もやもやずぶちゃん

ずぶの学校校長のやかましみさきです。高校で国語を担当して10年ほど経ち、活動が学校の外にもはみだし気味。ゆる~くほがらかに絵や文、俳句、ぬいぐるみの創作、人形劇、手作り作品のお店をしています。おたよりください。zubunogakkou.com

もやもやずぶちゃん

ずぶの学校のやかましみさきです。

高校で国語を担当して10年ほど経ち、活動が学校の外にもはみだし気味。

学校や社会の問題をみなさんと、ゆる~くほがらかに考えていきたいです。

絵や文章、ぬいぐるみの創作、人形劇、手作り作品のお店、表現教室をしています。

おたより待ってます。zubunogakkou.com

ずぶの学校新聞 no.41

~ノンバーバルで自由なだんらん~



夏休み、過労で心身を病んだ兄(石川県在住)が仕事を一か月休んでいるということで、ずぶの学校にやってきた。以前会ったのはいつだったか思い出せない。2~3年ほど前だっただろうか。

仕事が忙しい上に遠いので、会うためには意識的に動かない限り困難だった。というか、「忙しい」というのは心を失くした状態であり意識がないため、ふと「会う」という発想に至ったとしてもすぐに流されて忘れてしまう、といった具合かもしれない。一日一日過ごすのが精いっぱいだったと思われる。自分もそうだったので、そうじゃないかと想像する。


文字のやりとりをそれほどしてこなかった理系の兄と、数年ぶりにラインやツイッターでやりとりをしていて事態の切迫感に、瞬時に自分や周囲のひとと重ねあわせてしまった、共鳴!(癖です)

「見えてるものを見ないふりしてその場を切り抜けていくんよ…切り抜けれれば切り抜けていくほど、しんどくなっていく。切り抜けることが仕事になって、本質がどっかいってしまうんよ」

私が抱える学校の問題だってそうだった! 兄とバーバルコミュニケーションができる日が来ようとは!(?) 兄は「若そうな言葉」を取り入れようと、ツイッターでも生きた言葉を探しているようだった(気づいたら私の友人や生徒とも相互フォローになってておもしろかった)。


ずぶ邸に到着したてのお疲れの兄に、開きにくかった玄関の扉を修理してもらい、なぜかこちらから学校での出来事を相談して、日が暮れてから隣に住む祖母と三人で銭湯に行くことになった。


祖母は耳が遠いため、ほとんど会話にはならず私一人だといらいらすることも多いが、三人で出かけて、なんとなくお風呂に入って、言葉少なに回るお寿司をたらふく食べて帰ってくるというのは、どこかとぼけていて気が楽だった。私と兄はそのままずぶ邸に泊まることにした。お酒を酌み交わしながら、「山月記」の朗読CDを聴き(前回の句会以降ブームだった)、お互いの好きな音楽を聴いているうちに眠ってしまった。


ずぶの学校をはじめた理由には、学校における問題意識のほかに家族を含めた人間関係を見直したいという欲求もあった。20代後半になったとき、自分も家族も年を重ねていくなかで、関係性が閉鎖的であること、淀んだ状態が続くことが息苦しいと感じた。私だけで、家族一人一人(祖母、父、母、兄)のすべての問題に対応しなければならないというプレッシャーがのしかかってくるかのような気がしたのだ(勝手に)。


ステレオタイプな家族観(その他の価値観)が無意識のうちに、そうでない現実を生きる個人を傷つけることはよくあることだろう。自分も知らぬ間にたくさん傷ついてきたし、まだしぶとく傷ついているようにも思う。「血のつながった家族は仲良くなければならない」「必ず分かり合えるはずだ」「その団結の意志を確認するために集まらねばならない」云々。そういった個人の本音を封じた慣習が形骸化している場合、仕事と同様の苦痛を伴う(しかも無償で)。


私の家は、誰もその苦痛をあえて受けようとは思わないので集まりはない。結婚していたとしても、常に会いたい意志を持つひと同士が今まで通り一対一の関係を続けさえすればそれでいいと思う。絶縁したとしてもそれはそれでいいと思う。血がつながっていようがいなかろうが、しがらみがあろうがなかろうが、会うか会わないかは自分で決めることだ。どうにでもできる。これを機に、友人や生徒とも合宿(ともに暮らすこと)をしたいと思うようになった。


翌朝、兄は俳句を作って自分で俳句コーナーに飾っていた。特に説明したわけじゃないのに、言葉のひとじゃないのに、自分から言葉を求めたり作ったりしてくれることが嬉しかった。「行動」自体がノンバーバルで希望だった。創作とは、オリジナルの、唯一無二の、新たな関係性を生み出す「行動」だ。テンプレートを全く無視した自由自在、縦横無尽のコミュニケーション。縁切り寺のようなずぶの学校では意志のあるもの同士が好きなように「生きた関係」を更新し続けることが許される。「家族」の可能性が内にも外にも広がる場所だと感じた。

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うみがずぶの兄だよ。「永遠の共鳴」!!

