もやもやずぶちゃん

ずぶの学校のやかましみさきです。絵や文、俳句、ぬいぐるみの創作、人形劇、手作り作品のお店をしています。ワークショップ、オーダーメイド受付中。おたよりください。info@zubunogakkou.com

ずぶの学校のやかましみさきです。

絵や文、ぬいぐるみの創作、人形劇、手作り作品のお店、

表現の家(ライブハウス)をしています。

ワークショップ、オーダーメイドも受付中!

おたより待ってます。

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始祖の地へお参り

今年の8月25日に和歌山県みなべ町で開催した「山の寺子屋

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 このイベントに関わった方々との不思議なつながりから、私は自分のご先祖様に出遇うことになりました。

 

2019年7月 ひろみさん(「山の寺子屋」主催のさくらまみさんの同級生)より『随筆みなべ』(平成30年に創刊60周年を迎えた)の存在を知り、この冊子を発行している「みなべ文芸の会」現会長がやかましの故祖父の弟(御年91歳)であると発覚

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随筆みなべ

この夏は、25年程前に亡くなった祖父の弟さん(大おじさん)と文通をすることができました。大おじさんは、元小学校の先生で住職をされていて文章を書くのも、文集作りもお好きなようで…気が合う予感。(私のおじいさんも中学校の国語の先生で住職だったそうです。)大おじさんのこれまでの文章を集めた文集「ともしび」を送ってくださいました。その後、私はお返事を書きました。

 

心のこもったおはがき『随筆みなべ』『ともしび』をお贈りくださり、ありがとうございました。ふりかえってみると15歳のころに、父と母、母と兄が絶縁し、仲の良かった兄が父とともに家を出て行って以来、「和歌山」「H(旧姓)」ということばは私(=母)にとって禁句になり、父を許せない恨みを心の奥底に秘めて生きてきました。しかしさらに思い返してみれば、小学生のころは勉強に忙しい母と兄を横目に、父と私のお気楽コンビはドライブに行ったり、公園に行ったりしていましたし、和歌山では(おじい)さんの暮らす小さなはなれで愛犬ルルと遊んだ懐かしい時間もありました。今となっては、幼いころの自分も、父と母も遠ざかり、ありがたかったこと、本当は嫌だったことをあきらめ、みとめることが少しずつできるようになってまいりました。今の自分は父にも母にもそっくりだと思うのです。手放しに期待しすぎても完璧な人間はいない。残念ながら父も母も私もたいしたことのない、ちっぽけな生き物です。ただ、今のように豊かな感性を持つ自分は父と母がいなければ存在しなかったことは確かで、二人を誇らしく思えるときも半分あります。この夏、天のおみちびきにより(大叔父)さんと出遇うことができ、その文章や長年の活動に感銘を受け、ずっと目を背けてきた「H(旧姓)」という名字を大事に思えるようになってきました。自分がお寺さんの孫で教職にたずさわる方が多い家系であるという事実も、今は自分の生き方(不器用で泥くさい)に、あきらめまじりの確証と祝福をくださっているように感じます。ありがとうございます。

母を生き父を生きたる我うらら(俳句を作っています)以下略…

 

すると後日「H家の家系図」が送られてきました。私のひいおじいさんを起点として派生した数々の名前、名前、名前…。それを私は旧ずぶ邸でともだちたちと眺めながら物思いにふけりました。ある友達は「先祖のことを思うと戦争がなくなる」という少数民族の教えを教えてくれました。そうかもしれない…と思いながら脈々と続く線を見て(しかもまだここに書かれていない線が無数にある)直属の直近の線にばかり目が行って悩まされることの小ささをひしひしと感じたのでした。目に見えるものしか見ていないからそうなるのかなと…。

 

「山の寺子屋」前日、約25年ぶりの和歌山入りを果たし、イベント当日もおじいさんや大叔父さんを知っている方々、元生徒さん、そして大叔父さんの代わりに足を運んでくれた息子さん(父のいとこ)とお会いしお話することができ、時空を超えたような気持ちで幸せな一日を過ごし…

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校長室にて

(「山の寺子屋」写真撮影:さくらまみ)

 

私は8月末しめきりの『随筆みなべ』に「みなべの声を聴いて」という文章を寄稿しました。

 

