もやもやずぶちゃん

ずぶの学校の校長ZUBUです。高校で国語を担当して10年ほど経ち、活動が学校の外にもはみだし気味。ゆる~くほがらかに絵や文、俳句、ぬいぐるみの創作、手作り作品のお店をしています。おたよりください。zubunogakkou.com

もやもやずぶちゃん

ずぶの学校校長のZUBUです。

高校で国語を担当して10年ほど経ち、活動が学校の外にもはみだし気味。

学校や社会の問題をみなさんと、ゆる~くほがらかに考えていきたいです。

絵や文章、ぬいぐるみの創作、手作り作品のお店、表現教室をしています。

おたより待ってます。zubunogakkou.com

ピクニック俳句

最近は朝、無理せず起きて
朝昼兼用のブランチにして一日二食+おやつ
というのが自分に合っている気がしてきました。

学校で三学期制をやめて二学期制にするようなもの?


朝はやく起きた場合も
6時7時に何かを食べる気になれないんだよ…そういえば。
無理やり食べていたのだが。

ブランチだと外で食べても金銭的な罪悪感は少ない。

学校がある日も
三時間目か四時間目に食堂でしっかり食べると
栄養もあるし
ゴミも洗剤も少なくて済むしいいんじゃないかと。

(食堂で食べるというのは)自家用車ではなくバスで通勤するようなもの?




何年か前までは
早起きできないことがストレスでした。

したいことがあるのにそれをがんばってしないことに理想と現実のギャップを常に感じていました。




強欲や
と諦めました。




私は早起きできないし
したいことはがんばってしない。
(仕事・約束じゃないかぎり)



日々に過ぎ行くさま、かねて思ひつるには似ず。一年の中もかくの如し。一生の間もまたしかなり。 (徒然草


予定通り予定外。

予定外なのは予定通りだ。
負け犬の遠吠えだけど、別にいい。
問題は負け犬かどうかではないからだ。




DJのマーキーさんが大好きです。

アラジンの魔法のランプの精ジーニーに似てると思う。(キャラクターが)

先日FMココロの放送で「ピクニックゴルフ」(命名・マーキーさん)
をしてると言ってた。

・スピーカー
・いす
・サンドイッチ or おにぎり

持参の南国気分のゴルフ。


いいなぁ。そういう遊び方、働き方、生き方(時間の過ごし方)がしたい。

しかも
「スコアはそこそこいいっていうのがかっこいいんやけど…
(なかなかそう簡単にはいかない)」

っていうのも粋だ。



動物園のコアラは12時間寝るらしい。
キリンは3時間。

私は野生のコアラぐらいの睡眠時間なのかもしれない。




周囲のアーティストや学者の方々はストイックに
早起きしてたくさん作品を作って勉強して日々着々と技術を向上させていて

そういうのを聞くと焦ったものだった。
なりたかったのかもしれない。
気取りだったのかもしれない。(気持ちだけ)

でも私は今アーティストや学者ちゃうやん!と諦めた。
(明らめる、だ)

ないものねだりではなく、あるものを生かそう

起きてる時間をどれだけ楽しめるかを考えようと思った。




ピクニック風に学校に行って
質の高い授業ができればかっこいいなぁと思うけど…
(なかなかそう簡単にはいかない)




ずぶ邸では、ピクニック的にお店ができていると思う。
あるものを生かした結果だ。

お客さんはまだ(ほとんど)来ないけど。




俳句に関しても、最初の句会はかなりがんばった句会だった。

選ばれようとしたり選んだりするのは、わたしには無理だった。


がんばってできない。
がんばってはしない。

何気なくする。
楽しげに、機嫌よく、ピクニック気分でする。


一日も一年も一生もまたしかなり。
f:id:zubunogakkou:20180525011452j:plain
ピクニック人形劇の役者がそろいました!


