もやもやずぶちゃん

旧ずぶ邸あるじのイントンコントン日記

旧ずぶ邸あるじの

ゆめうつつ、半信半疑の

いんとんこんとんらいふ

なんクルクルないさぁ~♪

明治の西遊記🐵🐏🐑

堺にある寺子屋「清学院」

を見学してきたヨ〜

 

南海電鉄七道駅から歩いて

10分から15分ほど?

 

七道の駅前には

明治時代にチベットヒマラヤを

羊二匹🐑🐏とともに

放浪乞食修行した

河口慧海(えかい)というお坊さんの像が

立っている〜

妙にリアルな動きのある像🐘二匹の羊もちゃんといる💚

 

漱石や熊楠と同じ年ごろのお方。

ここ堺の人らしい。

 

清学院はその慧海さんが

さいころに学んだという寺子屋

 

か、か、

 

かわゆー❣️

 

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縁側もあり…


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お堂もあり…

(不動堂は撮影禁止でした)

以降このパンフレットより引用多用📝

 

こんなところで

少人数で学んだら

楽しいやろうなぁ〜〜〜

と想いを馳せる。。

 

(慧海さんが入った1871年は

男子48名、女子35名もいたらしい!

多!むり!笑

6人ぐらいがいい〜

後ろまで机があったのかなー)

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展示されていた教科書は

唐詩選」

 

わが大学の専門は中国文学

(唐の時代の詩、唐詩が研究テーマ)

でしたが

 

そのこころは

漱石や明治時代の文豪たちが

どういう勉強をして育ったのかに

興味があったからなのでした。

 

いま思えば

そもそもスッカスカの現代の学校教育に

ズーッと疑問持ってたんやなぁ〜😹

 

こゝろ

が抜け落ちてる…

 

無❗️

ムム‼️

 

わが高校時代は

有志の放課後補習(週一ぐらい)を

好きな日本史の先生がやってくれてて

先生1人、生徒3人〜4人ぐらいの少人数制で

みんなが当てられる前に自主的に答える

みたいな雰囲気の

ワイワイたのし〜勉強してた。

(声出すしメチャ覚えられる〜)

 

あれは寺子屋やったなぁ。

(渡邊崋山の一掃百態より) 昔から好きな寺子屋の絵

 

しかもお堂があって

人との心のつながりや

信仰心の育成もできるんやなぁ。

 

すばらしい…

 

こゝろを大事に。。

 

ここは江戸時代修験道の寺院で

江戸後期から明治初期にかけては

「清光堂」

という寺子屋だったということです。

 

修験道とは…

 

日本古来の山岳信仰をベースに仏教や神祇信仰、陰陽道などの要素が加わって形成された宗教。

山伏によって広められた。

 

とのことで

 

つまり

 

山岳信仰=山登り(旅)

陰陽道=占い

山伏=ノマドの宣教師

 

みたいな感じ?

 

山伏に寺院があるって知らなかった。

(中世後期以降、都市や農村に定住するようになったらしいです)

 

明治政府により

修験道も禁止されるのですが

庶民信仰とまじりあって

昭和40(1965)年ごろまで

ここでさまざまな地下活動が行われ

草の根魂が培われ

地域の人々のこころの拠りどころ

精神的アジトとなっていたようです。

 

自治力の強い堺だからこそ

残ったのかもしれません。

 

旧ずぶ邸もそういう場所

こころざしたい!と再確認できました。

 

修験道かぁ〜

やっぱり旅と占いやね〜🍙🔮

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最初に勤めた女子校がカトリックやったことを思い出し、船と信仰も好きやったということに気がついて宣教師にも興味わいてきたけど(ZEN ZEN前世宣教師やった?)ここ堺にはザビエル公園なる場所があり、かのフランシスコ・ザビエルが滞在していたことがあるらすぃ〜

 

教えるひと(先生)が教師を職業とするのではなく、修行(勉強)中とか、何かを作るひと、希求するひと(求道者)であることがいちばん望ますぃ〜のではないだろか〜❔