もやもやずぶちゃん

ずぶの学校のやかましみさきです。絵や文、俳句、ぬいぐるみの創作、人形劇、手作り作品のお店をしています。ワークショップ、オーダーメイド受付中。おたよりください。info@zubunogakkou.com

ずぶの学校のやかましみさきです。

絵や文、ぬいぐるみの創作、人形劇、手作り作品のお店、

表現の家(ライブハウス)をしています。

ワークショップ、オーダーメイドも受付中!

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ずぶとじぶpresents 注文の多い小劇場

22日土曜日、無事終演いたしました。

 

ずぶとじぶpresents 「注文の多い小劇場」


9月22日(土)14時~/18時~ ■参加アーティスト 今村達紀 木村玲奈 ■観覧料 1500円 ■会場 旧ずぶ邸(ずぶの学校) 〒533-0022 大阪市東淀川区菅原6-24-17 阪急淡路駅より徒歩6分 ■ディレクター 中西ちさと(じぶ) 小屋主 やかましみさき(ずぶ)

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左から、じぶ、ずぶ、今村さん、木村さん

 

 

◎イベントのきっかけ

6月に種まき祭を終え、ひきつづき旧ずぶ邸の再生活動の方法を模索していた私ですが、四人の遊び人メンバーのそれぞれにそれぞれの生き方があり、仕事(したいこと)があり、私との関係性があるので、全員が同じ金額を出しあって、毎週必ず集まって何かを作る(作らなければならない)と決めることはできない、決めたくないと考えました。

 

そう決めてしまうと、現状の「学校」や「職場」のように嫌々でも行く(行かねばならない)という悲しい事態が発生しかねないと思ったからです。

 

それでもやはりこの場所の新たな可能性を探りたい、少しでも経済を回したい、がひとりではどうしようもないという思いがあり、私は「じぶ」こと中西さんに相談していて、中西さんは「なんらかのイベントをしよう」と言って一緒に考えてくれました。

 

中西さんはダンサーとして活動するなかで、作品を発表したいあまりに経済の部分を後回しにしてしまう(選択肢がない、じぶ曰く「好きの搾取」)ことがあると言っていて、私はそこに疑問を感じ(なぜそうなってしまうのか?)、もう少し踏み込んでみたいと思いました。

 

一生懸命お稽古して、世の中にまたとない、いい時間、空間を作っているのに、それだけの報酬(評価)なのか?と傍から見ていていつも悔しかったのです。

 

社会は本当にそのアーティストに生きていてほしいと思っているのか?

そのひとの存在価値を認め、尊重しているのか?

 

劇場、主催者側(社会)と演者、アーティスト側(個人)の関係には、ある種の支配関係、上下関係を生んでしまっている部分があると感じます。

 

ずぶとじぶが小さな「社会」となって、アーティストさんに来ていただくからには最低このぐらいのお金は支払いたい、また自分たちもこのぐらいはないと赤字になる…というような金額を考え、下記のような「注文」を案出しました。

 

【お客様へ】
当劇場は注文の多い小劇場ですのでどうかそこはご承知ください。

当劇場はとても小さな劇場です。築80年の古民家で、20人ほどしか入りませんので早めのご予約をお願いします。

観覧料として1500円をいただきます。
劇場はその半分をいただき、残りの半分はすべてアーティストにお渡しします。

上演が終わったあとは自由にお話会にご参加ください。

お帰りの際、お気に入りの作品、アーティストがございましたら応援料をお包みください。
(お名前の有無はおまかせします。記名された場合、後日アーティストよりご案内やお礼のお手紙がくるかもしれません。この応援料はすべてダンサーに還元します。)

 

【アーティストの方へ】
当劇場は注文の多い小劇場ですのでどうかそこはご承知ください。

照明や音響はほぼほぼありません。古民家の雰囲気を活かしたパフォーマンスをお願いします。

会場となる旧ずぶ邸の二階部分をパフォーマンスエリアとします。公演をする前の実験の場としてダンサーは当劇場をお使いください。(稽古場としての利用は、ご相談ください。)

アーティストは公演後お話会にご参加ください。

アーティストには入場料の売上の5割(1人2.5割)と、応援料のすべての額をそれぞれお渡しします。

積極的な広報協力をお願いいたします。

 

実際に私も自分で出費して運営している身なので社会の側も大変なことはわかりますが、大変なら「大変なんだ、困っているんだ、あなたの力を貸してほしい」と正直に本音を打ち明け、相談し一緒にどうにかしようとする姿勢をもてばいいのではないか?

 

その姿勢に応えてくれるひととともに問題に向かっていく。それが普通の(支配も依存もない)関係性だと思います。

 

今回の来ていただいたお客様は

 

昼の部 9名

夜の部 11名

 

で1500×20人=30000円でした。ありがとうございます。

 

30000円÷4人(ずぶ・じぶ・演者さんお二人)=7500円/人

 

加えて演者さんにはお客さんからそれぞれ応援料とメッセージカードが直接贈られます(ずぶとじぶを経由せず)。

お二人が封筒を開けてとても喜んでメッセージを読んでいらっしゃる様子を見て、ずぶとじぶもとても嬉しく胸が熱くなりました。

 

いつも以上に心のこもったメッセージもたくさんあったそうで、これまで劇場でやっていた「アンケート」のかたちも実は事務的だった(聞き方が悪かった、やっつけ感があった)、再考の余地ありという気づきもありました。

 

