もやもやずぶちゃん

ずぶの学校校長のやかましみさきです。高校で国語を担当して10年ほど経ち、活動が学校の外にもはみだし気味。ゆる~くほがらかに絵や文、俳句、ぬいぐるみの創作、人形劇、手作り作品のお店をしています。おたよりください。zubunogakkou.com

もやもやずぶちゃん

ずぶの学校校長のやかましみさきです。

高校で国語を担当して10年ほど経ち、活動が学校の外にもはみだし気味。

学校や社会の問題をみなさんと、ゆる~くほがらかに考えていきたいです。

絵や文章、ぬいぐるみの創作、人形劇、手作り作品のお店、表現教室をしています。

おたより待ってます。zubunogakkou.com

ずぶの学校新聞 no.39

~ここが崖だわ~

 

6月は大阪を中心に大きめの地震がありました。「死」や「無」という視点から見れば、日常がいかにはかなくもろく、非日常の世界であったか、人間がいかにちっぽけで無力な存在か、はっきりと気付かされた出来事でした。



電車でちゃちゃっと移動することも、教室にのらりくらりと立っていることも、ずぶ邸でまったり過ごしていることも、全然当たり前のことではなかった。「奇跡的に生きのびているんだなぁ」ということを「あたま」で思ってはいましたがそれが「からだ」にずんとおちてきました。 

 


奇跡というのか、縁か、運かわかりませんが、まわりのひともそうなのでした。この時間・空間・人間(じんかん)が非日常の奇跡。目の前のひととゆるくゆるぎなくつながっておくことは、この壊れやすい大地にひとり、心細く暮らしていくうえでなくてはならない命綱だと痛感しました。

 

 

「ひととつながることはできないと思いますね」と高校の時に国語の先生が喝破していたのを思い出します。(その女性の先生はとある高校で奇跡的に再会し一年同じ職場で働くことになった。送別会の時に「今はともだちを三人までしぼりました。もう時間がないからね」と言っていた。貫いているー!)面と向き合って一本のひものようになることは、クローン人間でない限り不可能だと思う。それをお互いに目指すと共依存になり、まわりへのしわよせも大きくなってしまう。ランナーのように何かしらの同じような方向性をもって並走していて、お互いその横顔を見るしかない。つまり「わかる」ということよりも(それは無理だから)、その時その場でその人の苦しみ、痛みに「つきあう」ということ(かつて「つきあった」という記憶)が、ゆるくゆるぎなくつながっているという淡い希望をいつまでも持ち続ける方法ではないだろうか。

 

 

その瞬間同じコースを走っていても、じきにそれる。たとえ災害がなかったとしても、自分で作る壁、障害がなかったとしても、崖は常に人間の半歩前にある。前田司郎脚本のドラマ「徒歩七分」の最終回のタイトル「ここが崖だわ」。ひととの別れは死別に限らず突如来る。そのひとがそのひとの道を進みだすとき。そのとき相手の決意を受け入れられるように自分も自分のコースを進むのだ。

 


それははじめて2年一緒に過ごした卒業生を見送ったときに思ったことで、その巣立ちをきっかけに「ずぶの学校」がはじまったのでした。その卒業生も就職が決まった報告をしてくれたり、来年大学を卒業するということでお話に来てくれたりもしました。「子育ては親育ち」親の方が子離れできない問題児。こどもの足を引っ張ることだけはしたくないので、好き勝手にゆらゆら生きることにしています。


この一か月はそんなふうに「無常ということ」を再確認し、パソコンと名前を新調し、また新たに何をしようかなという気持ちになってきたところです。


やかまし みさき

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句会で作った俳画。ずぶ邸種まき後の庭の様子。塀の色を塗りかえたいと思っています。
「あわじはあじあ 自転車やかまし駅前」
「蚊がいてもいなくても書く淡々と」の二句を合わせました。

かたまりの中のひとりとして

父の日の句会の次の日の朝…
note.mu

 

地震がきました。大阪、震度6弱

 

地面を揺るがすような大変なことが起こっている時、そのことに触れないっていうのは犯罪のような気がした。反応のスピードが大事だってこともよく分かった。

 

わかっていながらも、手が震えていて、自分が逃げることに必死で書くことができなかった。

 

いつか来るはずだったカタストロフィが今日来たんだと思った。

 

大変なことってのは、結局「個人的」なことととらえられてしまうということも分かった。大変だと感じるのは個人だから……? 自己責任? たとえ地震というかたちで、ある程度の範囲のひとと同じ経験(一見)ができたとしても。

 

たまたま月曜日は仕事(学校)は休みだったのだが、その30分後に

「今日の授業は二限からとします」

というメールが来て、怖かった。大きく揺れたのは私だけだったのか?と思わせる力もあった。

でも、実際電車は止まっていたし、電話も通じなかったし。どうやって行くの? 連絡するの?

