだが、それがAに「指導拒否」ととらえられた。

そして私が冒頭で、職員室で聞いた話につながっていったということだった。

Nさんが一年の時に担任だった女性ベテラン教師Fがどこからともなくその話を聞きつけて、Nさんの話を一切聞かずに「謝りに行こう」と言いだしており、無理やり謝らせられそうな状況だということだった。

いつのまにか退学のフラグが立ってしまっていた。
(まさかそんな個人的なことで…って思うけど、だいたい個人的なことで辞めさせられるんだった)私から見ていると、Nさんはしっかり物事を自分の頭で考えて、判断する生徒なので、悪いことは悪いと自分でも分かっているし、それほど問題があるようにはどうしても思えないのだった。

とりあえず私はテストを受けられないという事態は避けるべきだと思ったので、もし今謝りに行けた(謝りに行くって何や)としてもより状況が悪化する可能性を感じて「テストが終わるまではその話をしないでほしいことを担任または学年主任に伝えたらどうか」と言った。

Nさんが温和なベテラン男性教師の学年主任Sに伝えると、Sは「(一時保留に関して)先生もそう思っていた」と聞いてくれ、テストは無事受験。Sには試験が終わってからも二度ほど空き教室で話を聞いてもらっていた。

試験のあと大雨で休校になり、私は謝罪の話はこのままうやむやになればいいと思っていたが、週明けにまたSに呼ばれ、今度は応接室で話をした。そのときも「また話そう」と言われて終わった。

ところがその翌々日、13日の金曜日、「メモ」で、再度学年主任Sに職員室に呼び出されたので行ってみると、女性ベテラン教師Fに無理やり応接室に連れていかれた。応接室に入ると女性の現担任Uが来た。Aが来るまでの間、Fから説教を受けた。

 

「こんなことしてたらあかんねん私も一緒に謝ったるから」

「自分が悪くないと思ってても謝らなあかんねん。上の人の言うことは絶対やねん。嫌とか言うてやんと聞かなあかんねん」

「それが社会やねん」

「何でも疑問に思ったこと聞いたらあかんねん。そんなん聞いても仕方ないねん」

 

などという話を聞かされるうちに、相手の教師Aが来た。学年主任Sは来なかった。

 

Nさんの前に相手の男性教師Aが座り、Aの隣に現担任Uが座り、Nさんの右に一年時の担任Fが座った。Fに「ほら、はよ、言うことあるやろ。」とうながされて、「紙破ったことに関しては悪かったです。申し訳ありませんでした。」としぶしぶ言うと、「ほんで!」とたたみかけられ、「え?」と戸惑っていると「今後の授業は!」と問われ、仕方なく「授業に意識を集中させることを心がけます」と言うと、さらに「んで!今後の指導は!」と言われ、言葉は耳に入らないからどうにもならないのだが「聞けるようにがんばります」と言わされ、最後にFが「私が1年の時にちゃんと教育できなかった私も悪いです。すみません。」と謝った。Aは何かを言ったそうだが覚えていない。担任Uは終始無言だった。

 

紙を破ったことに関して謝罪する際、Nさんは最初いすに深く腰を掛けて話していたが、Fに「もたれない!」と姿勢を注意されてやり直し、「顔見てない」と言われてやり直し、と3、4回頭を下げさせられたという。

 

連休が明け17日の火曜日に学校に登校したとき、校門にいた女教師Fには「あんたは勉強せなあかんねんで、クラスを引っ張っていかなあかんねんで、成績下がってる下がってる」と追いたてられ、話を聞いておいてその場にいなかった学年主任Sには何事もなかったかのように笑顔で挨拶される、という不可解な光景が繰り広げられ、彼女は教師を信じることができなくなってしまった。顔を見るのも怖い。

 

その日また、男性教師Aに生徒指導室に呼ばれたのは一か月ほど前の「二人乗り」の件だった。Nさんと友人三人が呼ばれ、「もうしません」と反省文を書かされた。「それから?」と聞かれ、何のことかわからなかったが「呼ばれたらすぐ来ます」というひとことも付け足された。Nさんからすると、呼ばれた指導の内容と違う指導を受けることが多々あり混乱する、それがAとの意思疎通が難しいと思う点でもあった。

 