台風で割れたずぶ邸の窓修繕費用にも3100円の募金をいただき、また演者さんのお一人からはずぶの校章をお買い上げいただき(募金になります)、人が自分の意志でコントロールしているお金が気持ちよくぐるぐる回っているのが健康的で幸せでした。

 

お金の話ばっかりになりましたが、私はお金は「気持ちを表現する手段」であり「そのひと(団体)の仕事(存在)への尊重を表現できる行動」だと考えています。

(そのことに踏み込まれないことが傷つくという経験があったので)

 

自分のお財布と相談して、相手への尊重の度合を考えることは、ことばを考えるのと同様に、とても温かく大切な時間だと思います。

 

◎長屋で創作する時間

小劇場となったずぶ邸で数日間、演者さんたちとともに過ごして長屋のおもしろさを再確認しました。境界線があいまいで、それぞれがそれぞれのまま、なんとなくふわっと共存できる空間。

 

関係性も立場も役割も謎めいてくるのは、やはりここが「劇場」ではないただの家(ものが多い)だからかもしれません。

 

当初はもっとものを片付けたり、補修したりして、すっきりシンプルに(?)させる予定でいたのですが、お二人ともありのままの家にすっとなじんで、溶け込んでいらっしゃって、その違和感のないたたずまい(あり方)がそれだけで魅力的でした。

 

今ここにある空間をそのまま把握しようとする力、探求心、柔軟性がプロだなぁ…と憧れます。

(教室でもそうありたいものです)

 

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北側:はがれた壁をどうしようかと思案していると「そのままでも全然いいですよ~」とおっしゃってくださった今村さん。

 

真ん中:封筒づくりにいそしむずぶと写真を撮るじぶ

 

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南側:先日の台風で割れてしまった窓…

「ブルーシートでもいい、それもいい」とおっしゃってくださった木村さん。

逆にブルーシートが美しく見えてきた…(え?!)

 

木村さんの衣装(装束?)は、ここにあった布や服を組み合わせたもの。

東京の家から送ってもらうこともよぎったそうですが、ここにあるものがここになじむと思いそうされたとのことで、この空間を生かすということを細部まで考えてくださっているんだなぁとしみじみ。

 

服はずぶに集まるひとたちの古着(ブティックで販売中、300均)。ひととものの歴史についてももう一度じっくり思いをはせる時間となりました。

 

◎作品を観覧して

作品の動画は後日アップする予定ですが、自分の印象と感想を興奮冷めやらぬうちにまとめておきたいと思います。

 

木村玲奈さん「アラームが鳴るまでは」

「普段この家にはひとが住んでいないと聞いて、じゃあ一番長く住んでいるのはぬいぐるみたちだ」主にずぶが作った歴代の不思議なぬいぐるみたちを「出演者」(名前や設定なども詳しく聞いてくださいました)とし、ご自身は「黒子」のようなスタンスでいたとおっしゃっていました。

 

木村さんの作品の細部の丁寧さと全体の美しさは、個人的に柴崎友香さんの小説を読んでいるような、心地よいが謎めいた気持ちになります。劇的な展開ではなく何気ない風景の中に、よくよく見るとディテールにおもしろさ(ユーモアや切実さ)が散りばめられているような。

 

今回は90年代のトレンディドラマ風のタイトルをつけられたとのことでしたが、このタイトルが随所で響いてくる作品だと感じながら観ていました。

 

アラーム(iPhoneに入っているものだそう)でシーンを移動することが絶対的に決まっており、アラームが鳴るまではその場所で過ごすことが許される。

 

毎朝のことですが「アラーム」というのはなんとも無慈悲で無機質で有無を言わせない音だと思う(夜型人間ずぶ)。どんな夢を見ていようとも朝アラームが鳴れば移動しなければならない。これを一日ととらえることも一年ととらえることも、一生ととらえることもできると思った。今なら、地震の前のアラームもそうだ。突然そのときは来る。それまでの時間をどのように過ごすのかは自分で決めることだ。

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実はこのシーンは「観客に写真を撮ってもらう」というもくろみがありました。

自分が観客だったら撮れないだろうなぁとは思っていたのですが、案の定、皆さん凝視するのみ…

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……ち、近い(笑)

しかし「え、もしかして? ん?どっちだ? いいのか? やるのか?」というようなちょっとした緊張感が漂い、また木村さんの方でも声を出さないで「いいのよ、さあ、おいでなさい」ということをどこまで伝えられるのかを必死に探っていらっしゃる様子、そのかけひきがとてもおもしろい場面でした。とっさに枠を超えるのは難しい。

 

生徒に発言してほしい、主体的に関わってほしい、自分の教室での様子と重なるところがあり他人事とは思えません(笑)

しかしそれもチャイム(アラーム)が鳴るまでのこと。

 

今村達紀さん「もけもけしたものがはみ出てくる」

舞台転換をしながら自身のご家族、片腕のないひいおじいちゃんのお話をされ、じっくり聴きました。我ながらぎょっとする、ぬいぐるみの勢ぞろいから解放されちょっとほっとする観客たち(私)。

作品と作品の間の境界線もあいまいでやわらかい自然な雰囲気が保たれ、よかった。

 

今村さんも、木村さんと同じく思い出、記憶ということをやはり考えられたそうだ。そういえば私もこの家では自分の過去や原点のことをよく思い返していたのだった。

 

懐かしい家、ぼろぼろのきしむ家がそうさせるのかもしれない。私も住んでいたことがあるわけでもないこの家がなぜかふるさとのように感じることは多かったが、同じように感じられる方もいるのだ。

 