むりむりちゃんと同じ放送を聴いてました~
murimurichan.hatenablog.com

すぐ遊ぶ

f:id:zubunogakkou:20180519113523j:plain

 

小学三年生ごろの、ちびずぶ作「詩だよ」です。

(ためて母の日にあげるわけだね、注は母)

 

都会から郊外のベッドタウン(その辺に一棟しかないマンション)に引っ越しして

一人部屋をもらって

アウトサイダーになってアイデンティティが芽生えて

(市から町になったから都会(大阪の淡路ですけど笑)っ子だった自負もあったかもな)

 

小学校は制服から私服、ランドセルからリュック

広い運動場、遊具いっぱい、テストも順位もないのびのびした学校になって

 

担任の先生に作文を褒められて

父にもらった古いワープロ(一行ずつ印字する、後にはもどれない)で

作家気取りで

楽しく(けっこうその気で←褒められたから)創作していたころの作。

 

 

動物は飼いたかったけど、母がアレルギーとのよしで飼えず。

ルル、その他すべて和歌山のおじいちゃん&いとこの家の動物たち。

 

 

このころから「すぐ~する」構文に注目していたとは。

 

(むりむりちゃん、すぐ就職する)

murimurichan.hatenablog.com

 

なんとなく非難の気持ちが混ざっているのがおもしろい

ぼやき構文じゃな。

 

「みんなやることがある」

 

ってのも今と全く同じ感想(ぼやき)

 

「だーれも遊んでくれへーん」(my口癖)

 

 

こないだの投稿で思い出した

斎藤和義の「ジレンマ」というアルバムを聴いてます。

 

とても懐かしくていろんなことを思い出します。

 

これは兄が高校の時からバンドをやっていて(今も細々とやっているそうな)

最初は斉藤和義のコピーを結構やっていたんですな。

それで聴き始めたんだった。

 

当時はよくわからないすごくマイナーな歌手という印象を勝手に持っていたんだけど。

 

そのバンドのことと家族の不和(イエモンの活動休止と解散と軌を一にしているのが売り)を思い出す。

 

古典の授業で『徒然草』を読んで

 

「だいたい思い通りになることはないけれど

ないと思ってたら思い通りになることもあるから

 

不定と心得ぬるこそまことにてたがわず」

 

というところで、このアルバムに入っている「幸福な朝食 退屈な夕食」

 

「予定通り予定外」

 

というフレーズがぱっと浮かんだんです。

次の授業で流そうと思ってます。

 

 そして来月、また人形劇をします。

f:id:zubunogakkou:20180524132041j:plain

 

中学一年生のときにもやった。

自主的に。手を挙げてやった。

 

5月頃のオリエンテーション合宿でやった(前のめり)

 

誰も求めてない中でやった…

 

桃太郎。

 

私が人形を作って

友達(巻き込み事故)と練習してやった。

 

担任の先生(女性)だけが大絶賛してくれた。

その後、教室にお人形を飾ってくれた。

 

ジレンマには「郷愁」って曲も入ってます。

 

この曲を電車の中で聴いて

私のふるさとはどこかなぁ

と思ったこともあったね。

 

今も私のふるさとはどこか分からないけど

ここなんじゃないかと思うな。原点。

 

f:id:zubunogakkou:20180524132236j:plain

 

すぐ人形劇する(ずぶ俳句)

 

すぐできるように、ずぶ邸に人形劇の舞台を作ってもらいました♪ 見に来てね。

進めナマケモノ

おたよりはまだ来ません。

 

そうなの! 公開往復書簡をしたかったんです!

ブログでラジオのようにおたより紹介もしたい…

腹心の友むりむりちゃんからお返事が来たので

murimurichan.hatenablog.com

 

いぇーい!