翌日、担任Uから一か月前の「文化祭でのケータイ使用」の件で親に呼び出し連絡が入る。(※ケータイ使用の件=クラスで出していたたこやきの店でカセットボンベが足りなくなり、店が4分の1ほどしか動いておらず、客が長蛇の列で並んでいたために数人の先生に相談したが忙しくて相手にしてもらえず、クラスメイトの要請もあり、担任Uの番号をたまたま知っていたNさんが外に出ていた担任を呼ぶために、ケータイを使った。校内は使用禁止のため外に出てかけようと思ったが雨が降っていたので校門の内側で電話をかけていたところ、生徒指導部長に見つかった件。それはその日に両親と教師とNさんで話し合いがもたれ、全員から「間違っていなかった」と認められたが、学校側からは「ルールだからケータイを預かる」と言われており、Nさん側が納得がいかず保留になっていた。)

 

家庭ではどちらかというと話を聞いてくれる方の父は、文化祭のケータイの件に関してはNさんが間違っていないことを後押ししてくれていた。が謝罪させられた件に関して相談しても「(不条理でも)謝っとけばいい」「それが社会やから」と言われる。「そんな社会やったら生きていたくないから死ぬ」と言ったら「それを言われると親としてつらい」と逃げられる。絶望。

Nさんは中学生のころから自殺については考えており「自分がおかしいのかもしれない」という不安を持っていたので、スクールカウンセラーのカウンセリングを受けようと思ったが、どうやって予約するかわからない、担任も学年主任も怖い、話したくないということだったので、私は「保健室に相談したらどうだろう」と提案した。

カウンセリングを受けたがあまり得るところはなかった。ただ保健室の先生が親身に相談に乗ってくれたので少し落ち着きを取り戻したのだが、この事件に関係のあった教師の授業はもう受けられなくなっていた。学校に行くのもいやなのだが、親には「はやく学校に行け行け」とせかされ、遅れると担任から電話が何度もかかってくる。入室許可証をもらいに職員室に行くのも、というより学校に入るのすら怖いので、この暑さの中、自転車置き場でぐだぐだしていた。

力をふりしぼって保健室に行き、入室許可証をもらいに職員室へ行くと担任Uに「学年主任の先生が待ってるから行くで」と強引に連れていかれそうになる。恐怖で、必死でふりはらって保健室に逃げ込むと、学年主任SがUとともにやってきて「先生と話をしよう」とやさしげに言う。「話って何?」「それが無理やねん」と泣き叫んで取り乱してしまい、ようやく保健室の先生が「今はやめてください」と止めに入った。それが21日の土曜日のことで、その日担任Uから親への連絡はなく、保健室から担任Uへ来週の月曜日に行われる予定だった懇談の件で配慮を打診するも返答なし。

23日の月曜日に予定されていた懇談は、無理だろうと思われた。何を考えているかわからない担任と、何も事情を知らない母と、彼女。無理。当日になっても、担任Uから返答がないので保健室からもう一度打診すると「ちょっと考えます」という。直前になって親に懇談を延期する旨の連絡を入れることに決めるのだが、保健室からは「学校の都合で」と少しでも誠意ある対応を見せるように助言するも、担任Uは「本人の体調不良で」と伝える。そしてNさんのケータイには親から再三「大丈夫か」「迎えにいこうか」の連絡が入る。帰宅後父には「(懇談を回避するための)作戦か?」と疑われる。母には病院に連れていかれるという茶番。

この日は友人二人からも責められた。「それがこの学校のルールやねんから謝ったらいいんちゃうん」「それが社会やんな」「それはわがままやろ」云々。

25日水曜日、保健室経由で私がNさんの話を聞いていることが副校長に報告され(そのことには同意していた)、副校長に呼ばれる(望むところ)。私は一連の出来事の流れ(Nさんから聞いた話)をまとめたものを見せながら

・生徒指導担当A…「看護師になれない」等の発言、その他怒鳴る指導は暴力
・一年時の担任F…話も聞かずに無理やり謝らせるのは何の解決にもならない暴力
・学年主任S…話を聞いておいて何もしない、そのあとも話しかけないのは無責任
・担任U…親への連絡の偏りにより、親からNさんへさらなる圧力がかかっている
・謝罪会見までは「退学」の話だったが、会見後は「自殺」の話になっている

などを訴えた。

 

後で確認したところ、学年主任Sは、謝罪会見の日程、セッティングを事前に知っていたが、Nさんにとって圧迫になると判断し、出席を控えたということだった。謝罪会見が無事済んだという教師からの報告を受け、その後何も聞かずにNさんに普通に接していたという。謝罪会見に呼び出したメモはSが書いたものではなく、筆跡からはおそらく担任Uのものと思われる。