もしその日に授業があって行けてたとして、さあ授業をと言われても「何を?」それどころじゃない、自分のことでいっぱいいっぱいなんだよ。しかも相手もそうなんだから。授業なんかできるか!

 

これって個人的なことなのか?

個人的なことは社会的なことではないのか?

 

 

地震は広い範囲でかたちにあらわれるからわかりやすいし、まだ共有しやすいほうだと思う。

 

それでも、私は東日本大震災の時も熊本の地震の時も、そのあとになってからもそのことに文章で触れたことはなかった。当事者性のなさ、畏れおおさ両方あった。今はじめて触れた! 今回自分が揺れてみて、触れてもらえること、声をかけてもらえることはうれしいこと、正気に返るような気持ちになることをやっと実感したのだ。

 

何らかの(切実な)声に対して「応答すること」に関しては意識的にやろうとしてきた。が自ら発すること、特に怖い思い、苦しい思いをしているひとに、自分から名前を呼ぶこと(呼び戻すこと)って私はずっとできていなかった。今もなお苦手なことだ。

 

地震だったら、ここまでのことを割と多くの被災経験のあるひとに共感してもらえる気がするのだが、そのほかさまざまな痛みも同じことだと思う。

 

私は地震の前日まで別のことでいつになく沈んでいた。(地震のおかげで吹き飛んだ)

 

このことに関して、今までだったらひとに「相談する」ということは積極的にしようと思わなかった(できなかった)と思う。相談されることはあっても相談するのは苦手だから。「話す」ことが下手で、感情がうまく退けられず整理して説明できない。内容に嘘が生じる。誠実さに欠ける。そのことによってわかってもらえない、否定されたら傷つく。相手の考え方、気持ちを見計らって合わせてしまう。向こうも面倒くさいだろうし、そうなると私も申し訳ない。相談するほどのことじゃない(個人的なことだから)と思っていた。(そしてツイートに垂れ流したりもしている…)

 

それは、私が今まで大事にしたいと思ってきた「私」を主語にして話すってことなのじゃないのか?

できてないやん。面倒くさくてもやるんだった。

 

個人的な感情も、人に話すから社会的な感情になっていくのではないのか?

 

個人的な感情も、話せば相手にだって別の経験で思い当たる節があるかもしれない。今はなくてもその先そう感じるかもしれない。

 

しかしどうやって誰に相談するのか。

 

相談する前に相手に「期待」があり、相談してるうちに「説明」になり「配慮」になり「教授」になり「誘導」になる側面もある。そして「幻滅」になる。何をしてるんだ、自分。

 

そんな浮ついた言葉遊びの相談じゃなくて、まわりのひとにはただ知っておいてもらうだけでいいのだ。単なるアウトプット。迷惑でもそういう相談は積極的にしていきたいと思う。今しなかったら引きずってこじらせて、あとあともっと迷惑をかけると思う。ひとりでは生きられない。上に上がった体を下げてもっと地に足をつけてひとりふんばる。前のめりの姿勢を後ろにひいて、立つ。もっとずんずん行く、遠くまで。続ける覚悟。

 

一対一の関係では、存在を許して、見とめてもらうだけでいい。

 

そして全体に対して、話すことが苦手な私は書くこと、あるいは俳句(笑)、表現で議題を提出して相談に乗ってもらいたいと思う。

 

自分の座る場所は、自分で切り開いて整えていく

と思ってずぶの学校をはじめたんだった。原点。

 

かたまりの中のひとりとして。

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蚊がいてもいなくても書く 淡々と

 

 

名前を変えました

私あかまつみさきは、これから「やかましみさき」を通称名として活動していこうと思います。

 

「やかまし村の種まき祭」を経て、リンドグレーンの「やかまし村の子どもたち」を読み、女の子として生きるこどもの力強い意気込みのようなものを感じました。それはリンドグレーン女史の鼻息そのものでもあると思っています。

 

わたしはずっと旧姓が好きではなく、「赤松」になったときはよろこんで自分のことをそう呼んでいました。学校では生徒に名前を呼ばれる機会が多いので、旧姓よりその方が「先生」をつけて呼ばれるのに耐えられました。

 

ずぶの学校を設立し校長として外で活動するようになって、だんだん変な気持ちになるようになりました。文章を書いているときは特に。

 

手紙や、生徒に向かって話しかけるように書く文章は赤松でも気にならないのですが、外で全体に向かって発言するときに、書き終わって最後に署名するときに「あれ、わたし赤松じゃない…」ということを毎回思い出してしまうのです。

 

実はこの病は小学生のときからありました。アイデンティティの揺らぎ。私っていったい誰なんだろう? という。

 

みさきはみさきだけど…

 

所属がわからない…(できない…ない…)

 

「種まき祭」というイベントを開催して、「やかまし村のミーサ」というのはとてもしっくりきたので、またあかまつと二文字しか変わらないので、また自分がやかましくてたまらないので、「やかまし」ということばを名字にすればいいじゃないか! と思いつきました。グッドアイディア!