ワンカップと戦争の形見である不発弾をお供えのように前に並べて繰り返し踊る。安心感、安定感のある語り、動きを静かに見守る。

 

「家鳴り(やなり)はそこに住んでいた故人が「小鬼」的なものになって鳴らしている音なんじゃないか」というお話もとても夢があって好きだった。これからそう考えてこの家で過ごそうと思う。タイトルの「もけもけしたもの」はきっと小鬼のことだ!と思って観ていました。

 

家で鳴っている小さな音を採取して大きくし繰り返す。掬いだす。私が気づいていなかったこと、別の視点から「すでにそこにあるもの」を見つけ、生かしてくださることが本当にありがたかった。

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公演後のお話会もなんと全員が参加してくださいました!びっくり…

 

中西さんの公演をお手伝いしていて、公演後に来てくださった方々から感想を聴いたり、ゆっくり書いてもらったり、お話する時間ってとても大事だけど、立ち話になってしまったり急かしてしまったりするのもなんだなぁと思っていたので、ここではお茶をすすりながらまったりした時間を過ごすことができてよかったかなぁと思います。

 

注文が多くなった理由や、イベントのきっかけ、この家のなりたちなどを話したり、相談したりすることがしたかったのです(やかましいです)。

 

今回「劇場」を自分たちで試行錯誤したこともあってか、いつも以上に生で、ライブで、この場にいあわせることのおもしろさ(じぶ曰く「スリリング」さ)みたいなものをからだで感じた。演者さんが誠実に切実に踊っているその場所で呼吸することで、熱(体温)のようなものが伝わってくる。

 

私としては創作段階からその過程を目の当たりにできたり、お話を伺えたことも臨場感(当事者性)をかきたてる貴重な時間だった。

 

「勉強」もそうなのだが、「創作」する、など何かを「する」までの距離というのは、なかなかに遠い。それをするまでに立ちはだかる問題(別の問題、気になっていること)が山積みで、途中で力尽き、そこまでたどりつかないひとが実は多いのではないかと思っている(私がそうだから)。

 

その道のりというのは、ひととひとが話をする、心を通わせる時間を持つことで地ならしができ、環境が整っていくのではないかと思う。

 

自分が前に進んでいく原動力になっている部分を毎回毎回確認しながら進んでいかなければ、しなくていいことやしたくないことをやってしまったりする(しかも気が付かぬままそれが慣例的に「仕事」になっていったりする)気がする。

 

等身大の人の手で作られた温かい「劇場」

(同じ調子の「学校」も作ろうとしています…いやこれがもう学校なのかもしれない)

 

自分たちの手や頭…体、存在を起点に生きる(実存主義的な)、外部からあてがわれた型に自らはまってしまって思考停止している部分をほぐし、自分たちの体に取り戻すということが「創る」ということなのではないかと思う。

 

木村さんがおっしゃっていてとても嬉しかったのは

「今回流す曲は、自分が今ここで聴きたい曲を選んだ」というおことば。

(しかもそれはサティの「あなたがほしい」!ずぶもサティ好きなのです!)

どういうふうに見られるかではなく、自分の気持ちを大事にする。

 

私が学校だと言えば学校だし

私が劇場だと言えば劇場だし

 

他人にとやかく言われることではない、自分で決める、認めるということが正解。

それが私の目指すべき方向性です。

 

ずぶとじぶにとってはこの家全体が作品であり、「劇場型パフォーマンス」(つまりは「劇場ごっこ」)だったといってもいいのかもしれません。なんにでもなれる、ぬえ的な家。

 

反省点もありますが自分たちで考えて丁寧に生きるということ

「NAKAYOKU TANOSHII OMOIYARI」

(サンリオのテーマであり、ずぶとじぶのモットーであります!)

がひとまず実践できたようで満足しています。

 

イベントを組み立ててしゃきしゃき進行してくれたじぶディレクターにも大感謝です。

こうるさいずぶとじぶですが、次は11月に新長田で会いましょう!

ずぶの学校新聞 no.41

~ノンバーバルで自由なだんらん~



夏休み、過労で心身を病んだ兄(石川県在住)が仕事を一か月休んでいるということで、ずぶの学校にやってきた。以前会ったのはいつだったか思い出せない。2~3年ほど前だっただろうか。

仕事が忙しい上に遠いので、会うためには意識的に動かない限り困難だった。というか、「忙しい」というのは心を失くした状態であり意識がないため、ふと「会う」という発想に至ったとしてもすぐに流されて忘れてしまう、といった具合かもしれない。一日一日過ごすのが精いっぱいだったと思われる。自分もそうだったので、そうじゃないかと想像する。


文字のやりとりをそれほどしてこなかった理系の兄と、数年ぶりにラインやツイッターでやりとりをしていて事態の切迫感に、瞬時に自分や周囲のひとと重ねあわせてしまった、共鳴!(癖です)

「見えてるものを見ないふりしてその場を切り抜けていくんよ…切り抜けれれば切り抜けていくほど、しんどくなっていく。切り抜けることが仕事になって、本質がどっかいってしまうんよ」

私が抱える学校の問題だってそうだった! 兄とバーバルコミュニケーションができる日が来ようとは!(?) 兄は「若そうな言葉」を取り入れようと、ツイッターでも生きた言葉を探しているようだった(気づいたら私の友人や生徒とも相互フォローになってておもしろかった)。


ずぶ邸に到着したてのお疲れの兄に、開きにくかった玄関の扉を修理してもらい、なぜかこちらから学校での出来事を相談して、日が暮れてから隣に住む祖母と三人で銭湯に行くことになった。