このたび、さくらさんのご友人ひろみさんからの数奇なご縁で、『随筆みなべ』の存在を知りました。送っていただき、開巻一番、「H(旧姓)」という懐かしい名前が目にとびこんできて、どういうことかと思いましたら、なんとみなべ文芸の会会長の(大叔父)さんは、私の故祖父の弟さんなのだそうでした。『随筆みなべ』……私のやりたいことはここにあり。地縁、血縁にかかわらない(地縁、血縁を含めた)「選択縁」(上野千鶴子さんがそうおっしゃっています)でゆるく連帯していきたいと考えています。これは「私」のやりたいことなのでしょうか、それとも地の底から響く「みなべ」の声なのでしょうか。ともあれ血の祝福をいただいた気持ちです。和歌山の血が「テラコ」や「ずぶの学校」、そして「山の寺子屋」として「社会の良心」となって、ひそかに息づいているのではないかとも感じます。
今さらながら「和歌山に原発は一基もない」という事実にはっとせずにはいられません。それは目先の経済的利益よりも後世にまで残る豊かな自然を大事にした先人たちの、長年の反対運動によるたまものなのだそうですね。尊敬できる先生(先に生まれたもの)の存在は、私に、後をゆく者に、生きる希望を与えてくれます。「いただいた希望はこどもにお返しするように。おとなはこどもを希望にするのではなく、おとながこどもの希望になれるよう生ききることを目指すのです。」和歌山に遺された海や山を見ると、そう教えられている気がします。

 

9月に入って、当日あまりお話することができなかったひろみさんが「ずぶの学校」にお越しくださいました。ひろみさんはピアノと歌をされていて、紙芝居のみちよさんと「ひろみっちょ」というユニットで、活躍されています。

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「山の寺子屋」にて「ひろみっちょスーパーゲリラライブ」のようす

子育てやお仕事でされている学童のおはなし、こどもをとりまく環境を見て経験され実践されてこられたおはなしは自分の経験とも共通する部分があるように感じて終始うなずいていました。

その日のことを、ひろみさんがブログに書いてくださりました👇👇

ameblo.jp

 

ある夜、私はまた『ともしび』を読んでいて25年前のおじいさんのお通夜、お葬式のときの大叔父さんのあいさつ文を発見しました。

 

昨夜のお通夜にも申しのべさせていただきましたが、兄は昨年八月以来、すでに手術不可能な重い病気におかされ、早くてあと一か月、長くてあと半年と言われていた生命の期限が神仏のご加護のおかげにより八か月二五四日も生かされたのでございますが、一昨四月十一日午後五時四十二分遂に命の火が燃えつきてしまったのでございます。

この間、家族の私たちは本人に重い病であることを感づかせないようにとの心くばりの毎日ではございましたが、今から思えば本人はすでに感づいていたのではないかと思われるようなことがいくつかあるのでございます。それだけにこの八か月は死を前提として一日一日を大切に、自分自身には忠実に、人さまには誠実に、お寺の護持興隆のためには最高最善の力を尽くしてよりよく生きた悔いのない充実の日々だったのではないかと思います。

あれを思いこれを思うとき故人は「大やん大やん(おじいさんのあだ名)」と縁ある多くの人々から親しまれ慕われ敬愛されそして中学時代から今日まで温かい友情をいただいたT先生の病院でその生涯をとじさせていただけたということは本当に幸福なことであったと思います。

あとに残った私たちには愛するものを失った大きな悲しみと共に惜別追慕の情を禁じ得ないものがあるのでございますが、今はただ故人の残してくれたおおらかで人をおもいやる豊かな心と、あのユーモアとウィットに富んだにこやかな笑顔を心の支えとしてこの伝統ある●●寺の護持興隆に励みたいと思っていますので、どうか故人同様よろしくお願いします。

それではただいまから、故人生前、幾たびか多くの方々をお見送りさせていただいた斎場へ今日は送られる身となって向かいます。

永の別れに際し、どこからか

”みなさん永い間ほんとうにお世話になりました

ありがとうございました

ありがとうございました”

兄の声なき声が私の耳底に聞こえてくるのでございます。

改めて兄の心を心として厚く御礼を申し上げごあいさつにかえさせていただきます。

 

私はこの25年前に目の前で聴いたはずのお話を時を超えてふたたび聴き、「声なき声」のしめくくり、「兄の心を心として」にはげしく共感…共鳴(?)して、そのとき涙ながらに、みなべ行きのバスの時間を調べました。案内役はひろみさんにお願いしようと勝手に決めて…