私もお返事します。

 

murimurichan.hatenablog.com

 

むりむりちゃんへ

 

 

主体性のないところから

主体性を引き出す(エデュケート)する

というのは至難の業ですね。

それはもう魔法なのかもしれませんね。

 

私もからだの98%の部分、

水の部分はダル~ンとしていて主体性がない気がしています。

 

むりむりちゃんのようにあちこちに行ったり

食べ物やおみやを買ったりということがひとりではなかなかできません。

(すぐ座りたくなる) 

 

かわいいものを見たら魔法にかかるんだけど…

あんまり売ってないのね。

 

ひとりでは起き上がれないので

誰かのいるところに行くって感じ

(常に息切れしとるな)

 

母から聞いたが

こどものころから自分でごはんを食べなくて困ったらしい。

口の前までスプーンを持っていかないと食べない子だったらしい。

それはもう、自らご飯を作って食べるとか奇跡に近いでしょうと思う。

たま~にしかしないけど。よござんすよござんす~

 

全方位的に主体性を持つっていうのは、やはり凡人には無理なんでしょうな。

 

13といえば

私のキャパシティは「13」らしい(占いしてもらった)

 

確か30ぐらいまであって、だいぶ少ないほうらしい。

体力がなくて、面倒くさがりで、いらちなのもすっかり納得がいきました。

 

他力本願というか

他人からエデュケートしてもらってようやく活動できているといった様子。

 

声をかけてもらうこと

名前を呼んでもらうこと

約束すること

宣言すること

見守ってもらうこと

期限を設けること

お金をもらって他のこと(瑣事)より優先する意志を持つこと

 

仕事をするには他人の「求め」が必要で

それが重い私をやっとこさエデュケートしてくれるなぁと思います。

 

生きる力は鈍感力ならぬ「巻き込み力」

 

今日の日記もむりむりちゃんからの呼びかけに応じるというかたちで

ねこの手をふるっております。

 

最近の好きな動物は

 

1もぐら

2くま

3ねこ

 

パンダは落選(くまに入れとこう)

戌年になってから犬も好き。

そういえば学校を辞めるとき、生徒にこんな画像をもらいました。

  

f:id:zubunogakkou:20180516230214j:plain

2パーの力をふりしぼってる感…

 

 

 

Be IKEMEN!

最近は、旧ずぶ邸の工事着々と。

 

急進的に夢が叶いまくっていますYEAH!

 

teracoの床を貼った

 

MICROCOSMOS – 大阪市都島区を拠点に、家具・店舗・住宅の設計・施工を生業としている。 Based in Osaka-shi, Miyakojima-ku, we are designing and constructing furniture, shops and houses .

 

の飯坂拓也さん(通称いーはん・IKEMEN2で特集する予定)にお願いして

改修していただいています。

 

何日かお仕事していただいて思ったことが

 

普通の工務店じゃない!

(ていうか工務店じゃない)

 

ということ。

 

その場その場で

 

現場をよく見て

あるものをよく見て

そこのひとと話して聴いて考えて決めて作る。

 f:id:zubunogakkou:20180515011729j:plain

すごく柔軟。

 

私のぬいぐるみの作り方と一緒だー

 

と親近感を覚えております。

(一緒にしないで)

 

ライブ感がある!

 

悩みや要望をむげにせず

解決・実現策を一緒に考えてくれるんでありがたいです。

 

建設的。

(文字通り)

 

※もちろんいろんな案件があるのだと思いますが

今回旧ずぶ邸をやってもらっての個人的な感想です。

 

工務店さんだと

前もって計画がきっちり

見積もりもきっちりでてきていて

 

当日その場でなんか違うと思っても

もう違うとは言えない。

 

ビジネス! 

プロ!なんだから口出し厳禁! 

(てこともないんだろうけど、そんなに話し込んでないから関係が希薄で言い出しにくい

&設計するひとと施工するひとが別=施工するひとは知らないひと→もじもじ)

 

土台はしっかりやってもらうことが大事ですが、見える部分に関しては、自分でも考えたい(我が強い)私に合っている気がしました。

 

とにかく

 

普通に話を聴いてもらえるのが嬉しい。

 

そう、癖があるしうるさいんですね私、いろいろ。

(ご存知ですかね)

静かそうに見えてね、やかましいトットちゃんなんです。

 

要望も悩みも変なんですね。

(たぶんね)

 

住んでる家じゃなし、でも家だし。

お店じゃなし、でももの売ってるし。

 

なんて説明したらいいか分からない場所なのだけど

 

説明したくないわけじゃなくて、私は実は

いろいろゆっくりと聴いてほしいんだなー

と気が付きました。

(悠長派だけに)

 f:id:zubunogakkou:20180515012002j:plain

生徒もそうじゃないのかなぁ…

 

私にはよくわからない部分

(数字とか技術とか難易度とか)

頭の中で「なんやかんや」となって宙に浮いている部分

について具体的に説明してもらえて

 

こうするのがいいのでは?