祖母は耳が遠いため、ほとんど会話にはならず私一人だといらいらすることも多いが、三人で出かけて、なんとなくお風呂に入って、言葉少なに回るお寿司をたらふく食べて帰ってくるというのは、どこかとぼけていて気が楽だった。私と兄はそのままずぶ邸に泊まることにした。お酒を酌み交わしながら、「山月記」の朗読CDを聴き(前回の句会以降ブームだった)、お互いの好きな音楽を聴いているうちに眠ってしまった。


ずぶの学校をはじめた理由には、学校における問題意識のほかに家族を含めた人間関係を見直したいという欲求もあった。20代後半になったとき、自分も家族も年を重ねていくなかで、関係性が閉鎖的であること、淀んだ状態が続くことが息苦しいと感じた。私だけで、家族一人一人(祖母、父、母、兄)のすべての問題に対応しなければならないというプレッシャーがのしかかってくるかのような気がしたのだ(勝手に)。


ステレオタイプな家族観(その他の価値観)が無意識のうちに、そうでない現実を生きる個人を傷つけることはよくあることだろう。自分も知らぬ間にたくさん傷ついてきたし、まだしぶとく傷ついているようにも思う。「血のつながった家族は仲良くなければならない」「必ず分かり合えるはずだ」「その団結の意志を確認するために集まらねばならない」云々。そういった個人の本音を封じた慣習が形骸化している場合、仕事と同様の苦痛を伴う(しかも無償で)。


私の家は、誰もその苦痛をあえて受けようとは思わないので集まりはない。結婚していたとしても、常に会いたい意志を持つひと同士が今まで通り一対一の関係を続けさえすればそれでいいと思う。絶縁したとしてもそれはそれでいいと思う。血がつながっていようがいなかろうが、しがらみがあろうがなかろうが、会うか会わないかは自分で決めることだ。どうにでもできる。これを機に、友人や生徒とも合宿(ともに暮らすこと)をしたいと思うようになった。


翌朝、兄は俳句を作って自分で俳句コーナーに飾っていた。特に説明したわけじゃないのに、言葉のひとじゃないのに、自分から言葉を求めたり作ったりしてくれることが嬉しかった。「行動」自体がノンバーバルで希望だった。創作とは、オリジナルの、唯一無二の、新たな関係性を生み出す「行動」だ。テンプレートを全く無視した自由自在、縦横無尽のコミュニケーション。縁切り寺のようなずぶの学校では意志のあるもの同士が好きなように「生きた関係」を更新し続けることが許される。「家族」の可能性が内にも外にも広がる場所だと感じた。

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うみがずぶの兄だよ。「永遠の共鳴」!!

ずぶの学校新聞 no.40

~読書感想文でも書いてみる 再読中島敦①『山月記』~



七月は一人の高校生から話を聴くことがあり、教師や親など周囲の大人たちの心無い言動に驚きと憤りの連続だった。


長く高二現代文の定番教材になっている中島敦の『山月記』は、エリートコースを歩んできた男が自らの「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」とによって自分から孤立し挫折し、人間から虎になってしまう話だが、まさにこの「虎」になることが「大人」になるということなのかもしれないと何度も思わされた。大人たちの言動はどれも、こどもに「はやく虎になるように」「虎になれば楽になるから」と勧めているようにしか思えなかった。虎になると無意識なのでためらうこともなく、うさぎを殺して食べる。そこで人間に戻り、血を見てその事実に気が付き、ショックを受ける。男はだんだん人間であるよりも虎である時間の方が長くなり、完全に虎になる前に友にすべてを話し、最後に哀しく月に向かって吠え、姿を消す。


「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」が肥え太り、ゆるぎない壁(障害)となって何があっても何をしても微動だにしない「虎」として完成する(虎に申し訳ないが)。この作品が長らく教科書に載っているということは、完成した「虎」から未完成の「人間」に何を「教えよ」ということの暗示なのだろうか。


私は、作者が未完成の「人間」として悩み続けることをこそ、優しく励ましてくれる物語として、若者たちへの応援歌として読み、高校生の時に心を打たれたし、今でもこうしてすぐに思い返せるほど自分の血肉となっている。「虎」として人を傷つけている自覚を持ちながら「人間」として悩み苦しみ続けることが生きるということなのかもねと友と話し合う空間、我が身を反省する時間を持つことが大切だと思ってきた。


その高校生は生粋の「人間」なのだ。「虎」として生きることへの疑問をずっと持ち続けている。虎になるぐらいなら「死」を選ぶと心に決めている。その決心を、自我を失った虎たちがよってたかって叩き潰して否定し、自分たちと同じように虎になって心を殺して生き延びることを強要する。それが「教育」なのだろうか。授業で扱う内容と学校自体の「教育」内容は矛盾している。授業で教えることは結局のところ建前で、実際はそれとは真逆のことをごく自然に洗脳し続けているように見える。


夏休み明けに自殺する「人間」が多いことは納得の事実だ。「虎」になる(戻る)ことへの絶望を感じるからだ。それは多くの大人がなぜか無意識に「完全な虎であらねばならない」と思い込んでいることが原因だということ。つまり「教育」が問題なのではないかと思う。


虎である時間が長くなればなるほど、完全な虎に近づいてしまう。私は、ふんばって「人間」であろうとしているひとを応援したい。そのひとが私にとっての希望の光だからだ。考える「人間」を生かすことが私のしたいこと(仕事)なのだ。