 

私が書くことを一歩引いて受け止めてもらいたいという気持ちもあります。「ばかにされ上手」の自負があるのです。

 

改名に関して「社会人として信頼できない」というおことばもいただきました。

 

顔写真や本名を出さないのは血を流していない(リスクを負っていない)のでよくない、信頼されないという気持ちも確かにありますが、できないひとや、したくないひとも確かにいると思います。

 

私の場合は単に「違う」というだけのことですが。「ちゃうちゃう」「ノンノン」といって生きていくみたいです。

 

主語のない「社会」に流されることへの反発(戦争反対への意志)

主語を「私」にして話すこと

「私」と「私」が関係を築く意志を持つこと

そのために「ゆるゆる生きる」こと

 

活動の原点です。

 

もし失った信頼があるなら、これから活動を続けていくなかでまた築いていきたいと思います。よろしくお願いします。

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やかまし村にて

ずぶの学校新聞 no.38

~やかまし村のジェンダー


旧ずぶ邸復興活動一周年記念「やかまし村の種まき祭」終了しました。

庭がにぎやかになりました。訪れてくださった方々が、それぞれに種や苗をくださって、みんなで植えました。朝顔あじさい、ローリエフウセンカズラ、綿花……メインの綿花は、収穫して人形を作って人形劇をする、わずかでも循環型の社会にするという野望があります。

今回の人形劇の脚本はリンドグレーン女史作「やかまし村の子どもたち」を自分たちに重ね合わせて考えました。

原作は、女の子三人(主人公を含む)と男の子三人の計六人しかこどもがいない、たった三軒の村のお話で、大人になった目で読むと(こどものときに読んでいなかったのですが)思うのは、女の子対男の子の構図になっているということ。「おとこのきょうだいはやっかいなものです」という章からはじまるように、やんちゃな二人の兄にあきれている女の子リーサのぼやきが基調になっています。八歳のお誕生日にはようやくやっかいな兄たちとお別れして自分の部屋をプレゼントしてもらい、快適な生活を送り始めます。

本をぱっと開いて劇の前座で朗読した章は、まちから都会の女の子とお母さんがやってきて、リーサたち(女の子たち)とともだちになるお話でしたが、兄たち(男の子たち)は話しかけたいけど話しかけられないので、ちょっと遠くで竹馬にのって気をひいてみたり、いろいろがんばって話しかけるシーンがありました。

これは大人社会の縮図だ。八歳にして「女」の自負が目覚めているのは、小さいときから兄弟を見ていて反省や反発が多い証拠だと思う。どんなおとなも、こどもがそのまま大きくなって多少やっていることが「本物っぽく」なっているだけで、中身は変わらない気がする。

 女性差別やセクハラは結局、「恋」の拙い表現なのだと思う。みんなモテたい。それはそうなのだが、表現の方法が力任せでセンスがない、無意識でヴァリエーションがないことが万死に値する問題なのだ。ださい。女の自負が強くなるのも、男を意識するあまりの「恋」の表れだと思います。

 「恋」は男女間に限らず、ひととひとの間に多かれ少なかれ生じる「差違」への羨望、ないものねだりの感情だ。「投影」もする。するなと言われてもすぐしてしまうので、どうやって落ち着かせるかというと、二つ(二人)きりにせず、たくさんパッチワークして、適材適所の役割分担をして全体を円満にするという、木を見ながらも森を見る作戦だ。

人形劇では「家族」の描き方に悩みましたが、ずぶ邸ではそういう区別もいらないような気がしたので「おばあさん」しか登場させないことにしました。一人一屋敷制。現実と同じように、架空のお話における家族にもいろんなヴァリエーションがあるのがいいですね。