私は非常勤講師の立場を超えて、個人的に生徒の問題に関わっているために、教師からも親からも生徒からも相当怪しまれているのだが、これ以外に方法が見当たらない。よくないこととは思いつつも、生徒の「命」にかかわっていることなので放置することもできない。力のなさが悔やまれる。

その後、26日の木曜日にNさん本人不在の懇談が設定され、懇談の前に保健室から両親へ21日の土曜日に保健室で精神的に追い詰められた件を中心に説明があり、学年主任Sと担任Uと両親の四人で進路についての話し合いだけに限定した懇談が行われたらしい。

27日金曜日は保健室にも行けなかった。保健室が職員室の前にあるために不安でもあるのだった。教室に直行。クラスメイトとの関係は良好で、クラスのことが大好きなので普通に教室に行きたいし学校生活を送りたい。保健室登校も本当はしたくない。けど自分が蒔いた種でこうなってしまった、自分が気持ち悪いとひたすら自分を責めていた。

母は懇談後も毎朝、学校に行くように追い立てる。が28日の土曜日はもう限界だった。誰とも話したくないし、話したら爆発してしまう。その日も授業はあったが学校にも行けなかった。家でも親に話しかけられたくなかった。かといって外に出る気力も向かうあてもなかった。祖母の家、叔母の家に行くにも事情を説明する覚悟が今はできない。居場所がない。

 

彼女が起こしたどの事件もそれほどたいしたことではなかったのに、これほど彼女を追いつめることになってしまったのはなぜだろうか。

 

学校側のすべての「指導」に意味がないと感じる。お互いを思いやるような、丁寧な関係性を築くということがなされていないし、言葉が空疎にとびかっているだけ、形だけのその場しのぎの「処理」だからだ。そのような言葉の使い方を、こどもに教えるのはやめてほしい。

 

私はまた親がどうして味方になってくれないのかと不思議で、残念でならない。謝罪の件に関しては、親なら私なんかより数倍、自然に静かに学校の非を訴えることができたはずだ。でもこどもの言うことを信じることができない、信じていても面倒なことを避けたい、責任をとりたくない。

 

友人も同じだ。どうして「中立」の立場にいようとするのか。どうして「判断」する立場にいようとするのか。どうして友達の否を「責める」「正す」ことができると思っているのか。

 

それはやはり「自分のことだ」という意識が持てないからなのではないだろうか。「それが社会」という言葉は責任逃れの言い訳でしかないと思う。それが今ある社会なら、それをどう変えていけば、娘が友達が生徒が生きやすくなるかを一緒に考えたらそれでいいじゃないか。

 

「社会」とは「自分」のことだ、「自分の行い」がそのひとにとっての「社会」になるのだから。そのひとのためにどういうふうにしていくかを一緒に考えることが、「社会」を作っていくということだと思う。自分一人にできることは少ないが、一人ひとりできることは必ずある。

 

そう思って今回、私は記録を残し公表することにしました。Nさんにも了解を得ています。

 

ずぶぬれ vol.6 快晴元年 夏

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よだんのよだん(巻末コラム)

 

呼吸困難の日々に酸素を注入する方法として、いくつかの経済的な療法をご紹介したいと思います。(効果には個人差があります)

 

まずいちばんメジャーなのが檸檬療法」(レモン・その他の果物を触る、においをかぐ、想像することによって癒される。発案・梶井基次郎ですが、さらにテンションを上げていきたい方には「色柄療法」(色・柄とりどりの紙や布を見て心をときめかせる。本屋・服屋、布屋・紙屋・画材屋に行ってみてください)をおすすめします。

 

少し専門的な方法としては「俳句療法」(普段思ってたけど言えなかったことを言語化して、公式化する。と少し許せるようになる。例・夏の季語「夜すすぎ」を知ってから夜の洗濯が好きになった!)というのがありますが、これはうまくできないために逆にストレスになってしまうおそれもあるのでご注意ください。

 

そして今回、絶大な効果を再認識しましたのは「おたより療法」です。夕暮れ時の職員室で生徒からのおたより(無理やり書かせたやつ)に返事を書くことで、一瞬孤独から解放された気がしました。その模様を一部中継いたします。