<8月の句会でみんなで作った句>

月曜日 あることないこと 走馬灯

休暇果つ とらよりのとら ナウ


(「走馬灯」は夏の季語、「休暇果つ」は秋の季語。高校生は「まあまああり」のことを「あり寄りのあり」と言うので真似してみました)

 

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ありがとうございます

前回の記事は、学校の事情を考慮して非公開にしました。

学校はより誠意ある対応を考えてくださるということで少し安心しています。

たくさんの励まし・ご心配のお声をいただき、ありがとうございました。

多くの人が同じような経験をされていたことが分かり、

親身に考えてくださったことがとても嬉しく、生きる希望になりました。

勇気を持って、みんなでいい方に向かっていければと思います。

今学校で起こっていること(相談)

6月29日金曜日、放課後遅くに質問を受けていてテストが完成していなかったので、夜の8時ごろまで職員室に粘っていたら


「あいつの言ってることは意味がわからん」
「もうテストを受けさせるのもどうかとさえ思ってきた」

 

というような言葉が聞こえてきて、(え、何事…)と思っていたら

「校長訓戒まで受けさせたらいいやん」
「それでも反抗するようやったらしめたものやん」
「担任は何をしてんのや、がつんと怒らへんのか」

 

と聞いていた男性体育教師が答える。

耳をそばだててきいていて驚いたが、それは去年から私ももっていた高3のクラスのNさんだった。ムードメーカーで、鋭くてとても面白い子だ、(これはあかん)と思った。

身勝手な感情なのだが、私はいいなと思っていた子から順番に、私の知らない間に学校を辞めていくことがいつも残念に思っていたので、今回は聞きつけたからには何かできることはないかと思い、とりあえず何があったのか話だけでも聴いてみようと思った。これが余計なお世話だったかもしれないのだが。

その三十代男性教師Aは4月から三年の生活指導担当になった。新学期早々、Nさんが制服のリボンをわすれたり、こまごましたことで生徒指導室に呼ばれたとき(そんなことで生徒指導室に呼んだり反省文を書かせたりする指導はいらん)に「ルールを守れないやつは看護師になれない」とほぼ初対面で将来を否定されたり、怒鳴られたりすることがあって、Aの言葉は早い段階で彼女の耳に受けつけなくなっていた。

Aの授業中も言葉が耳に入ってこないのでそれをそのまま伝えると怒鳴られる。小テストのコメントでテストの内容に関するコメントの最後に「マイナスの発言はなくなるといいですね」と書かれ、最後の一文は学習内容に関係がなく気分を害したので「私に対してはコメントは結構です」と書いて断ると、その返事に「そんなん書く必要ないやん、あ、書いてもうたわ」とあった。その後、生徒指導室で出くわしたときに「お前のせいで全員にコメント書くのやめたわ」と言われた。

言葉が耳に入ってこないのに、授業には出席しなければいけないし、「寝るのも、話すのも、別のことをするのも、すべてだめだ、俺の話を聞け」と繰り返し言われて、仕方がないから天井の点の数を数えるという無意味な時間の過ごし方をしていた。

ついにある日、小テストが返却されてすぐ紙を破ってしまった。(もともといらない紙の破り癖はあったのだが)Aはそれを見て「復習に使うんやから破ったらあかん」と笑いながら軽く注意してきたのだが、Nさんはそのテストで復習をする気はなかったのでそのまま破り続けたところ、Aは急に怒鳴りだした。そのあと30分ほど怒鳴り続けたという。他の生徒も同じように不満があったので、彼女がテストを破ったり言い返したりすることを陰で応援はしていたらしいのだが、表立って助太刀できるものがいなかった。

その日、担任Uから家に連絡があり、彼女は数時間、両親から注意を受けた。

次の日、Aから生徒指導室に呼ばれたがやはり話がかみあわない。Nさんは「(Aの)言葉が耳に入ってこないから別の人を通してくれ」というのだが、それがAに「指導拒否」ととらえられた。

そして私が冒頭で、職員室で聞いた話につながっていったということだった。

Nさんが一年の時に担任だった女性ベテラン教師Fがどこからともなくその話を聞きつけて、Nさんの話を一切聞かずに「謝りに行こう」と言いだしており、無理やり謝らせられそうな状況だということだった。

いつのまにか退学のフラグが立ってしまっていた。
(まさかそんな個人的なことで…って思うけど、だいたい個人的なことで辞めさせられるんだった)私から見ていると、Nさんはしっかり物事を自分の頭で考えて、判断する生徒なので、悪いことは悪いと自分でも分かっているし、それほど問題があるようにはどうしても思えないのだった。

とりあえず私はテストを受けられないという事態は避けるべきだと思ったので、もし今謝りに行けた(謝りに行くって何や)としてもより状況が悪化する可能性を感じて「テストが終わるまではその話をしないでほしいことを担任または学年主任に伝えたらどうか」と言った。

Nさんが温和なベテラン男性教師の学年主任Sに伝えると、Sは「(一時保留に関して)先生もそう思っていた」と聞いてくれ、テストは無事受験。Sには試験が終わってからも二度ほど空き教室で話を聞いてもらっていた。

試験のあと大雨で休校になり、私は謝罪の話はこのままうやむやになればいいと思っていたが、週明けにまたSに呼ばれ、今度は応接室で話をした。そのときも「また話そう」と言われて終わった。

ところがその翌々日、13日の金曜日、「メモ」で、再度学年主任Sに職員室に呼び出されたので行ってみると、女性ベテラン教師Fに無理やり応接室に連れていかれた。応接室に入ると女性の現担任Uが来た。Aが来るまでの間、Fから説教を受けた。