マッチョな資本主義社会の恩恵を受けて生きているのですが、そういう社会からひとまずお別れして遊べるリーサの部屋のような場所が旧ずぶ邸です。

 説明や評価はいらないし、年齢や職業や、「女」とか「母」とかいう言葉もいらない。そういうことをいったん忘れて、ただ「人間」として楽しく、うふふと集まることのできる場所、休憩所でありたいと思います。そしてまた現実に帰って、気持ちも軽やかに、慣習のごっこ遊びをしたらいい。どっちが夢か現実かよく分かりませんが。


ミーサ

 

 

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(種まきに向け意気込むやかまし村メンバー:左からテラッタ、ミーサ、コニー、チッサ)

種まき祭 一日目・二日目

金曜日から種まき祭がはじまったのですが、私は授業があったので少し遅れて参りました。


昨日の授業もものすごくつまらなくて、やっているあいだもずっと嫌でした。が、エリさんのレッスンを受けた直後でもあり、諦めてはいけない!とも思っていました。


漢字と問題演習の授業という、そもそもつまらない内容なのでして、しかもクラスはあんまりものを考えるのが好きではないひとたち。


今回は、評論ではなく有川浩の「県庁おもてなし課」という小説の一節で(有川浩は一冊も読んだことがないので全然知りません)高知県の観光推進の仕事をしている主人公が、県にひとを呼ぶための設備がないことを嘆いていたところから、二人のりのパラグライダーで空を飛ばせてもらうと、高知県の自然、海、川、山、空の価値を再確認して期待にふるえるという場面。

まさにずぶ邸のことじゃないか!

ずっとないものねだりをしていた私が、「あるもの探し」「あるもの生かし」を志すようになってずぶ邸再生活動をするようになった流れと同じ。

と思ってびっくりしましたが、その話をどこからどういうふうにするんだべ?



……無理だ。



アンダーグラウンドすぎて生徒を混乱させまくるような気がして、そこは諦めたのですが何かないかなと思って頭の中をくまなく探した結果、

高知県に行ったことある?」

ということばがでてきた。

私は行ったことあるねん~ともだち(中西さんです)とコンテンポラリーダンスの公演を見に行ったんだった。よさこい号というバスに乗ってね、四国は意外と山が険しいし、高知は四方を山と海に囲まれていてかなり隔離された地域みたい。

あ、それも司馬遼太郎の「龍馬がゆく」を読んでさ、知ったことでもあるんやけど。全8巻あるけど実は最後の巻を読めてないねん。なんでかっていうと、龍馬が死ぬとこを読みたくなかったからさ。悲しいやん。だから私の中で龍馬はまだ死んでないねん。うふふ。


などという話をつらつらしていると、教室はほとんど寝てたけど、いつもは無表情でいたり寝ていたりする女の子数名が顔を上げて笑顔で話を聴いてくれていた。

ことが本日の救いです。

諦めないで、何か考えて行動してみて良かった。
(良かったレベルが低くて嫌になりますが)


今日は二日目。人形劇とダンスの日でした。
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やっぱりお人形が動くのって夢があって浮かれてて嬉しいことだなと思います!

ことばと人形(布)と動きと音楽

どれも好きなものだから、人形劇はライフワークにしたい。

念願のスタジオズブリ。せっかくかっこいい舞台を作っていただいたので生かしたい。

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前座で本家のやかまし村朗読。泣きそうになった。


今回はこけら落としで、表面的には「THE 人形劇」といった感じだったけど、これからいろんな人形劇、もう少し実験的なものもやってみたい。

実際は、翻訳文学の時空をこえた、ちぐはぐな文体を味わっていただきたかったのですが、どうでしたでしょうか。

演劇風朗読じゃなくて、もっと自分を生々しく生かせるようなコンテンポラリーな素のままな人形劇をやってみたいな(俳句もそうだけど)

ダンスでは、中西さんの動きに合わせてカーテンを引いたり、音を鳴らしたりするのが楽しかった。能みたい。

うじゃのエリさんや中西さんに学んで模索します。

終わってほっとしながら、こにしさん作の「つむじ」という民芸品作りをさせてもらいました。
こにしさんが作った粘土のかたちに合わせて細かく色を塗っていく。元のかたちを生かしたいなぁと試行錯誤。

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塗るのを失敗しても、こにしさんは

「失敗なんかない」

と励ましてくれます。やかまし村のこどもぐらいの女の子も来てくれて一生懸命色を塗って帰ってくれたのは嬉しかった。また時空を超えた。

勉強になる。
私はこうやって何気なく学びながら時間をしのいでいきたい。

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楽しいから、というのももちろんあるが
時間のしのぎ方(遊び方)として(たぶん全員が)一番幸せだと思う方法が「創作」なんだと思う。