 

煮え切らないところでは

 

よし! そっちでいきましょう!

 

というのも言ってもらえるので頼もしいです。

 f:id:zubunogakkou:20180515012857j:plain

さほど儲からない案件なのに真剣にやってくれる=ほんとうのプロ=プロのIKEMEN

 

アーティスト寄りで

先生(親方)寄りで

かつ、こども心を忘れないで

工務店のようなお仕事をされる

 

ととらえました。いいかえると

 

ずぶ的

(いいかえてよりあいまいになる)

 

なんだかよくわかる気がします。

 

庶民(ずぶのしろうと)と工務店の間にある感じがします。

 

ほんとうのプロはずぶごころを失わないのである。

そのやり方は時間も手間もかかるしいろいろ言われそうだし

金銭的にも大変だと思うけど、そういう仕事がわたしゃ好きです。

 

予算を超えてもいいや!と思っちゃいます。

(もちろん、しっかり予算のことも考えてくれます!)

 

 

そういえば、ずぶをはじめるときに思ってたのが

 

学生さんに(場を)作ってもらいたい

 

ということでした。

 

ビジネスライクなものづくりじゃなくて純粋な

ずぶのこころで作ってもらうのが夢だったんです。

出来がどうのとかよりも、そういうやり方が好き。

 

今回いーはんくんにはアシスタントの学生さんがついてきてくれて

いろいろ教わり学びながら感動しながら作ってくれていて

それも嬉しかったです。

 f:id:zubunogakkou:20180515012514j:plain

要望は尽きないので、まだまだお世話になろうと思っております。

御用達。ご近所でよかった!

あかん、あかん

とある地下鉄の駅で。

 

途中で止まる電車だったので、みんな下りた。

私も下りた。

 

一人だけずっと座っているおじさんがいて

駅員さんが声をかけて下ろした。

二つほど隣の扉から。

 

サングラスをかけて帽子をかぶって

リュックサックを背負っている。

 

よくみると、どうやら白い杖を持っている模様。

 

下ろされたまま

線路に背を向けて

ホームのギリギリのところに立って

じっと動かなかった。

 

危ないな

どうしようかな

と思っていると次の電車がきた。

そわそわした。

 

おじさんはもとのポーズのまま動かなかった。

電車が後ろを通ってもびくともしなかった。

 

私は電車に乗った。

ドアが閉まり

かたまったおじさんは向こうの方に消えた。

 

 

私は行ってしまった。

 

 

なんでこういうときに行動が先立たないのかなと思う。

 

それを変えたくていろいろやってきたはずなのに

こういうときに動けなかったら

何もかも意味がないんじゃないかと思う。

私とは関係ない

とか思うのがものすごく嫌なのに。

 

 

あの先生、あの人、あの子なら絶対動いただろう

と一人一人確認して自分を苦しめた。

 

それで罪悪感を癒そうとした。

ただの痛みフェチ…

 

中島敦が書いた

悟浄の気持ちがすごく分かる。

ずっと悟空に憧れてる。

 

泥沼でもがく

生きるってことは悪事に加担することなのだった。


4月に上空を通ったロシアの広大な敷地には
ゴミが大量に捨ててあって
そのままになっていたらしい
プーチン氏の一声でこれから変わるらしい
(朝日新聞GLOBE No.205より)

f:id:zubunogakkou:20180510000358j:plain
ほぼ滋賀ほぼ静岡ほぼロシア(ずぶ俳句)



広かったらそうなるのかぁとか
他人事みたいに思ってたら

日本のペットボトルごみが
中国に送られていたらしい

え、リサイクルしていただいてるのだと思ってた…
(消費が多すぎておっつかないらしい)