 

「こんなことしてたらあかんねん私も一緒に謝ったるから」

「自分が悪くないと思ってても謝らなあかんねん。上の人の言うことは絶対やねん。嫌とか言うてやんと聞かなあかんねん」

「それが社会やねん」

「何でも疑問に思ったこと聞いたらあかんねん。そんなん聞いても仕方ないねん」

 

などという話を聞かされるうちに、相手の教師Aが来た。学年主任Sは来なかった。

 

Nさんの前に相手の男性教師Aが座り、Aの隣に現担任Uが座り、Nさんの右に一年時の担任Fが座った。Fに「ほら、はよ、言うことあるやろ。」とうながされて、「紙破ったことに関しては悪かったです。申し訳ありませんでした。」としぶしぶ言うと、「ほんで!」とたたみかけられ、「え?」と戸惑っていると「今後の授業は!」と問われ、仕方なく「授業に意識を集中させることを心がけます」と言うと、さらに「んで!今後の指導は!」と言われ、言葉は耳に入らないからどうにもならないのだが「聞けるようにがんばります」と言わされ、最後にFが「私が1年の時にちゃんと教育できなかった私も悪いです。すみません。」と謝った。Aは何かを言ったそうだが覚えていない。担任Uは終始無言だった。

 

紙を破ったことに関して謝罪する際、Nさんは最初いすに深く腰を掛けて話していたが、Fに「もたれない!」と姿勢を注意されてやり直し、「顔見てない」と言われてやり直し、と3、4回頭を下げさせられたという。

 

連休が明け17日の火曜日に学校に登校したとき、校門にいた女教師Fには「あんたは勉強せなあかんねんで、クラスを引っ張っていかなあかんねんで、成績下がってる下がってる」と追いたてられ、話を聞いておいてその場にいなかった学年主任Sには何事もなかったかのように笑顔で挨拶される、という不可解な光景が繰り広げられ、彼女は教師を信じることができなくなってしまった。顔を見るのも怖い。

 

その日また、男性教師Aに生徒指導室に呼ばれたのは一か月ほど前の「二人乗り」の件だった。Nさんと友人三人が呼ばれ、「もうしません」と反省文を書かされた。「それから?」と聞かれ、何のことかわからなかったが「呼ばれたらすぐ来ます」というひとことも付け足された。Nさんからすると、呼ばれた指導の内容と違う指導を受けることが多々あり混乱する、それがAとの意思疎通が難しいと思う点でもあった。

 

翌日、担任Uから一か月前の「文化祭でのケータイ使用」の件で親に呼び出し連絡が入る。(※ケータイ使用の件=クラスで出していたたこやきの店でカセットボンベが足りなくなり、店が4分の1ほどしか動いておらず、客が長蛇の列で並んでいたために数人の先生に相談したが忙しくて相手にしてもらえず、クラスメイトの要請もあり、担任Uの番号をたまたま知っていたNさんが外に出ていた担任を呼ぶために、ケータイを使った。校内は使用禁止のため外に出てかけようと思ったが雨が降っていたので校門の内側で電話をかけていたところ、生徒指導部長に見つかった件。それはその日に両親と教師とNさんで話し合いがもたれ、全員から「間違っていなかった」と認められたが、学校側からは「ルールだからケータイを預かる」と言われており、Nさん側が納得がいかず保留になっていた。)

 

家庭ではどちらかというと話を聞いてくれる方の父は、文化祭のケータイの件に関してはNさんが間違っていないことを後押ししてくれていた。が謝罪させられた件に関して相談しても「(不条理でも)謝っとけばいい」「それが社会やから」と言われる。「そんな社会やったら生きていたくないから死ぬ」と言ったら「それを言われると親としてつらい」と逃げられる。絶望。

Nさんは中学生のころから自殺については考えており「自分がおかしいのかもしれない」という不安を持っていたので、スクールカウンセラーのカウンセリングを受けようと思ったが、どうやって予約するかわからない、担任も学年主任も怖い、話したくないということだったので、私は「保健室に相談したらどうだろう」と提案した。

カウンセリングを受けたがあまり得るところはなかった。ただ保健室の先生が親身に相談に乗ってくれたので少し落ち着きを取り戻したのだが、この事件に関係のあった教師の授業はもう受けられなくなっていた。学校に行くのもいやなのだが、親には「はやく学校に行け行け」とせかされ、遅れると担任から電話が何度もかかってくる。入室許可証をもらいに職員室に行くのも、というより学校に入るのすら怖いので、この暑さの中、自転車置き場でぐだぐだしていた。

力をふりしぼって保健室に行き、入室許可証をもらいに職員室へ行くと担任Uに「学年主任の先生が待ってるから行くで」と強引に連れていかれそうになる。恐怖で、必死でふりはらって保健室に逃げ込むと、学年主任SがUとともにやってきて「先生と話をしよう」とやさしげに言う。「話って何?」「それが無理やねん」と泣き叫んで取り乱してしまい、ようやく保健室の先生が「今はやめてください」と止めに入った。それが21日の土曜日のことで、その日担任Uから親への連絡はなく、保健室から担任Uへ来週の月曜日に行われる予定だった懇談の件で配慮を打診するも返答なし。