 

自分のことだと思うまで、そしてそのあと実際に行動にいたるまで、これほどかかるのでした。

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ついに…!!始祖の地へ…

「ようこそお越しくださいました」と握手して、大叔父さんはまたしても「家系図(改訂版)」をくださり、そして昨日親戚から届いた(?!)という、私のひいおばあちゃん方(大叔父さんの母方)の家系図の冊子(?はじめてみました)をくださり、そしてそして30歳の若い熱い青年教師時代からガリ版で刷って配っていたという寺報(お寺の通信)をくださり

「こういうなん作るの好きな家系やね…」とつぶやいていました。

 

誰はどこでどうなった、どうしているということをなんでも把握していて、「みなべの生き字引(生き歴史?)」という感じでした。奥深くまでたどっていったら、やっぱりひろみさんとも親戚でした…(!!!)。

 

こうしてルーツの、元の、根本までさかのぼることで、自分は他人であり、他人は自分であり、社会を学ぶことが自分(他人)を学ぶことであり、自分(他人)を学ぶことが社会を学ぶことだという、本来のシンプルな事実を思い出させてもらいました(ひいおばあちゃん方は井原西鶴と親戚とか…ちょっとそのへんの線はあいまいな感じだったが…)。他人事なんてないのだ。

 

「大やんが生きてたら喜ぶやろになぁ…」

「大やんの魂がひろみさんを通して連れて来てくれたと思うなぁ…」

と感激してくださり

 

「(24で結婚するまで)Hでがんばってくれたんやね」

「Hにはこれだけのひとがいるんやということひとりじゃないんやということを知っといてくださいね」

とお声かけくださり

私は来てよかったなぁ生まれてよかったなぁと思いながら

大叔父さんがかわいくてやさしくて泣きました。

生きるならこういう先生になりたい(そう思って先生になろうと思ったんだった)。

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寺報「ともしび」より

 

 

帰りのバスで聴こえてきた歌詞…

ありがとうありがとう私に流れたいろんな人たちの血

 

もう誰のせいにもしないって

YOSHII LOVINSON 「SWEET CANDY RAIN」

 

 

ずぶの学校新聞 no.48

~「山の寺子屋」開催~

 

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 私やかましは古着のリメイクで参加。

 

先日主催のteracoを運営しているさくらさんと開催に至るまでの流れを走馬灯のように振り返ってみました。

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開催のイメージを思いめぐらしてみました。

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~開催後のふりかえり~

 「山の寺子屋」で考えたこと

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「山の寺子屋」でやった(やりたい)こと

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山の寺子屋
主催:teraco  共催:みなべ町

www.teracodeicora.jp

 

 

ずぶの学校新聞 no.47

夏至のおまつり 終わりました~

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夏至のおまつりちらし(こにしともよさん作)

6月1日~23日まで、旧ずぶ邸で行われていたイベント「夏至のおまつり」が終了しました。たくさんのご協力、ご愛顧、ご支援ありがとうございました。

 

◉注文の多い小劇場2(ダンス公演)

ずぶとじぶプレゼンツ「注文の多い小劇場2」
2019年6月1日、2日


「注文の多い小劇場」とは、パフォーマンスユニット「ずぶとじぶ」が、古民家「旧ずぶ邸」をまちの小劇場と見立て、ちからわざで活用・再生しようと試行錯誤する企画。表現者ができるだけ創作活動に没頭できる環境、またできるだけ表現者に利益が還元される仕組みを模索するため、来場者、出演者への注文が多くなりますが、ひとりひとりの「想像力」と「思いやり」によって成り立つ、あたたかい架空の劇場です。

 

2018年9月にダンサーの今村達紀さん、木村玲奈さんをお迎えした第一回公演がありました。

zubunogakkou.hatenablog.com

第二弾となる今回はダンサーの内田結花さん、斉藤綾子さんをお招きし、古民家旧ずぶ邸を生かしていただきました。

 

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★公演前にラジオ収録しました★

【ラジオ】ずぶとじぶと綾子さん

https://spoon.today/cast_312852

 【ラジオ】ずぶとじぶと結花さん

https://spoon.today/cast_325033

 

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NAKAYOKU TANOSHII OMOIYARI(ずぶとじぶのモットー?)