「家族だけ」でも「職場だけ」でも「その両方」があっても重たすぎて暗すぎて嫌なんです。

もっと他に方法あるやろ、と思うんです。考えろ!
それが今の活動です。

誰かと面と向かい合うのも、ひとりでいつづけるのもできなくて、こういう場所、時間がないと自分がしんどくなる。

時間をしのぐのに何かを消費するだけじゃなくて、関係を築きながら何かを生み出すこと。いや、何かを生み出すことで関係を築くこと。

そのための創作であり、勉強だ。
だからできばえは実はそれほど問題ではない。
心を打つかどうかは差し迫っているかどうかだと思う。

全く元気だけど、耳が遠くなったおばあちゃんと、家族だけで向かい合うのはつらいと思っていた。うちはみんなが集まるような親戚づきあいが全くないからだ。そして私には家族の緩衝材になるであろう「こども」もいないからだ。最近はとても楽になった。私ひとりじゃなくて、みなさんに見守られながら存在の重さをまんべんなくしてもらうと私が楽なんです。

法事みたいなものはきっとどんな団体にも必要で、家族でできなければ外部のひとともできるんだなぁと身に沁みている。それも閉鎖的ではなくオープンに、より気持ちよく積極的にできるのだった。


意識的に依存先を増やさないとどんどん閉鎖的になってしまうのが現代社会のシステムだと思う。それに飲み込まれないように、仕事でも遊びでもないけどその中間の時間空間で、好きな人を巻き込みながらどうにか自分を保ちたいと思っている。

空き家っていうのは、そういうことをするために空いている気がする。必死になって必要なもので埋めてしまわなくてもいいような気がする。

老いや障害を家族だけでは背負いきれない。
今回、人形劇の舞台の布を縫うのにおばあちゃんが大活躍してくれた。こういう関係性が一番楽で楽しくて嫌いにならなくてすんで幸せだ。おばあちゃんはどうか知らない、でもこれまでは年一回行くか行かないかだったところ週二回も行くようになったんだから、よろこんで…(いるかは知らない)


まわりに喜んでつきあってくださる皆さまがいることが幸せに思います。カンパも本当にありがとうございました。
ここは私にとっての学校でありアトリエであり病院であり寺です。

明日は寺嶋さんの放送部を聴いてから庭に種をまきます。

祭りの準備運動

あさってにせまった種まき祭。

そんなときに、そんなときだからこそ。

うじゃを本格的に習いはじめました。


すてきな先生を見つけたら通いたいのは昔から。先生好き。職員室好き。

昨年にテラコの部活動で開催したお祭り「Face to fes.(顔と顔)」で知った即興楽団UDje()(うじゃ)

ensembbbu.exblog.jp

zubunogakkou.hatenablog.com

主宰するナカガワエリさんが行っている福祉施設での
レベルの高いワークショップ(授業)を見学させてもらって感激。
一見障害のない生徒が集まる学校でも本当のコミュニケーションをとることや
本当の信頼関係を築くことが難しいのは
全く同じだと感じました。
そういう点において、一見通常の学校は授業の質がとてつもなく低いということも痛感。つまり生徒と先生の隔たりは大きく、信頼関係はほとんどない。この時期にこどもはおとなに失望するのだと思います。(そしておとなになろうとしない)

信頼関係が築けないから「ハラスメント」なるものが蔓延する。
「ひきこもり」や「うつ」もその延長線上にありそう。

学校では信頼関係を築けたらいい
(勉強は二の次)

そのために私ももっとからだや声の表現を見直して
上から目線の、傍観者的態度を矯正していきたいと思ったのでした。


昨年まではグループレッスンで何度か通っていました。
3~5人くらいのごく少人数で丁寧なレッスン。

とてもいいなぁ、私もそういう授業がしたいなぁと思って、まず学校で夏休みに自由な授業を募集していたときに手を挙げて、少人数の文学の授業にトライしました。

文学の授業がしたいと思ったのはその前年に、ある学校で「文学」の授業を担当し、樋口一葉国木田独歩などを読んだことがきっかけです。

それまでちゃんと読んだことなかった漱石以前の文学にも興味を持ち始めました。

自分が読んでもっと考えるために、授業したい。
(授業をしないとちゃんと読まない、なまけものだから)

これも昔からずっとそうです。
自分だけではよくわからない(読みが深まらない)部分を他のひとのお話を聞いて学びたいと思っています。

それが高じて今度は
より経験ある大人に話を聞きたいと思うようになりはじめたのがずぶの学校の「文学momimomi」という月一回の読書会です。
(2ヶ月お休みしていましたが、6月からまた復活予定)

3月からエリ先生の個人レッスンを受けることにしました。
本日2回目のレッスンでしたが、毎度驚異の効果を実感します。
(CMか)

行くときは足を引きずって行くのに
帰りの体の軽さたるや…とびはねるようなんです。

なぜ?!