ずぶの学校新聞 no.40

~読書感想文でも書いてみる 再読中島敦①『山月記』~



七月は一人の高校生から話を聴くことがあり、教師や親など周囲の大人たちの心無い言動に驚きと憤りの連続だった。


長く高二現代文の定番教材になっている中島敦の『山月記』は、エリートコースを歩んできた男が自らの「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」とによって自分から孤立し挫折し、人間から虎になってしまう話だが、まさにこの「虎」になることが「大人」になるということなのかもしれないと何度も思わされた。大人たちの言動はどれも、こどもに「はやく虎になるように」「虎になれば楽になるから」と勧めているようにしか思えなかった。虎になると無意識なのでためらうこともなく、うさぎを殺して食べる。そこで人間に戻り、血を見てその事実に気が付き、ショックを受ける。男はだんだん人間であるよりも虎である時間の方が長くなり、完全に虎になる前に友にすべてを話し、最後に哀しく月に向かって吠え、姿を消す。


「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」が肥え太り、ゆるぎない壁(障害)となって何があっても何をしても微動だにしない「虎」として完成する(虎に申し訳ないが)。この作品が長らく教科書に載っているということは、完成した「虎」から未完成の「人間」に何を「教えよ」ということの暗示なのだろうか。


私は、作者が未完成の「人間」として悩み続けることをこそ、優しく励ましてくれる物語として、若者たちへの応援歌として読み、高校生の時に心を打たれたし、今でもこうしてすぐに思い返せるほど自分の血肉となっている。「虎」として人を傷つけている自覚を持ちながら「人間」として悩み苦しみ続けることが生きるということなのかもねと友と話し合う空間、我が身を反省する時間を持つことが大切だと思ってきた。


その高校生は生粋の「人間」なのだ。「虎」として生きることへの疑問をずっと持ち続けている。虎になるぐらいなら「死」を選ぶと心に決めている。その決心を、自我を失った虎たちがよってたかって叩き潰して否定し、自分たちと同じように虎になって心を殺して生き延びることを強要する。それが「教育」なのだろうか。授業で扱う内容と学校自体の「教育」内容は矛盾している。授業で教えることは結局のところ建前で、実際はそれとは真逆のことをごく自然に洗脳し続けているように見える。


夏休み明けに自殺する「人間」が多いことは納得の事実だ。「虎」になる(戻る)ことへの絶望を感じるからだ。それは多くの大人がなぜか無意識に「完全な虎であらねばならない」と思い込んでいることが原因だということ。つまり「教育」が問題なのではないかと思う。


虎である時間が長くなればなるほど、完全な虎に近づいてしまう。私は、ふんばって「人間」であろうとしているひとを応援したい。そのひとが私にとっての希望の光だからだ。考える「人間」を生かすことが私のしたいこと(仕事)なのだ。



<8月の句会でみんなで作った句>

月曜日 あることないこと 走馬灯

休暇果つ とらよりのとら ナウ


(「走馬灯」は夏の季語、「休暇果つ」は秋の季語。高校生は「まあまああり」のことを「あり寄りのあり」と言うので真似してみました)

 

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ありがとうございます

前回の記事は、学校の事情を考慮して非公開にしました。

学校はより誠意ある対応を考えてくださるということで少し安心しています。

たくさんの励まし・ご心配のお声をいただき、ありがとうございました。

多くの人が同じような経験をされていたことが分かり、

親身に考えてくださったことがとても嬉しく、生きる希望になりました。

勇気を持って、みんなでいい方に向かっていければと思います。

ずぶぬれ vol.6 快晴元年 夏

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よだんのよだん(巻末コラム)

 

呼吸困難の日々に酸素を注入する方法として、いくつかの経済的な療法をご紹介したいと思います。(効果には個人差があります)