 

◉人形劇「ホテル雨もり」

2019年6月1日、2日
作・朗読:こにし ともよ(原作『和亀ニ號』所収)
人形:やかまし みさき、こにし ともよ 
演奏(コントラバス):坪井 慧太 

 ~あらすじ~

カエルのナナさんが暮らす草はらのしげみはいい住まい。けれどナナさんひとりには広すぎてときどき寂しくなってしまいます。そこでともだちのかたつむりの助言をえて「かんばん」を出すことにしました。 『ホテル 雨もり 雨が好きなかた かんげい』 さてさて、どんなお客さんがやってくるのでしょうか?

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 原作を読んでから3年越しの夢かない感無量。
人形を作ることと実際に動かすことの間にはだいぶ距離があり、それを埋める試みは一生がかりの仕事かなぁと思います。
ご近所さんとお子さんたちも観に来てくださいました。劇場から客席を見るのも劇場のだいご味だなと思います。
こどもの声が聞こえると嬉しくて、逆にいいものを見せてもらったなという気持ちです。(授業のときもそうでした。)
おとなもこどものような表情を見せてくれて楽しいひとときでした。
作者の声、ウッドベースの響きも心地よく、旧ずぶ邸にもぴったりでした。

おわったあとは…
こどもらと共食いをする人形劇(ずぶ俳句)

 

◉Q-enta(クエンタ)さんの絵の個展「ゆるゆるアニマ―る展」&ライブペイント
1日~23日まで期間中ずっとゆる~い動物たちが土間でひそかに見守ってくれていました。迫力満点かつゆる~いライブペイントは最終日にありました。

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ギャラリー土間にて

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ごろごろ観覧スタイル

 

◉架空読書会

 卒業生のゆきち主催の架空読書会とは、カードをひいて「架空の(存在しない)本」のタイトルを作ります。その本を「みんなが読んできた」という設定で、あらすじや感想をのびのび語り合うという「読書会ごっこ」です。
前の人が話したことを絶対に否定しないで、楽しくうそにうそをぬりかさね、みんなでうそを「ほんと」にしていくあそび!

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part1〜4をラジオ収録してみました。このあと7時以降も5,6,7…と続いて夜は更けていきました。
架空とはいえ、みなさんのマイブームや好きなもの、ことば、普段摂取している文化、世界観が出てくるのでおもしろ〜い!


👾架空読書会 part1
「沸騰したプレミアムおねえちゃんの」

https://spoon.today/cast_348961

主催のゆきちさんイチオシの本「沸騰したプレミアムおねえちゃんの」! 姉妹のおはなしなんだけど…あとがきで…もう一人いたってわかる?! 白玉といううさぎも登場?! 発想が沸騰した、アドベンチャーした回になりました〜

 

👾架空読書会 part2
「えっ?!の城を探せ!」

https://spoon.today/cast_348992

ゲストのペンシルさんイチオシの本「えっ?!の城を探せ!」おはなの城、すいかの城、Tシャツのしわの城…??シルクハット🎩の……ぎんぎつね??いやみなネキチの口癖「世の中金だマニ」??ポテサラを食べながら、ドラエモンの映画みたいなおはなしをしました👻


👾架空読書会 part3
「虫食いを添えて赤ちゃん」

https://spoon.today/cast_349025

じぶこと中西さんイチオシの「虫食いを添えて赤ちゃん」はスティーブンキングもおすすめの人間の真理に迫ったホラー小説。自分の中の暴力性が暴かれる幻想的文学的文章。虫食いの装丁の本。うさんくさいスナイパー舘ひろしとナメクジ…?一週間だけ八百屋で売ってた…??


👾架空読書会 part4
「魅惑のハニートラップ偽善者」

https://spoon.today/cast_349058

ゆきちゃんのイチオシ「魅惑のハニートラップ偽善者」はミステリー仕立てだったのでみんなで推理しながらおはなししました。主人公は一人じゃない?一人称がオイラ、おいどん、それがし?多重人格?「偽善者」というアイドルグループ?おばあちゃんとキャラメル…

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まことしやかな表情で行われる架空読書会


そのほか、かめな句会、ゆるのびストレッチ、未来の民芸品「つむじ」づくり、和綴じ本「和亀(わかめ)」、巻物「かめな句集」の発行、縄文茶会などなど…

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火焔土器でお茶(縄文茶会にて)