高校三年生女子たちの「しつもん・おなやみ・かんそう」です。

 

「テスト勉強をしていると眠くなってしまいます。どうやったら眠気がさめるのでしょうか?」

→私も若かりし頃「机de爆睡」の常連でした。がむしゃらに今宵も机で爆睡(俳句)。友達と連絡しあったり、漫画を読んだりすると目が覚めていつまでも起きてられるんですが勉強をする気はいよいよなくなります。

 

「やせたいです。でも好きなものは食べたいです。どうにかなりますか? それと勉強ができません。大学に受かる気が全然しません。もうむりです。あきらめそうです」

→勉強できたら好きなものを食べていいっていうマイごほうびルールを設けてみたらどうだろうか? 三つの願いがすべてかないそうだぜ。

 

「ないです。」

→はい。

 

「さいきんしゃくれてきたのがなやみではなをせいけいするか迷っています。たかくなるアドバイスお願いします」

→しゃくれてきたのにはなをせいけいするのですか? がんがん自分を褒めてみては?

 

「キライキライキライキライ! 先生たちはうそつき!」

→おっしゃる通りでーす!

 

「古典の勉強は何のためにしているの?」

→古典も療法かも。古人と友達になれれば、はかないこの世を生きる際の心強い助っ人になってくれます。

 

「自分が平凡と思った時、もういらんやん。普通なんやったらいらんやん自分。誰が心から必要とするん。ってなる。」

→なる。自分で自分を(他人を)殺さず生かす生き方を目指したい。強欲に。

 

「チョコミントが食べたいです」

→すぅーーーーーっっ

 

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かまし みさき(赤松 みさき)

 

1986年大阪生まれ。中・高国語教師をしながら15年にゆるいまなびや「ずぶの学校」を開校し、校長に就任。今年6月「やかまし村の種まき祭」を開催したこと、前の姓と二字しか違わないこと、自分がやかましくてたまらないことから姓を「やかまし」に変えました。今後ともよろしゅう。写真は6月、旧ずぶ邸での種まき祭の模様。

 

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ずぶの学校新聞 no.39

~ここが崖だわ~

 

6月は大阪を中心に大きめの地震がありました。「死」や「無」という視点から見れば、日常がいかにはかなくもろく、非日常の世界であったか、人間がいかにちっぽけで無力な存在か、はっきりと気付かされた出来事でした。



電車でちゃちゃっと移動することも、教室にのらりくらりと立っていることも、ずぶ邸でまったり過ごしていることも、全然当たり前のことではなかった。「奇跡的に生きのびているんだなぁ」ということを「あたま」で思ってはいましたがそれが「からだ」にずんとおちてきました。 

 


奇跡というのか、縁か、運かわかりませんが、まわりのひともそうなのでした。この時間・空間・人間(じんかん)が非日常の奇跡。目の前のひととゆるくゆるぎなくつながっておくことは、この壊れやすい大地にひとり、心細く暮らしていくうえでなくてはならない命綱だと痛感しました。

 

 

「ひととつながることはできないと思いますね」と高校の時に国語の先生が喝破していたのを思い出します。(その女性の先生はとある高校で奇跡的に再会し一年同じ職場で働くことになった。送別会の時に「今はともだちを三人までしぼりました。もう時間がないからね」と言っていた。貫いているー!)面と向き合って一本のひものようになることは、クローン人間でない限り不可能だと思う。それをお互いに目指すと共依存になり、まわりへのしわよせも大きくなってしまう。ランナーのように何かしらの同じような方向性をもって並走していて、お互いその横顔を見るしかない。つまり「わかる」ということよりも(それは無理だから)、その時その場でその人の苦しみ、痛みに「つきあう」ということ(かつて「つきあった」という記憶)が、ゆるくゆるぎなくつながっているという淡い希望をいつまでも持ち続ける方法ではないだろうか。

 

 

その瞬間同じコースを走っていても、じきにそれる。たとえ災害がなかったとしても、自分で作る壁、障害がなかったとしても、崖は常に人間の半歩前にある。前田司郎脚本のドラマ「徒歩七分」の最終回のタイトル「ここが崖だわ」。ひととの別れは死別に限らず突如来る。そのひとがそのひとの道を進みだすとき。そのとき相手の決意を受け入れられるように自分も自分のコースを進むのだ。

 