 

まずいちばんメジャーなのが檸檬療法」(レモン・その他の果物を触る、においをかぐ、想像することによって癒される。発案・梶井基次郎ですが、さらにテンションを上げていきたい方には「色柄療法」(色・柄とりどりの紙や布を見て心をときめかせる。本屋・服屋、布屋・紙屋・画材屋に行ってみてください)をおすすめします。

 

少し専門的な方法としては「俳句療法」(普段思ってたけど言えなかったことを言語化して、公式化する。と少し許せるようになる。例・夏の季語「夜すすぎ」を知ってから夜の洗濯が好きになった!)というのがありますが、これはうまくできないために逆にストレスになってしまうおそれもあるのでご注意ください。

 

そして今回、絶大な効果を再認識しましたのは「おたより療法」です。夕暮れ時の職員室で生徒からのおたより(無理やり書かせたやつ)に返事を書くことで、一瞬孤独から解放された気がしました。その模様を一部中継いたします。

高校三年生女子たちの「しつもん・おなやみ・かんそう」です。

 

「テスト勉強をしていると眠くなってしまいます。どうやったら眠気がさめるのでしょうか?」

→私も若かりし頃「机de爆睡」の常連でした。がむしゃらに今宵も机で爆睡(俳句)。友達と連絡しあったり、漫画を読んだりすると目が覚めていつまでも起きてられるんですが勉強をする気はいよいよなくなります。

 

「やせたいです。でも好きなものは食べたいです。どうにかなりますか? それと勉強ができません。大学に受かる気が全然しません。もうむりです。あきらめそうです」

→勉強できたら好きなものを食べていいっていうマイごほうびルールを設けてみたらどうだろうか? 三つの願いがすべてかないそうだぜ。

 

「ないです。」

→はい。

 

「さいきんしゃくれてきたのがなやみではなをせいけいするか迷っています。たかくなるアドバイスお願いします」

→しゃくれてきたのにはなをせいけいするのですか? がんがん自分を褒めてみては?

 

「キライキライキライキライ! 先生たちはうそつき!」

→おっしゃる通りでーす!

 

「古典の勉強は何のためにしているの?」

→古典も療法かも。古人と友達になれれば、はかないこの世を生きる際の心強い助っ人になってくれます。

 

「自分が平凡と思った時、もういらんやん。普通なんやったらいらんやん自分。誰が心から必要とするん。ってなる。」

→なる。自分で自分を(他人を)殺さず生かす生き方を目指したい。強欲に。

 

「チョコミントが食べたいです」

→すぅーーーーーっっ

 

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やかまし みさき(赤松 みさき)

 

1986年大阪生まれ。中・高国語教師をしながら15年にゆるいまなびや「ずぶの学校」を開校し、校長に就任。今年6月「やかまし村の種まき祭」を開催したこと、前の姓と二字しか違わないこと、自分がやかましくてたまらないことから姓を「やかまし」に変えました。今後ともよろしゅう。写真は6月、旧ずぶ邸での種まき祭の模様。

 

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ずぶの学校新聞 no.39

~ここが崖だわ~

 

6月は大阪を中心に大きめの地震がありました。「死」や「無」という視点から見れば、日常がいかにはかなくもろく、非日常の世界であったか、人間がいかにちっぽけで無力な存在か、はっきりと気付かされた出来事でした。



電車でちゃちゃっと移動することも、教室にのらりくらりと立っていることも、ずぶ邸でまったり過ごしていることも、全然当たり前のことではなかった。「奇跡的に生きのびているんだなぁ」ということを「あたま」で思ってはいましたがそれが「からだ」にずんとおちてきました。 

 


奇跡というのか、縁か、運かわかりませんが、まわりのひともそうなのでした。この時間・空間・人間(じんかん)が非日常の奇跡。目の前のひととゆるくゆるぎなくつながっておくことは、この壊れやすい大地にひとり、心細く暮らしていくうえでなくてはならない命綱だと痛感しました。

 

 