まずカウンセリングがあります。

ここがいいの!

ほら、話をじっくりふかーく聴いてくれるんですね。
(出た、やかまし娘)

やっぱり、自分の話を先生に聴いてほしいんだね、生徒は。

私の悩みは主に学校(つまり社会)について…
今回は自分がしたいこととしていることが反対であるがゆえの葛藤。

学校(勉強)を好きになってもらいたいし、ことばのおもしろさを知ってほしいのだよ。

だけどやってることは、学校を嫌いにすること、ことばに拒絶感を与えること。

辞めたい(いつも)

あと時代とのギャップ。

今の識字力(文字を理解する力、文字を読んで考え判断する力、他人の心をおもいやる力)の低下。

現代はビジュアル、映像の時代だから、情報が文字しかなかった時代と比べると文字を一生懸命読もうとするモチベーションがすごく下がってる。

だから、文字に興味がない。

文字=古代の遺物


今日授業で「電光石火」という四字熟語を見て
ああポケモンのわざの名前で最初覚えたなぁと気付いたのですが、
私の小中学生時代のゲーム(初期の「ドラクエ」とか「ポケモン」とかRPG)って「文字」だったのです。

画面はクオリティが低いから、ほとんど文字で説明があるだけ。
ぱっぱっと流れる文字を一生懸命読んだ。

だんだん映像のクオリティが上がってきて文字を読まなくなったな。
(大学のときにFF10をやったときは映画を観てるのか?って感じだった。それはもちろん楽しいのだが)


SNSの時代だけど、ツイッターもラインも使うひとの識字力&表現力の質が下がってるからますます過激になって、ヘイトスピーチなどにもつながっていると思う。

…てなことは考え出すときりがなく、どんどん体が上に上がっていくのであった! 威嚇するふくろうのように!

そこからストレッチはじまる。

ストレッチといってもエリさんオリジナルの「整える」という作業。
本来のかたちにからだをぐぐっと持っていく練習。

自分ではなかなかできぬ…よくわからぬ…
エリさんにぐっとしてもらってなんとなく「すっく」とする気がする
「そうそう」「きれいだよ」と言われてほっとする。


本日よく言われたキーワード…

「わりばし」
「尾骨」
「鳥かご」
「汽笛」

メロスの朗読をする。

私は、授業でからだを動かしたり、声を出したりすることをきちっと(=縦横無尽に、いつも止まってる)する、自分のからだを生かすことが目標なので、「声」を出すための練習をいくつかの段階をふんでやっていく。


声も姿勢も背中を意識することが大切。


(というのを聞いて、司馬遼太郎の「竜馬が行く」で竜馬がひとりで、背後からいつ襲われてもいいように精神統一して歩いていたっていう話を思い出した。武士。強さの秘訣か)

体も声も前に意識が行っていて前のめりになりがち。
なので体を後ろにすっとひいて、後ろから声を出す、するとオーラが…

めーーーー
ろーーーーーーーーー
すーーーーーーー

という琵琶法師的な朗読スピードで「汽笛」のように声を出す。

一生懸命文字を追う癖で
文字を見るとつい追いかけて意味を考えてしまうのも
からだや声に意識がいかない原因だった。

「両方できるようになる」

と励ましてくれる先生のことばを信じて、とりあえず汽笛になりきる。

最後まで談話する。(なかなか帰らない客)


最近はずぶ邸で暮らす時間が増えて、からだが下に来たような、地に足がついてきたような感覚を感じる。

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ちゃんと暑いし、虫もいる。小さいけど地面がある。
家の構造が自分でもなんとかわかる範囲。

おばあちゃんやともだちやご近所さんとの交流もあって、これが社会に生きるってことか?と思い始めている。

自分の(人間の)手に負えないタワーマンションがどんどん建設されていることが、何十年か先のことを考えると本当に恐ろしい。

「環境は本当に大事だね~」とエリさんも深くうなずく。
(エリさんは目下ねこのニャンコ先生のことを心配している)

「快適な建物の中にいると、雨が降ってるのかどうかも分からないんだよ…」

建物の中、組織の中というのは「人間」の感覚を奪っていくのだった。

高いところで育つこどもはのびのびできないという話をしていて、あ、私もマンションにしか住んだことないやんと思った。(違う面でのびのびしてたけど)ひよわなわけじゃ。
そして母には、静かに歩き、静かに話し、厳しくじっとすることをしつけられてきた(名言「動きなさんな」←不思議な日本語)

私、大声を出したことがない、出し方が分からない

→大声を出すことが恥ずかしい&怖い(コンプレックス)
できることなら筆談がいい(笑)

ということに気が付いた
まだまだ恥ずかしがってることに気が付いた(こんなにふてぶてしいくせに!?)

