床の間の(に限らずどこでも?)お掃除をすると運気が上がる!ということで、おばあちゃんちから発掘した掛け軸をかけ、おともだちにいただいた風鎮をかけ、ご近所さんからいただいた香炉を置いてみました。
昭和の時代、文豪たちの時代の生活に思いを馳せつつ…
与謝蕪村は都島区毛馬で生まれたそうですが、幼少期の不遇な生い立ちのせいか、故郷をあまり好きではなかったそうで、本人も言及したがらないし、みんなにも忘れられてる事実みたいです。
(毛馬には蕪村公園があり、JR城北公園駅は蕪村生誕をおしてます)
🦋郷愁の詩人 与謝蕪村🦋
「ふるさと」ということについて考えてきたわがはいとしては「郷愁の」っていうのはどういうことなんか、と気になりました。
日本近代詩を確立したといわれる著者萩原朔太郎(はぎわらさくたろー•さそり座)は生来、東洋風枯淡趣味の俳句に興味がなかったばかりか、「毛嫌いしていた」(笑)そうですが、例外的に蕪村だけは好きで若いときから愛誦していたとか。
(好き嫌いはっきりしてて嫌い!って言うのおもしろい😚作家の文学論は文学的でありながら、好き嫌いで主観的に書くこと辞さないのがおもしろくて好きです😚)
蕪村はよく芭蕉と対比され、西洋的絵画的な蕪村と、東洋的哲学的な芭蕉、というのが大方のざっくり評価だそうです。
「昔は芥川くんと芭蕉論を闘わし一も二もなくやッつけてしまった(が今は僕も芭蕉ファンの一人である)」と突然の芥川くん登場!
ほほえましエピソード💓
対岸(東淀川区)に生まれたものとしては
「春風や堤長うして家遠し」
(そう!今ちょうどそうおもてたとこ!てなりました)
の句はどうしても淀川の土手を想像するにゃ〜…🐱と思ふ今日このごろ。。
「誠に、蕪村の俳句においては、すべてが魂の家郷を恋い、火の燃える炉辺を恋い、古い昔の子守唄と、母の懐袍(ふところ)を忍び泣くところの哀歌であった。それは柚の花の侘しく咲いている、昔々の家に鳴るオルゴールの音色のように、人生の孤独に凍え寂しむ詩人の心が、哀切深く求め訪ねた家郷であり、そしてしかも、侘しいオルゴールの音色にのみ、転寝(うたたね)の夢に見る家郷であった。
…「心の家郷」を、芭蕉は空間の所在に求め、雲水の如く生涯を漂泊の旅に暮らした。しかるにその同じ家郷を、ひとえに時間の所在に求めて、追懐のノスタルジアに耽った蕪村は、いつも冬の炬燵にもぐり込んで、炭団法師とともに丸くなって暮らしていた。芭蕉は「漂泊の詩人」であったが、蕪村は「炉辺の詩人」であり、殆んど、生涯を家に籠って、炬燵に転寝して暮らしていた。」
その後「炬燵(こたつ)の詩人」ともいわれてる💓蕪村、荒れた村も毛馬のことなのか、嫌がりつつもこたつで思い出すふるさとの風景は、やっぱり淀川沿いの風景だったのかにゃ〜🐱
一方、アウトドア派の芭蕉は遍歴の果てに、夢を枯れ野にかけめぐらせながらここ大阪でなくなったのだとか。
どこ?!
それはね…
御堂筋のど真ん中(車道の中洲)に「この辺」という碑がひそかに建ってました🙀
チャンチャン。
🌼旧ずぶ邸•長持文庫🌼
4月15日(土)16日(日)
13じ〜18じごろ
1階入口長持文庫おーぷん
2階ワークショップも随時開催です。