中国の農村のひとが分別して洗って
資源に変えていたらしい

そのとき大量の洗剤が川に流れ
土壌からは水銀も出てきたらしい

中国が政策を転換して受け入れをやめるので
次は東南アジアに送るらしい…
(先ほどたまたま見たクローズアップ現代より)


何だろうそれは。
それが私がやってきた(いく)ことでもあるとは…
死にたくなる…



今日も古典を教えていて
自分はジャパネット高田社長か?と思った。

これとこれセットでお得!
みたいなことも言ってた。
(それも予備校の先生に習ったことだった)

それが先生の仕事なの?

受験のためにもてる知識の安売りをして
好きな文章をおとしめて辱しめて

生徒は別にそれを望んでるとも限らないのに
私が何かしないとって勝手に焦ってるだけで
それで受験に古文が「いる」とか「いらん」とか
そういう俗っぽい会話をしてしまって
後で嫌気がさす。

入試がなかったとして
私が本当に話したいことって何だろうか。


功利的な社会になってきている
というか、私がそうしているのだった。


テストがあるかぎり
社長口調でしか聞いてもらえないと思うから
即効性のあるメリット的なものをちらつかせて
釣るしか起こしておく自信がない。

そんなのでたとえ釣れても
長期的に見れば害しかないのに。

中国がだめなら東南アジアで的な方法でしか
目の前の問題に立ち向かえないのだった。
(それは…その場しのぎという。その場をしのぐことが生きるということ、悲しい現実)

もっと根本的な意欲を引き出すには?
「勉強」「学校」という概念は置いておいて
単におもしろいと思ってもらうには?

(そこが難しい。まず「勉強」「学校」に対する嫌悪感がものすごい)

「あこがれ」や「好き」という気持ちをエデュケートしたいのだが。

受け売り以外の言葉ってなかなかないんだ。

自分の言葉ってなかなかないんだ。



最近は「翻訳」に注目している。

言葉を言葉で教える方法。

そういえば昔から好きだったけど
書き下し文は翻訳だ。

外国語を日本語にだけじゃなく
すべての物事を現象を
自分で翻訳して生きてることがおもしろい。

分かったようで分からない
分からないようで分かる気もする

そのちぐはぐな世界観が
なんやかんやする力わざが
曖昧でこんとんとした境地が

ミステリアスでもっと知りたいと感じさせる。

古典を現代語に
現代語をJK語に
JK語を自分語に

何度も何度も翻訳するってことが
ミルフィーユにつぐミルフィーユが
自分の言葉を話すってことなのかなって思ったり。

やっぱり鳴き声のヴァリエーション*1なんだ。


f:id:zubunogakkou:20180510000708j:plain

ずぶの学校新聞 no.37

~外でも中でもしっかりと立つ~

 

 

5月、ずぶの学校設立三周年です。ついに木曜日と土曜日の週二日オープンするというところまできました。

 

大学生の頃から私の思い描いていた理想の家のかたちに近づいていて驚きます。床の間や縁側、小さな庭。そういえば、私はずっと「個人商店」へのあこがれがありました。

 

お医者さんや美容師さん、建築士さん、弁護士さん…などなど個人で独立される方も多いのに、なんで先生は個人営業がほとんどないのかな? という疑問。 儲からないから…?

(あるとしたらほぼ塾←受験用の)

 

先生だって一人ずつがもっと独立していたらおもしろい。いろんな先生がまちに、普通にフラットにオープンにいたっていいなと想像していたのです。

 

 

ずぶの学校をはじめてから、卒業生と大学をめぐり考えるフィールドワークをしていますが、今回は東京編。早稲田大学でした。GWで建物はほとんど閉まっていたので、非常にざっくりとした感想ですが…学校をブランド化する方法を学びました。

 

・大きい。じゃーん!という感じ。(無理)

・新しい。きれい。エスカレーターついてる。(無理)

・古い。長い歴史の説得力。(いける!)