23日の月曜日に予定されていた懇談は、無理だろうと思われた。何を考えているかわからない担任と、何も事情を知らない母と、彼女。無理。当日になっても、担任Uから返答がないので保健室からもう一度打診すると「ちょっと考えます」という。直前になって親に懇談を延期する旨の連絡を入れることに決めるのだが、保健室からは「学校の都合で」と少しでも誠意ある対応を見せるように助言するも、担任Uは「本人の体調不良で」と伝える。そしてNさんのケータイには親から再三「大丈夫か」「迎えにいこうか」の連絡が入る。帰宅後父には「(懇談を回避するための)作戦か?」と疑われる。母には病院に連れていかれるという茶番。

この日は友人二人からも責められた。「それがこの学校のルールやねんから謝ったらいいんちゃうん」「それが社会やんな」「それはわがままやろ」云々。

25日水曜日、保健室経由で私がNさんの話を聞いていることが副校長に報告され(そのことには同意していた)、副校長に呼ばれる(望むところ)。私は一連の出来事の流れ(Nさんから聞いた話)をまとめたものを見せながら

・生徒指導担当A…「看護師になれない」等の発言、その他怒鳴る指導は暴力
・一年時の担任F…話も聞かずに無理やり謝らせるのは何の解決にもならない暴力
・学年主任S…話を聞いておいて何もしない、そのあとも話しかけないのは無責任
・担任U…親への連絡の偏りにより、親からNさんへさらなる圧力がかかっている
・謝罪会見までは「退学」の話だったが、会見後は「自殺」の話になっている

などを訴えた。

 

後で確認したところ、学年主任Sは、謝罪会見の日程、セッティングを事前に知っていたが、Nさんにとって圧迫になると判断し、出席を控えたということだった。謝罪会見が無事済んだという教師からの報告を受け、その後何も聞かずにNさんに普通に接していたという。謝罪会見に呼び出したメモはSが書いたものではなく、筆跡からはおそらく担任Uのものと思われる。

私は非常勤講師の立場を超えて、個人的に生徒の問題に関わっているために、教師からも親からも生徒からも相当怪しまれているのだが、これ以外に方法が見当たらない。よくないこととは思いつつも、生徒の「命」にかかわっていることなので放置することもできない。力のなさが悔やまれる。

その後、26日の木曜日にNさん本人不在の懇談が設定され、懇談の前に保健室から両親へ21日の土曜日に保健室で精神的に追い詰められた件を中心に説明があり、学年主任Sと担任Uと両親の四人で進路についての話し合いだけに限定した懇談が行われたらしい。

27日金曜日は保健室にも行けなかった。保健室が職員室の前にあるために不安でもあるのだった。教室に直行。クラスメイトとの関係は良好で、クラスのことが大好きなので普通に教室に行きたいし学校生活を送りたい。保健室登校も本当はしたくない。けど自分が蒔いた種でこうなってしまった、自分が気持ち悪いとひたすら自分を責めていた。

母は懇談後も毎朝、学校に行くように追い立てる。が28日の土曜日はもう限界だった。誰とも話したくないし、話したら爆発してしまう。その日も授業はあったが学校にも行けなかった。家でも親に話しかけられたくなかった。かといって外に出る気力も向かうあてもなかった。祖母の家、叔母の家に行くにも事情を説明する覚悟が今はできない。居場所がない。

 

彼女が起こしたどの事件もそれほどたいしたことではなかったのに、これほど彼女を追いつめることになってしまったのはなぜだろうか。

 

学校側のすべての「指導」に意味がないと感じる。お互いを思いやるような、丁寧な関係性を築くということがなされていないし、言葉が空疎にとびかっているだけ、形だけのその場しのぎの「処理」だからだ。そのような言葉の使い方を、こどもに教えるのはやめてほしい。

 

私はまた親がどうして味方になってくれないのかと不思議で、残念でならない。謝罪の件に関しては、親なら私なんかより数倍、自然に静かに学校の非を訴えることができたはずだ。でもこどもの言うことを信じることができない、信じていても面倒なことを避けたい、責任をとりたくない。

 

友人も同じだ。どうして「中立」の立場にいようとするのか。どうして「判断」する立場にいようとするのか。どうして友達の否を「責める」「正す」ことができると思っているのか。

 

それはやはり「自分のことだ」という意識が持てないからなのではないだろうか。「それが社会」という言葉は責任逃れの言い訳でしかないと思う。それが今ある社会なら、それをどう変えていけば、娘が友達が生徒が生きやすくなるかを一緒に考えたらそれでいいじゃないか。

 

「社会」とは「自分」のことだ、「自分の行い」がそのひとにとっての「社会」になるのだから。そのひとのためにどういうふうにしていくかを一緒に考えることが、「社会」を作っていくということだと思う。自分一人にできることは少ないが、一人ひとりできることは必ずある。

 

そう思って今回、私は記録を残し公表することにしました。Nさんにも了解を得ています。

 

ずぶぬれ vol.6 快晴元年 夏

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よだんのよだん(巻末コラム)

 

呼吸困難の日々に酸素を注入する方法として、いくつかの経済的な療法をご紹介したいと思います。(効果には個人差があります)

 

まずいちばんメジャーなのが檸檬療法」(レモン・その他の果物を触る、においをかぐ、想像することによって癒される。発案・梶井基次郎ですが、さらにテンションを上げていきたい方には「色柄療法」(色・柄とりどりの紙や布を見て心をときめかせる。本屋・服屋、布屋・紙屋・画材屋に行ってみてください)をおすすめします。

 

少し専門的な方法としては「俳句療法」(普段思ってたけど言えなかったことを言語化して、公式化する。と少し許せるようになる。例・夏の季語「夜すすぎ」を知ってから夜の洗濯が好きになった!)というのがありますが、これはうまくできないために逆にストレスになってしまうおそれもあるのでご注意ください。