それははじめて2年一緒に過ごした卒業生を見送ったときに思ったことで、その巣立ちをきっかけに「ずぶの学校」がはじまったのでした。その卒業生も就職が決まった報告をしてくれたり、来年大学を卒業するということでお話に来てくれたりもしました。「子育ては親育ち」親の方が子離れできない問題児。こどもの足を引っ張ることだけはしたくないので、好き勝手にゆらゆら生きることにしています。


この一か月はそんなふうに「無常ということ」を再確認し、パソコンと名前を新調し、また新たに何をしようかなという気持ちになってきたところです。


やかまし みさき

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句会で作った俳画。ずぶ邸種まき後の庭の様子。塀の色を塗りかえたいと思っています。
「あわじはあじあ 自転車やかまし駅前」
「蚊がいてもいなくても書く淡々と」の二句を合わせました。

かたまりの中のひとりとして

父の日の句会の次の日の朝…
note.mu

 

地震がきました。大阪、震度6弱

 

地面を揺るがすような大変なことが起こっている時、そのことに触れないっていうのは犯罪のような気がした。反応のスピードが大事だってこともよく分かった。

 

わかっていながらも、手が震えていて、自分が逃げることに必死で書くことができなかった。

 

いつか来るはずだったカタストロフィが今日来たんだと思った。

 

大変なことってのは、結局「個人的」なことととらえられてしまうということも分かった。大変だと感じるのは個人だから……? 自己責任? たとえ地震というかたちで、ある程度の範囲のひとと同じ経験(一見)ができたとしても。

 

たまたま月曜日は仕事(学校)は休みだったのだが、その30分後に

「今日の授業は二限からとします」

というメールが来て、怖かった。大きく揺れたのは私だけだったのか?と思わせる力もあった。

でも、実際電車は止まっていたし、電話も通じなかったし。どうやって行くの? 連絡するの?

もしその日に授業があって行けてたとして、さあ授業をと言われても「何を?」それどころじゃない、自分のことでいっぱいいっぱいなんだよ。しかも相手もそうなんだから。授業なんかできるか!

 

これって個人的なことなのか?

個人的なことは社会的なことではないのか?

 

 

地震は広い範囲でかたちにあらわれるからわかりやすいし、まだ共有しやすいほうだと思う。

 

それでも、私は東日本大震災の時も熊本の地震の時も、そのあとになってからもそのことに文章で触れたことはなかった。当事者性のなさ、畏れおおさ両方あった。今はじめて触れた! 今回自分が揺れてみて、触れてもらえること、声をかけてもらえることはうれしいこと、正気に返るような気持ちになることをやっと実感したのだ。

 

何らかの(切実な)声に対して「応答すること」に関しては意識的にやろうとしてきた。が自ら発すること、特に怖い思い、苦しい思いをしているひとに、自分から名前を呼ぶこと(呼び戻すこと)って私はずっとできていなかった。今もなお苦手なことだ。

 

地震だったら、ここまでのことを割と多くの被災経験のあるひとに共感してもらえる気がするのだが、そのほかさまざまな痛みも同じことだと思う。

 

私は地震の前日まで別のことでいつになく沈んでいた。(地震のおかげで吹き飛んだ)

 

このことに関して、今までだったらひとに「相談する」ということは積極的にしようと思わなかった(できなかった)と思う。相談されることはあっても相談するのは苦手だから。「話す」ことが下手で、感情がうまく退けられず整理して説明できない。内容に嘘が生じる。誠実さに欠ける。そのことによってわかってもらえない、否定されたら傷つく。相手の考え方、気持ちを見計らって合わせてしまう。向こうも面倒くさいだろうし、そうなると私も申し訳ない。相談するほどのことじゃない(個人的なことだから)と思っていた。(そしてツイートに垂れ流したりもしている…)

 

それは、私が今まで大事にしたいと思ってきた「私」を主語にして話すってことなのじゃないのか?

できてないやん。面倒くさくてもやるんだった。

 

個人的な感情も、人に話すから社会的な感情になっていくのではないのか?