私の障害だ。文字の世界が発達したゆえんでもある。

運動(遊び)は好きだったけど体育は苦手だった……
(競争になるととたんに嫌な気持ちになる)
すなわちフィジカルに関してはコンプレックスだらけなのだった。

だからちゃんと教えてもらうことによって自信をつけたい。
それは他の活動にもつながっていくはずだ。


好きな先生に個人レッスンを受けることが一番効果が上がる。
学校は授業の数も生徒の数も多すぎる。そら、ぺらぺらになる。

「結局一対一で地道にやり続けるしかないんだよね」とエリさん。

ちっぽけな人間は自然のごく一部なのだ。

エリさんのように大地でふんばり続けたい。

やかましいまえがき

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やかまし村の種まき祭ちらし こにしさん作


―私が七歳まで生まれ育ったここ、淡路でこんなことになろうとは―

やかましいまえがき

 

長年住んでいたおじいさんが亡くなり、この家が空き家になったと祖母から聞いたのは、2016年の春でした。祖母は私が生まれたころにはすでに隣でクリーニングの受付をしていましたが、ここが貸家だったことはこのときまで知りませんでした。当時私は、15年の春に中崎町に開いたずぶの学校を、予想通りの経営難からいったん閉鎖(自宅に移転)しようと考えはじめた矢先のことでした。

 

母と内覧に来てすぐに気に入りましたが、壁も床もぼろぼろで、雨漏りもしていて「あばらや」といった様子で、祖母も母もお手上げ状態。両者「かわいいけどお金はかけたくない」とのことでした。私も中崎町で部屋を借りていたので、すぐにどうこうというふんぎりもつかず、放置していました。夏に、順調に中崎町の方を閉鎖して自宅に移転し、今後も活動を続けていくためにお金の使い方、働き方、暮らし方をしばらく落ち着いて考えようと思いました。

 

ちょうどそのころから宝塚にあるteraco(テラコ)で部活動がはじまったので、場所を失った私は渡りに舟と、「毎週木曜日はテラコに行く」と決めました。すると、部長のさくらさんが毎週付き合ってくれて、「今日はどこどこに行こう」「今日は誰誰が来る」「今日はこれこれ作ろうか」「こんなおもしろいひとがいるねんて」など、毎回とてもライトな感じで今後の展開を示唆してくれました。

末川さんも一緒に三人でどこかへ行くことも増え、笑いの絶えない会話の中で、仕事のし方や生き方などを教えてもらっています。

愛あふれる、かっこいい先輩たち。

私は行くだけで、いろんなひとに会えて、話ができて、知らないことを教えてもらったり、たまには教えてお金をいただいたりもできるようになってきました。

 

そんな日々を一年半ほど続けているうちに、インタビューをして本人に言語化してもらいながら「進路相談」にのることや、「文学」について語りつつ、そのひとの考えや経験を聴くことが、私ができること(したいこと)だということが、だんだん明確になってきたのでした。

 

その間も、この家の改修や補修についての相談を建築士さんにしてみたりはしていたのですが、周りのひとになんと言われても、私はやはり「ゆるい学校」、私が勤めているような学校とは違う、自分なりの「学校」のような場所を作りたい、ということは変わらないし、まちの風景として年代物の風情ある家がつぶされて駐車場やマンションになるのは嫌でたまらないので、それを守るには誰かが身を削らねばならない(責任をとらなければならない)、でなければ文句は言えないとも思っていました。

 

高校からの友人であった中西さんにはずぶの学校を開校してから、ことあるごとに出演してもらっていましたが、そのうちに空堀で行われるイベント「物語する芸術祭」に参加してみようということになり、「ずぶとじぶ」というユニットを結成し、まちの中でおどりを探すという新種のRPG冒険型の公演を行って、好評を博した……というか自分たちがとにかく楽しかったので、多少なりともこういう働き方、

「好きなひとと自由で創造的な仕事をしてお金をいただく」

という意志は是非持ち続けたいと思うようになりました。

 