「ひととつながることはできないと思いますね」と高校の時に国語の先生が喝破していたのを思い出します。(その女性の先生はとある高校で奇跡的に再会し一年同じ職場で働くことになった。送別会の時に「今はともだちを三人までしぼりました。もう時間がないからね」と言っていた。貫いているー!)面と向き合って一本のひものようになることは、クローン人間でない限り不可能だと思う。それをお互いに目指すと共依存になり、まわりへのしわよせも大きくなってしまう。ランナーのように何かしらの同じような方向性をもって並走していて、お互いその横顔を見るしかない。つまり「わかる」ということよりも(それは無理だから)、その時その場でその人の苦しみ、痛みに「つきあう」ということ(かつて「つきあった」という記憶)が、ゆるくゆるぎなくつながっているという淡い希望をいつまでも持ち続ける方法ではないだろうか。

 

 

その瞬間同じコースを走っていても、じきにそれる。たとえ災害がなかったとしても、自分で作る壁、障害がなかったとしても、崖は常に人間の半歩前にある。前田司郎脚本のドラマ「徒歩七分」の最終回のタイトル「ここが崖だわ」。ひととの別れは死別に限らず突如来る。そのひとがそのひとの道を進みだすとき。そのとき相手の決意を受け入れられるように自分も自分のコースを進むのだ。

 


それははじめて2年一緒に過ごした卒業生を見送ったときに思ったことで、その巣立ちをきっかけに「ずぶの学校」がはじまったのでした。その卒業生も就職が決まった報告をしてくれたり、来年大学を卒業するということでお話に来てくれたりもしました。「子育ては親育ち」親の方が子離れできない問題児。こどもの足を引っ張ることだけはしたくないので、好き勝手にゆらゆら生きることにしています。


この一か月はそんなふうに「無常ということ」を再確認し、パソコンと名前を新調し、また新たに何をしようかなという気持ちになってきたところです。


やかまし みさき

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句会で作った俳画。ずぶ邸種まき後の庭の様子。塀の色を塗りかえたいと思っています。
「あわじはあじあ 自転車やかまし駅前」
「蚊がいてもいなくても書く淡々と」の二句を合わせました。

かたまりの中のひとりとして

父の日の句会の次の日の朝…
note.mu

 

地震がきました。大阪、震度6弱

 

地面を揺るがすような大変なことが起こっている時、そのことに触れないっていうのは犯罪のような気がした。反応のスピードが大事だってこともよく分かった。

 

わかっていながらも、手が震えていて、自分が逃げることに必死で書くことができなかった。

 

いつか来るはずだったカタストロフィが今日来たんだと思った。

 

大変なことってのは、結局「個人的」なことととらえられてしまうということも分かった。大変だと感じるのは個人だから……? 自己責任? たとえ地震というかたちで、ある程度の範囲のひとと同じ経験(一見)ができたとしても。

 

たまたま月曜日は仕事(学校)は休みだったのだが、その30分後に

「今日の授業は二限からとします」

というメールが来て、怖かった。大きく揺れたのは私だけだったのか?と思わせる力もあった。

でも、実際電車は止まっていたし、電話も通じなかったし。どうやって行くの? 連絡するの?

もしその日に授業があって行けてたとして、さあ授業をと言われても「何を?」それどころじゃない、自分のことでいっぱいいっぱいなんだよ。しかも相手もそうなんだから。授業なんかできるか!

 

これって個人的なことなのか?

個人的なことは社会的なことではないのか?

 

 

地震は広い範囲でかたちにあらわれるからわかりやすいし、まだ共有しやすいほうだと思う。

 

それでも、私は東日本大震災の時も熊本の地震の時も、そのあとになってからもそのことに文章で触れたことはなかった。当事者性のなさ、畏れおおさ両方あった。今はじめて触れた! 今回自分が揺れてみて、触れてもらえること、声をかけてもらえることはうれしいこと、正気に返るような気持ちになることをやっと実感したのだ。

 

何らかの(切実な)声に対して「応答すること」に関しては意識的にやろうとしてきた。が自ら発すること、特に怖い思い、苦しい思いをしているひとに、自分から名前を呼ぶこと(呼び戻すこと)って私はずっとできていなかった。今もなお苦手なことだ。

 

地震だったら、ここまでのことを割と多くの被災経験のあるひとに共感してもらえる気がするのだが、そのほかさまざまな痛みも同じことだと思う。

 

私は地震の前日まで別のことでいつになく沈んでいた。(地震のおかげで吹き飛んだ)

 

このことに関して、今までだったらひとに「相談する」ということは積極的にしようと思わなかった(できなかった)と思う。相談されることはあっても相談するのは苦手だから。「話す」ことが下手で、感情がうまく退けられず整理して説明できない。内容に嘘が生じる。誠実さに欠ける。そのことによってわかってもらえない、否定されたら傷つく。相手の考え方、気持ちを見計らって合わせてしまう。向こうも面倒くさいだろうし、そうなると私も申し訳ない。相談するほどのことじゃない(個人的なことだから)と思っていた。(そしてツイートに垂れ流したりもしている…)

 

それは、私が今まで大事にしたいと思ってきた「私」を主語にして話すってことなのじゃないのか?