 

個人的な感情も、話せば相手にだって別の経験で思い当たる節があるかもしれない。今はなくてもその先そう感じるかもしれない。

 

しかしどうやって誰に相談するのか。

 

相談する前に相手に「期待」があり、相談してるうちに「説明」になり「配慮」になり「教授」になり「誘導」になる側面もある。そして「幻滅」になる。何をしてるんだ、自分。

 

そんな浮ついた言葉遊びの相談じゃなくて、まわりのひとにはただ知っておいてもらうだけでいいのだ。単なるアウトプット。迷惑でもそういう相談は積極的にしていきたいと思う。今しなかったら引きずってこじらせて、あとあともっと迷惑をかけると思う。ひとりでは生きられない。上に上がった体を下げてもっと地に足をつけてひとりふんばる。前のめりの姿勢を後ろにひいて、立つ。もっとずんずん行く、遠くまで。続ける覚悟。

 

一対一の関係では、存在を許して、見とめてもらうだけでいい。

 

そして全体に対して、話すことが苦手な私は書くこと、あるいは俳句(笑)、表現で議題を提出して相談に乗ってもらいたいと思う。

 

自分の座る場所は、自分で切り開いて整えていく

と思ってずぶの学校をはじめたんだった。原点。

 

かたまりの中のひとりとして。

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蚊がいてもいなくても書く 淡々と

 

 

名前を変えました

私あかまつみさきは、これから「やかましみさき」を通称名として活動していこうと思います。

 

「やかまし村の種まき祭」を経て、リンドグレーンの「やかまし村の子どもたち」を読み、女の子として生きるこどもの力強い意気込みのようなものを感じました。それはリンドグレーン女史の鼻息そのものでもあると思っています。

 

わたしはずっと旧姓が好きではなく、「赤松」になったときはよろこんで自分のことをそう呼んでいました。学校では生徒に名前を呼ばれる機会が多いので、旧姓よりその方が「先生」をつけて呼ばれるのに耐えられました。

 

ずぶの学校を設立し校長として外で活動するようになって、だんだん変な気持ちになるようになりました。文章を書いているときは特に。

 

手紙や、生徒に向かって話しかけるように書く文章は赤松でも気にならないのですが、外で全体に向かって発言するときに、書き終わって最後に署名するときに「あれ、わたし赤松じゃない…」ということを毎回思い出してしまうのです。

 

実はこの病は小学生のときからありました。アイデンティティの揺らぎ。私っていったい誰なんだろう? という。

 

みさきはみさきだけど…

 

所属がわからない…(できない…ない…)

 

「種まき祭」というイベントを開催して、「やかまし村のミーサ」というのはとてもしっくりきたので、またあかまつと二文字しか変わらないので、また自分がやかましくてたまらないので、「やかまし」ということばを名字にすればいいじゃないか! と思いつきました。グッドアイディア!

 

私が書くことを一歩引いて受け止めてもらいたいという気持ちもあります。「ばかにされ上手」の自負があるのです。

 

改名に関して「社会人として信頼できない」というおことばもいただきました。

 

顔写真や本名を出さないのは血を流していない(リスクを負っていない)のでよくない、信頼されないという気持ちも確かにありますが、できないひとや、したくないひとも確かにいると思います。

 

私の場合は単に「違う」というだけのことですが。「ちゃうちゃう」「ノンノン」といって生きていくみたいです。

 

主語のない「社会」に流されることへの反発(戦争反対への意志)

主語を「私」にして話すこと

「私」と「私」が関係を築く意志を持つこと

そのために「ゆるゆる生きる」こと

 

活動の原点です。

 

もし失った信頼があるなら、これから活動を続けていくなかでまた築いていきたいと思います。よろしくお願いします。

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やかまし村にて

ずぶの学校新聞 no.38

~やかまし村のジェンダー


旧ずぶ邸復興活動一周年記念「やかまし村の種まき祭」終了しました。

庭がにぎやかになりました。訪れてくださった方々が、それぞれに種や苗をくださって、みんなで植えました。朝顔あじさい、ローリエフウセンカズラ、綿花……メインの綿花は、収穫して人形を作って人形劇をする、わずかでも循環型の社会にするという野望があります。

今回の人形劇の脚本はリンドグレーン女史作「やかまし村の子どもたち」を自分たちに重ね合わせて考えました。

原作は、女の子三人(主人公を含む)と男の子三人の計六人しかこどもがいない、たった三軒の村のお話で、大人になった目で読むと(こどものときに読んでいなかったのですが)思うのは、女の子対男の子の構図になっているということ。「おとこのきょうだいはやっかいなものです」という章からはじまるように、やんちゃな二人の兄にあきれている女の子リーサのぼやきが基調になっています。八歳のお誕生日にはようやくやっかいな兄たちとお別れして自分の部屋をプレゼントしてもらい、快適な生活を送り始めます。