中崎町のずぶの学校では、大学時代の文学部ともだちのこにしさんが、絵の展示会をするというかたちで場所作りに協力してくれました。そのときに、本の制作に詳しい小梅さんと出会い、創作ユニット「ウチュークジラ」の二人と念願の同人誌を和綴じで作るという夢が叶いました。それが悠長派文学の金字塔「和亀(わかめ)」です。和亀の製作は一冊一時間ほどを要し、何もイベントがないときはほぼ和亀に関わって暮らしている(紙を選びに行っているか、原稿を書いているか、印刷しているか、折っているか、綴じているか)という状態で、今や年中行事に組み込まれています。

 

あちこち一緒に行商や自主的な出張、研修に行ったりするようになって、こにしさんが

 

「大学の演習室のような場所がほしい」

※(本に囲まれた中に机があってみんなで、またおのおの勉強したり話したり、先生が授業をしたりする場所)

 

と言っているのを聞いて、「ああ、それにちょうどいい場所があるんだった。けど、使えるのかなぁ、うーむ」と、それでもまだ自信がなくて手をこまねいていました。

 

17年の6月、一通の手紙が舞い込みました。それは「ずぶぬれ」を見て届いたはじめてのおたよりでした! 「ずぶぬれ」とは16年の12月から発行している、ずぶの学校のフリーペーパーです。場所をなくした私は、紙面にそういう場所を作りたいと奮闘し、いろんなひとに余談をせがみ話してもらう(書いてもらう)というかたちで紙の上で学校を作ろうと思ったのでした。

 

ずぶの学校に興味を持っていただけたらしく、是非お会いしたいということで、わりとすぐに自宅に来てくれて、お話したのが寺嶋さんです。

寺嶋さんも、私と同じように何名かの作品を集めてフリーペーパー「遊撃手を探して」を作っていてすぐに意気投合、これもわりとすぐに「一緒に何かを作りましょう」「何をしましょうかね~」という具体的な話になっていきました。

 

紙系の創作はもう二人ともやっているのでいいかなぁ…ということになり、何か、音楽なのかは分からないがライブ的なセッションがしたい(実は二人とも元吹奏楽部でした)と結論が出て、「あ、場所は実はあるんですが…」とここでまた思い出して切り出しました。寺嶋さんはDIY的な作業にも慣れていらっしゃるそうで、あっさり

「やってみましょう! 実験室的な場所って、いいですね」

と乗り気になってくれました。

 

ここで、中西さんとこにしさんを誘って四人がはじめてこの家に集結したのが、昨年の6月末のことでした。

 

毎週できるだけ集まって、掃除や補修をしつつ、イベントを開催していこう。いや、イベントを開催するために掃除や補修をしていこう。「今したいこと」を優先的に「今あるもの」を利用して「ずぶのしろうと」ながら、とりあえずやってみようじゃないか。

 

「Learning by doing」

教育家デューイのおことば通り、とにかくやってみて考えよう、実践あるのみという方針で。

 

【一年のあゆみ】
・創作会(7月~)
・物々交換会(8月)
・日曜学校(11月)
・縄文茶会(12月)
・校長誕生日会(1月)
・読書会(2月~)
・句会(3月~)

 

そうこうしているうちに、祖母が出資して屋根を中心に外回りの補修をしてくれ、ご近所さんから古い家具や食器、着物、はぎれをいただいたりして、みんなで持ち寄った布をつなぎ合わせてマットを作ると、なんだか温かい家らしい雰囲気になってまいりました。

 

布には思い出が詰まっていて、見るとそのときのことが思い出されます。マットを作りながら、その布で誰がなにを作ったとかいう昔話を聴いて、それを生かそうとするのはとても素敵な時間でした。私は自分が毎日学校で働いているとき、服や布を買うばかりで全然使いこなせない、ものを大切にできないことにストレスを感じていました。今は考え方も生活も変わったので、なんでも(ではないけど)自由に切り裂くし、つなぎ合わせることができるようになりました。

 

今回は、種まき祭に向けて本格的に内装に着手していこうということで、テラコの床を貼った、遊び心とホスピタリティ満載の飯坂さん(MICROCOSMOS)に癖の強いお願い

「押し入れに人形劇のスタジオがほしい」

「(キッチンがある)土間をギャラリーにしたい」

等々たくさんして、無理難題を柔軟に聞き入れていただきました。

 

zubunogakkou.hatenablog.com

 

この家は、あちこちがパッチワークでできています。誰かが作ったものや、使っていたもの、使われなかったあまりものがつなぎ合わさってできています。お祭りの三日間はさらに、このときかぎりの、ライブでしか生みだせない作品もまじえて、さらにクレイジーなゆがんだ時空になればと思っています。

 

そしてこれからは、また新たなメンバーが来てくれて、ますますおもしろいことができたらいいなぁと念じながら、種をまきたいと思います。ご一緒に。