 

そして今回、絶大な効果を再認識しましたのは「おたより療法」です。夕暮れ時の職員室で生徒からのおたより(無理やり書かせたやつ)に返事を書くことで、一瞬孤独から解放された気がしました。その模様を一部中継いたします。

高校三年生女子たちの「しつもん・おなやみ・かんそう」です。

 

「テスト勉強をしていると眠くなってしまいます。どうやったら眠気がさめるのでしょうか?」

→私も若かりし頃「机de爆睡」の常連でした。がむしゃらに今宵も机で爆睡(俳句)。友達と連絡しあったり、漫画を読んだりすると目が覚めていつまでも起きてられるんですが勉強をする気はいよいよなくなります。

 

「やせたいです。でも好きなものは食べたいです。どうにかなりますか? それと勉強ができません。大学に受かる気が全然しません。もうむりです。あきらめそうです」

→勉強できたら好きなものを食べていいっていうマイごほうびルールを設けてみたらどうだろうか? 三つの願いがすべてかないそうだぜ。

 

「ないです。」

→はい。

 

「さいきんしゃくれてきたのがなやみではなをせいけいするか迷っています。たかくなるアドバイスお願いします」

→しゃくれてきたのにはなをせいけいするのですか? がんがん自分を褒めてみては?

 

「キライキライキライキライ! 先生たちはうそつき!」

→おっしゃる通りでーす!

 

「古典の勉強は何のためにしているの?」

→古典も療法かも。古人と友達になれれば、はかないこの世を生きる際の心強い助っ人になってくれます。

 

「自分が平凡と思った時、もういらんやん。普通なんやったらいらんやん自分。誰が心から必要とするん。ってなる。」

→なる。自分で自分を(他人を)殺さず生かす生き方を目指したい。強欲に。

 

「チョコミントが食べたいです」

→すぅーーーーーっっ

 

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かまし みさき(赤松 みさき)

 

1986年大阪生まれ。中・高国語教師をしながら15年にゆるいまなびや「ずぶの学校」を開校し、校長に就任。今年6月「やかまし村の種まき祭」を開催したこと、前の姓と二字しか違わないこと、自分がやかましくてたまらないことから姓を「やかまし」に変えました。今後ともよろしゅう。写真は6月、旧ずぶ邸での種まき祭の模様。

 

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ずぶの学校新聞 no.39

~ここが崖だわ~

 

6月は大阪を中心に大きめの地震がありました。「死」や「無」という視点から見れば、日常がいかにはかなくもろく、非日常の世界であったか、人間がいかにちっぽけで無力な存在か、はっきりと気付かされた出来事でした。



電車でちゃちゃっと移動することも、教室にのらりくらりと立っていることも、ずぶ邸でまったり過ごしていることも、全然当たり前のことではなかった。「奇跡的に生きのびているんだなぁ」ということを「あたま」で思ってはいましたがそれが「からだ」にずんとおちてきました。 

 


奇跡というのか、縁か、運かわかりませんが、まわりのひともそうなのでした。この時間・空間・人間(じんかん)が非日常の奇跡。目の前のひととゆるくゆるぎなくつながっておくことは、この壊れやすい大地にひとり、心細く暮らしていくうえでなくてはならない命綱だと痛感しました。

 

 

「ひととつながることはできないと思いますね」と高校の時に国語の先生が喝破していたのを思い出します。(その女性の先生はとある高校で奇跡的に再会し一年同じ職場で働くことになった。送別会の時に「今はともだちを三人までしぼりました。もう時間がないからね」と言っていた。貫いているー!)面と向き合って一本のひものようになることは、クローン人間でない限り不可能だと思う。それをお互いに目指すと共依存になり、まわりへのしわよせも大きくなってしまう。ランナーのように何かしらの同じような方向性をもって並走していて、お互いその横顔を見るしかない。つまり「わかる」ということよりも(それは無理だから)、その時その場でその人の苦しみ、痛みに「つきあう」ということ(かつて「つきあった」という記憶)が、ゆるくゆるぎなくつながっているという淡い希望をいつまでも持ち続ける方法ではないだろうか。

 

 

その瞬間同じコースを走っていても、じきにそれる。たとえ災害がなかったとしても、自分で作る壁、障害がなかったとしても、崖は常に人間の半歩前にある。前田司郎脚本のドラマ「徒歩七分」の最終回のタイトル「ここが崖だわ」。ひととの別れは死別に限らず突如来る。そのひとがそのひとの道を進みだすとき。そのとき相手の決意を受け入れられるように自分も自分のコースを進むのだ。

 


それははじめて2年一緒に過ごした卒業生を見送ったときに思ったことで、その巣立ちをきっかけに「ずぶの学校」がはじまったのでした。その卒業生も就職が決まった報告をしてくれたり、来年大学を卒業するということでお話に来てくれたりもしました。「子育ては親育ち」親の方が子離れできない問題児。こどもの足を引っ張ることだけはしたくないので、好き勝手にゆらゆら生きることにしています。


この一か月はそんなふうに「無常ということ」を再確認し、パソコンと名前を新調し、また新たに何をしようかなという気持ちになってきたところです。


やかまし みさき

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句会で作った俳画。ずぶ邸種まき後の庭の様子。塀の色を塗りかえたいと思っています。
「あわじはあじあ 自転車やかまし駅前」
「蚊がいてもいなくても書く淡々と」の二句を合わせました。