本をぱっと開いて劇の前座で朗読した章は、まちから都会の女の子とお母さんがやってきて、リーサたち(女の子たち)とともだちになるお話でしたが、兄たち(男の子たち)は話しかけたいけど話しかけられないので、ちょっと遠くで竹馬にのって気をひいてみたり、いろいろがんばって話しかけるシーンがありました。

これは大人社会の縮図だ。八歳にして「女」の自負が目覚めているのは、小さいときから兄弟を見ていて反省や反発が多い証拠だと思う。どんなおとなも、こどもがそのまま大きくなって多少やっていることが「本物っぽく」なっているだけで、中身は変わらない気がする。

 女性差別やセクハラは結局、「恋」の拙い表現なのだと思う。みんなモテたい。それはそうなのだが、表現の方法が力任せでセンスがない、無意識でヴァリエーションがないことが万死に値する問題なのだ。ださい。女の自負が強くなるのも、男を意識するあまりの「恋」の表れだと思います。

 「恋」は男女間に限らず、ひととひとの間に多かれ少なかれ生じる「差違」への羨望、ないものねだりの感情だ。「投影」もする。するなと言われてもすぐしてしまうので、どうやって落ち着かせるかというと、二つ(二人)きりにせず、たくさんパッチワークして、適材適所の役割分担をして全体を円満にするという、木を見ながらも森を見る作戦だ。

人形劇では「家族」の描き方に悩みましたが、ずぶ邸ではそういう区別もいらないような気がしたので「おばあさん」しか登場させないことにしました。一人一屋敷制。現実と同じように、架空のお話における家族にもいろんなヴァリエーションがあるのがいいですね。

マッチョな資本主義社会の恩恵を受けて生きているのですが、そういう社会からひとまずお別れして遊べるリーサの部屋のような場所が旧ずぶ邸です。

 説明や評価はいらないし、年齢や職業や、「女」とか「母」とかいう言葉もいらない。そういうことをいったん忘れて、ただ「人間」として楽しく、うふふと集まることのできる場所、休憩所でありたいと思います。そしてまた現実に帰って、気持ちも軽やかに、慣習のごっこ遊びをしたらいい。どっちが夢か現実かよく分かりませんが。


ミーサ

 

 

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(種まきに向け意気込むやかまし村メンバー:左からテラッタ、ミーサ、コニー、チッサ)

種まき祭 一日目・二日目

金曜日から種まき祭がはじまったのですが、私は授業があったので少し遅れて参りました。


昨日の授業もものすごくつまらなくて、やっているあいだもずっと嫌でした。が、エリさんのレッスンを受けた直後でもあり、諦めてはいけない!とも思っていました。


漢字と問題演習の授業という、そもそもつまらない内容なのでして、しかもクラスはあんまりものを考えるのが好きではないひとたち。


今回は、評論ではなく有川浩の「県庁おもてなし課」という小説の一節で(有川浩は一冊も読んだことがないので全然知りません)高知県の観光推進の仕事をしている主人公が、県にひとを呼ぶための設備がないことを嘆いていたところから、二人のりのパラグライダーで空を飛ばせてもらうと、高知県の自然、海、川、山、空の価値を再確認して期待にふるえるという場面。

まさにずぶ邸のことじゃないか!

ずっとないものねだりをしていた私が、「あるもの探し」「あるもの生かし」を志すようになってずぶ邸再生活動をするようになった流れと同じ。

と思ってびっくりしましたが、その話をどこからどういうふうにするんだべ?



……無理だ。



アンダーグラウンドすぎて生徒を混乱させまくるような気がして、そこは諦めたのですが何かないかなと思って頭の中をくまなく探した結果、

高知県に行ったことある?」

ということばがでてきた。

私は行ったことあるねん~ともだち(中西さんです)とコンテンポラリーダンスの公演を見に行ったんだった。よさこい号というバスに乗ってね、四国は意外と山が険しいし、高知は四方を山と海に囲まれていてかなり隔離された地域みたい。

あ、それも司馬遼太郎の「龍馬がゆく」を読んでさ、知ったことでもあるんやけど。全8巻あるけど実は最後の巻を読めてないねん。なんでかっていうと、龍馬が死ぬとこを読みたくなかったからさ。悲しいやん。だから私の中で龍馬はまだ死んでないねん。うふふ。


などという話をつらつらしていると、教室はほとんど寝てたけど、いつもは無表情でいたり寝ていたりする女の子数名が顔を上げて笑顔で話を聴いてくれていた。

ことが本日の救いです。

諦めないで、何か考えて行動してみて良かった。
(良かったレベルが低くて嫌になりますが)


今日は二日目。人形劇とダンスの日でした。
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やっぱりお人形が動くのって夢があって浮かれてて嬉しいことだなと思います!