・グッズショップとカフェがある(学生が運営か)(やりたい)

f:id:zubunogakkou:20180507213420j:plain

奥がTHE早稲田の建物だそうです。ちょっと遠い…

f:id:zubunogakkou:20180507213622j:plain

レトロな建物もある! 窓が洋風 憧れのアーチ

 

これはすぐに畏怖からの崇拝になりそうだ。だいたい中のひとの考えが建物にあらわれるなぁと思うことが多いですが、学校は小さな個人にとって(生徒にとっても、先生にとっても)「親」であり「屋根」である、衣食住が整って、その傘下にいてはじめて勉強でき、研究できるのだなぁ。

 

f:id:zubunogakkou:20180507220324j:plain

像を建てるのもいいな

 

そういった権威とか立場とか関係のないところで、ひとと対等にともだちになり、学びあうことはできないものか。学校の先生は、学校という傘がないところでは先生ではいられないのか。

 

学校も「ごっこ」のひとつなのだから、多少の演技は必要なのかもしれないが、妙に「先生」(自作自演の)を演じすぎているのではなかろうか。一方的に攻める(授業する)ということは実は簡単で、最大の守り(閉じこもり・シャットアウト)であると感じます。

 

何の考えもなく、ただ演技の一部として、あるいは学校の進路実績を上げるために、誰かの受け売りの情報で有名大学に行くように仕向ける雑な進路指導が蔓延していることが憂鬱です。それを欲しがる親や生徒がいることもしんどい。

 

 ここ数ヵ月(数年来)考えてきたことは「責任をとる」ということです。自分のことばや行動に対して。それで小さくても自分の「屋根」を持ったんだと思います。

 

〇自分のことばで話すこと

 

〇目の前の相手とちゃんと一対一の関係を築くこと。

 

〇たとえ行きずりの関係であっても、また会える場所(希望)を設けておくこと。

 

〇ひととひととの関係が流れていかないように意志を持つこと。

 

責任者になる修行として、ずぶぬれの編集のほかに、この春は「ディレクター」の仕事に挑戦しました。

 

学校を退職される、元同僚現まぶだちのめぐみ先生が明るく前に進めるよう企画した

 

「退職記念お話会」

 

これは先生から「したい!」という要望があって、なおかつ私も「したい!」と思って敢行しました。

 

私が「D」、健脚の元テニス部キャプテンが「AD」、先生が「徹子」という最強にとぼけた布陣で。この三人がこんな配置で再集結しようとは。

 

紆余曲折(なんやかんや)を経て実現した神社(第一部)と公民館(第二部)でのお話会は、一見とても不思議だが、実のところとても当たり前の会だったように思います。それは来るひとが「しっかりと来た」ことによるのかもしれない。

 

murimurichan.hatenablog.com

 

murimurichan.hatenablog.com

 

空間をある文脈にデザインして

あるもの、いるひとみんなを生かす努力。

(授業と同じ)

f:id:zubunogakkou:20180507214116j:plain

床の間に山と犬

 

この一見変なイベント(儀礼)をあえて「する」(屋根を設ける)ことによって、大事なもの(ひと)を先生は自力でつなぎとめたんじゃないかと思います。

 

新旧関係なく好きなひと、(関係に)前のめりなひとと空間を共有すること(共存すること)が、そのひとが本当に前を向いて「生きている」時間だと感じます。それが日常の中で一人の人間として「生活している」「活動している」本来の姿ではないのかな?

 

本当は一番大切にしたいはずの、この時間をできるだけ長くする努力は、自分さえやる気ならいつからでもできる気がします。

 

(「山月記」の)李徴もお話会を開いてみれば良かったね!

(呼ぶひといないんだろうな…いや、臆病な自尊心が邪魔して呼べないのか)

 

ぼーっとしていたら流され、虎化(ゾンビ化・疎外)させられる人生に、派手な杭を打ち込んだめぐみ先生に拍手です。

 

そういう時間が、その先の未来に自分の足でしっかり立つための支えになるのではないでしょうか。私もそのためにずぶの学校活動を続けている気がします。