できてないやん。面倒くさくてもやるんだった。

 

個人的な感情も、人に話すから社会的な感情になっていくのではないのか?

 

個人的な感情も、話せば相手にだって別の経験で思い当たる節があるかもしれない。今はなくてもその先そう感じるかもしれない。

 

しかしどうやって誰に相談するのか。

 

相談する前に相手に「期待」があり、相談してるうちに「説明」になり「配慮」になり「教授」になり「誘導」になる側面もある。そして「幻滅」になる。何をしてるんだ、自分。

 

そんな浮ついた言葉遊びの相談じゃなくて、まわりのひとにはただ知っておいてもらうだけでいいのだ。単なるアウトプット。迷惑でもそういう相談は積極的にしていきたいと思う。今しなかったら引きずってこじらせて、あとあともっと迷惑をかけると思う。ひとりでは生きられない。上に上がった体を下げてもっと地に足をつけてひとりふんばる。前のめりの姿勢を後ろにひいて、立つ。もっとずんずん行く、遠くまで。続ける覚悟。

 

一対一の関係では、存在を許して、見とめてもらうだけでいい。

 

そして全体に対して、話すことが苦手な私は書くこと、あるいは俳句(笑)、表現で議題を提出して相談に乗ってもらいたいと思う。

 

自分の座る場所は、自分で切り開いて整えていく

と思ってずぶの学校をはじめたんだった。原点。

 

かたまりの中のひとりとして。

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蚊がいてもいなくても書く 淡々と

 

 

名前を変えました

私あかまつみさきは、これから「やかましみさき」を通称名として活動していこうと思います。

 

「やかまし村の種まき祭」を経て、リンドグレーンの「やかまし村の子どもたち」を読み、女の子として生きるこどもの力強い意気込みのようなものを感じました。それはリンドグレーン女史の鼻息そのものでもあると思っています。

 

わたしはずっと旧姓が好きではなく、「赤松」になったときはよろこんで自分のことをそう呼んでいました。学校では生徒に名前を呼ばれる機会が多いので、旧姓よりその方が「先生」をつけて呼ばれるのに耐えられました。

 

ずぶの学校を設立し校長として外で活動するようになって、だんだん変な気持ちになるようになりました。文章を書いているときは特に。

 

手紙や、生徒に向かって話しかけるように書く文章は赤松でも気にならないのですが、外で全体に向かって発言するときに、書き終わって最後に署名するときに「あれ、わたし赤松じゃない…」ということを毎回思い出してしまうのです。

 

実はこの病は小学生のときからありました。アイデンティティの揺らぎ。私っていったい誰なんだろう? という。

 

みさきはみさきだけど…

 

所属がわからない…(できない…ない…)

 

「種まき祭」というイベントを開催して、「やかまし村のミーサ」というのはとてもしっくりきたので、またあかまつと二文字しか変わらないので、また自分がやかましくてたまらないので、「やかまし」ということばを名字にすればいいじゃないか! と思いつきました。グッドアイディア!

 

私が書くことを一歩引いて受け止めてもらいたいという気持ちもあります。「ばかにされ上手」の自負があるのです。

 

改名に関して「社会人として信頼できない」というおことばもいただきました。

 

顔写真や本名を出さないのは血を流していない(リスクを負っていない)のでよくない、信頼されないという気持ちも確かにありますが、できないひとや、したくないひとも確かにいると思います。

 

私の場合は単に「違う」というだけのことですが。「ちゃうちゃう」「ノンノン」といって生きていくみたいです。

 

主語のない「社会」に流されることへの反発(戦争反対への意志)

主語を「私」にして話すこと

「私」と「私」が関係を築く意志を持つこと

そのために「ゆるゆる生きる」こと

 

活動の原点です。

 

もし失った信頼があるなら、これから活動を続けていくなかでまた築いていきたいと思います。よろしくお願いします。

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やかまし村にて