ことばと人形(布)と動きと音楽

どれも好きなものだから、人形劇はライフワークにしたい。

念願のスタジオズブリ。せっかくかっこいい舞台を作っていただいたので生かしたい。

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前座で本家のやかまし村朗読。泣きそうになった。


今回はこけら落としで、表面的には「THE 人形劇」といった感じだったけど、これからいろんな人形劇、もう少し実験的なものもやってみたい。

実際は、翻訳文学の時空をこえた、ちぐはぐな文体を味わっていただきたかったのですが、どうでしたでしょうか。

演劇風朗読じゃなくて、もっと自分を生々しく生かせるようなコンテンポラリーな素のままな人形劇をやってみたいな(俳句もそうだけど)

ダンスでは、中西さんの動きに合わせてカーテンを引いたり、音を鳴らしたりするのが楽しかった。能みたい。

うじゃのエリさんや中西さんに学んで模索します。

終わってほっとしながら、こにしさん作の「つむじ」という民芸品作りをさせてもらいました。
こにしさんが作った粘土のかたちに合わせて細かく色を塗っていく。元のかたちを生かしたいなぁと試行錯誤。

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塗るのを失敗しても、こにしさんは

「失敗なんかない」

と励ましてくれます。やかまし村のこどもぐらいの女の子も来てくれて一生懸命色を塗って帰ってくれたのは嬉しかった。また時空を超えた。

勉強になる。
私はこうやって何気なく学びながら時間をしのいでいきたい。

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楽しいから、というのももちろんあるが
時間のしのぎ方(遊び方)として(たぶん全員が)一番幸せだと思う方法が「創作」なんだと思う。

「家族だけ」でも「職場だけ」でも「その両方」があっても重たすぎて暗すぎて嫌なんです。

もっと他に方法あるやろ、と思うんです。考えろ!
それが今の活動です。

誰かと面と向かい合うのも、ひとりでいつづけるのもできなくて、こういう場所、時間がないと自分がしんどくなる。

時間をしのぐのに何かを消費するだけじゃなくて、関係を築きながら何かを生み出すこと。いや、何かを生み出すことで関係を築くこと。

そのための創作であり、勉強だ。
だからできばえは実はそれほど問題ではない。
心を打つかどうかは差し迫っているかどうかだと思う。

全く元気だけど、耳が遠くなったおばあちゃんと、家族だけで向かい合うのはつらいと思っていた。うちはみんなが集まるような親戚づきあいが全くないからだ。そして私には家族の緩衝材になるであろう「こども」もいないからだ。最近はとても楽になった。私ひとりじゃなくて、みなさんに見守られながら存在の重さをまんべんなくしてもらうと私が楽なんです。

法事みたいなものはきっとどんな団体にも必要で、家族でできなければ外部のひとともできるんだなぁと身に沁みている。それも閉鎖的ではなくオープンに、より気持ちよく積極的にできるのだった。


意識的に依存先を増やさないとどんどん閉鎖的になってしまうのが現代社会のシステムだと思う。それに飲み込まれないように、仕事でも遊びでもないけどその中間の時間空間で、好きな人を巻き込みながらどうにか自分を保ちたいと思っている。

空き家っていうのは、そういうことをするために空いている気がする。必死になって必要なもので埋めてしまわなくてもいいような気がする。

老いや障害を家族だけでは背負いきれない。
今回、人形劇の舞台の布を縫うのにおばあちゃんが大活躍してくれた。こういう関係性が一番楽で楽しくて嫌いにならなくてすんで幸せだ。おばあちゃんはどうか知らない、でもこれまでは年一回行くか行かないかだったところ週二回も行くようになったんだから、よろこんで…(いるかは知らない)


まわりに喜んでつきあってくださる皆さまがいることが幸せに思います。カンパも本当にありがとうございました。
ここは私にとっての学校でありアトリエであり病院であり寺です。

明日は寺嶋さんの放送部を聴いてから庭に種をまきます。