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旧ずぶ邸あるじのイントンコントン日記

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命がけの愛とユーモア

三島由紀夫の作品の中で今のところ一番好きな作品を紹介します。

作家の「異色作」が好きで、実験的な感じがおもしろいと思うタイプです。

 

※映画から入りました。「桐島部活辞めるってよ」の監督だそうです。

 

三島由紀夫『美しい星』あらすじ(1962年)
地球とは別の天体から飛来した宇宙人であるという意識に目覚めた一家を中心に、核兵器を持った人類の滅亡をめぐる現代的な不安を描いた異色作。痛烈な現代批判を含みつつも、作者の宇宙規模の嘘には、チッポケでどうしようもないやつだけど美しい「人間」に対する壮大な愛とユーモアを感じてしまうので、やれやれとほほえみながら本を閉じることになるでしょう。

 

以下、ネタバレしてしまいますが、ご興味のある方はご覧ください。

 

【登場人物】
 大杉 重一郎(52)無職  火星人
    伊余子       木星
    一雄        水星人
    暁子        金星人         竹宮(川口)薫  触媒

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 羽黒 真澄(45) 大学助教
 曽根       大学前の床屋
 栗田       羽黒の元教え子・銀行員

 黒木 克己(かつみ)    政治家


【あらすじ・構成】
 第一章 一家で山へ、円盤現れず
 第二章 一家の俗世とのギャップ
 第三章 暁子、金沢で竹宮と円盤を見る
 第四章 惑星の集結 一家だんらん/重一郎、政治的嫌疑をかけられる
 第五章 仙台にて 羽黒一党、円盤を見る
 第六章 暁子の妊娠発覚/核実験起こる/重一郎、金沢へ
 第七章 黒木に心酔する一雄/羽黒一党、東京入り
 第八章 一雄、黒木・羽黒一党に父の正体を明かしてしまう/羽黒一党、自宅に襲来
 第九章 重一郎の反撃
 第十章 真実を知る一家、山に登り円盤を見つける

 

いくつか本文から抜粋をしてみました。

彼がある朝、庭の生垣の茶の花の一輪を摘むときに、この地上のどこかでは、ふしぎな因果関係によって、(おそらく摘まれた茶の花が原因をなして)、誰かが十噸(トン)積のトラックの下敷きになっているかもしれないのだ。

 

つまらない意地や行きがかりを捨てて、地球人の未来について真剣に語り合うべきだ。それから半熟卵の茹で具合について。ああいう人たちはあまりにも日常の具体的なものから離れてしまったから、世界に禍いが起きたのだよ。

 

核実験停止も軍縮もベルリン問題も、半熟卵や焼き林檎や乾葡萄入りのパンなどと一緒に論じるべきなのだ。宇宙の高みから見たら、どちらも同様に大切なのだ、ということを彼らに納得させなくちゃいかん。地球人は殺人を大したもののように思っているから殺人を犯し、その誘惑から逃れられない。

 

『われわれ人類は生き延びようということに意見が一致した』と。

 放鳩も軍楽隊も何も要りはしない。そう言ったとたんに、すがすがしい一日が辷り出すのだ。地球がその時から美しい星になったことを、宇宙全体が認めるだろう。 

 

『何故私はここへ来る気になったのか。もしか使命が無意識の裡に私を推して、ここに集まった俗界の有力者たちの目をひらかせてやるという仕事を与えたのではないか。そうでなければ、これほどにも世界の統一と諧和から離れた場所に、私がわが身を置く気になった筈がない』

 

今地上に永遠の平和を確立しなければ、人類の前には大きな暗い墓穴が口をあけているだけです。今すぐ日常の雑務を忘れて、私と一緒に、地球を救済する大使命のために、第一歩を踏み出して下さい。

 

いいかね。集団の時代はもう終ったのだ。集団の時代が終わったということは、おもてむき画一化をすべての建前としている現代史の、実は最も怖るべき秘密なのだ。核心をおしゆるがし、人間を自滅させる行き方なんだ。悪が孤独な詩のようになり、詩が孤独な悪のようになっているのが、現代の本当の状況なんだよ。みんなは集団化と画一化の果てに戦争がはじまるように思っているが、実は一人の個人の小さな詩から戦争がはじまるのが現代なんだよ。

 

ここを読むと三島由紀夫が東大全共闘と討論したときの「決闘」のくだりを思い出します。

 

私は一人の民間人であります。私が行動を起こすときは諸君と同じ非合法でやるほかない。決闘の思想で人をやれば殺人犯だから、そうなったら自分も自決でもなんでもして死にたいと思う。 

三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実より)

 

こう言って一年半後に本当に自決した三島の思想は「個人の小さな詩」であると感じますし、彼の生きざま死にざまも「個人の小さな詩」であるように感じます。その「個人の小さな詩」がここまで社会を動かし、多くの人に今なお影響を与えていることに感動します。

 

大きな社会に小さな個人が巻き込まれ、つぶされ、殺されるのではなく、小さな個人が社会を巻き込み、破壊し、変化していくことが、ほとんどなくて嘘ばっかりの世の中で、夢物語のようですが本当の姿だと思うのです。小さな個人のまま、ごり押ししたことが痛快!

私が開いているずぶの学校もそういう行き方をしたい!と思っています。

 

ことばとからだを一致させた彼の詩の迫力、命がけのユーモアとやさしさに心を打たれます。

 

これは、宇宙人と自分を信じた人間の物語りであつて、人間の形をした宇宙人の物語りではないのである。そのために、主人公を、夢想と無為にふさはしい、地方の財産家の文化人に仕立てる必要があり、また一方、ここに登場する「宇宙人」たちは、完全に超自然的能力をはぎとられ、世俗の圧力にアップアップしてゐなければならなかつた。全編の五分の一を占める論争の部分は、ずいぶん読者を閉口させたやうであるが、ただの人間にすぎぬものが、人間の手にあまる問題を扱ふことの、一種のトラジ・コミックの味を私はねらつた。当然それは、むりに背伸びをした論争であるが、それを直ちに非力な作者の背伸びと解されても、仕方のないことであつた。
—「三島由紀夫「『空飛ぶ円盤』の観測に失敗して――私の本『美しい星』」

 

「人間の手にあまる問題を扱ふことの、一種のトラジ(悲劇)コミック(戯画)の味」

三島由紀夫にしては、何とも言えないおとぼけ感のある作品でありながらも、三島由紀夫でしかない!というべらぼーなところが大好きなのです。