と、これまで旧ずぶ邸で行われてきたイベントや新しい試みを大集結しました。

 

約一か月にわたる、ゆるくてほそぼそとしていて、おとなしそうで地味にやかましいイベント、旧ずぶ邸らしい低体温のおまつりだったなぁと思います。

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一年分の俳句を集めたなが~い巻物(右)

今まででいちばんたくさんのひとに関わってもらえたのではないかな、じわじわと来場・参加してくださる方が増えていっているのがとてもうれしいです。

 

これまでしかくい建物の中で季節感のない生活を送っていた現代っ子のわたしですが、季語のある俳句の会をはじめて、これだけ「げし」「げし」と唱えて祝うとようやく夏の到来もからだで実感できている気がします。

 

年中行事「和綴じ」もはじまって、みんなで輪になって話しながら、なにかを作る時間が生活の一部になっていることがとても健康的な気がしています。

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和亀六號、発行しました!

サイクル、循環、まわる…まわす…!ということを考えながら、日々暮らしていきたいです。夏休みは(も?)ぼちぼち営業で亀のようにあゆんでまいりたいと思います。

 

★お越しになりたい!と思ってくださった方は…

7月8月、毎週土曜日15時~19時に。

またはご連絡ください。

info@zubunogakkou.com(やかまし)まで。

ことばの身体性を求めて

いつのまにか6月になり、人形劇が終わるやいなや梅雨入りし

 

かましは即興楽団UDje( )(うじゃ)のフリーペーパー「うじゃーなる」の編集に関わらせてもらっていました。ついに祝発行っ♪♪

 

そんななか

2016年の再結成から毎年恒例になってきたTHE YELLOW MONKEYのライブ…に行ってきました。

 

ライブ…授業も場づくりも仕事もライブだと思っているやかましは思考が

イエモン」と「うじゃ」と「ずぶ」を行ったり来たりしてややこしいです。

もやもやと右往左往しています。

が、すべては同じことと思うのです。

 

生(なま)生音(なまおと)生言(なまこと)

なんと言っても生の音が響く…

そして生の言葉(生言といってみたい)が私の心を打つのだった。

楽器と声の振動。

MC(おはなし)が好き、なんだけど一番好きなのは

声(音)とことばのミックスと、その中間地点。

 

今回のうじゃーなるの座談会では「日本語の難しさ」が議題に上がっていました。

 

ことばを音楽として使っていくときに「アイシテル」は恥ずかしい、「レイゾウコ」はたのしい、のように、ことばによって、かっこよさに違いがある気がするという意見がありました。

 

では、どういうことばだったらいいのか。

 

ナカガワ すごい実感をもって楽しくしてたら、私は別に「愛」だろうが「うんこ」だろうが、それは愛するよ。

 

かましは、この座談会とうじゃーなるの編集で「ことばの中身は意味じゃなくて実感なんだ!」とひしひしと再確認しました。

 

ことばの中身は意味じゃなくて本人の実感。

場や関係性がある中でそのことばでないといけないっていう本人にとっての必然性があるかどうか。

誰がいつ言うのかがそのつど新しい意味になる。

だから本人の意志がはっきりしないことばは抜け殻で無意味で響かない。

 

というマイ結論を得ました。

 

そういえば、「愛」とか「絶望」とかそういったことばが十代のころは全然好きじゃなかったことをライブに行って思い出しました。うさんくさいと思っていた。

「誠実」とか。宗教も怪しいと思っていた。即物的なことばが安心信頼の呪文だった。

だからそのころはそういうことばを歌わないスピッツ(マサムネさん)が好きだったのだった。英語に逃げず(安易に英語を話すことは逃げや迎合と考えていた)、日本語のださくてかわいいところを生かしていて好きだった。

(今も好きだよ)

「愛してるの響きだけで強くなれる気がしたよ」(スピッツ「チェリー」)が「アイシテル」を恥ずかしいと思う多くの日本人の正直な気持ちのように思います。

(知らんけど、のような照れ隠しがいるってことかー)

 

でも二十代になって「愛」や「絶望」に実感がともなうようになってきてから、イエモンの(吉井さんの)歌詞が沁みてくるようになったんだった。

(今は「絶望」や「希望」は普通に使いたくなるワードとなった。「愛」はまだ少なめか…でも日本語を愛しているわたし。今ならきっと他の言語も愛せる!)

 

実感があり、説得力があれば、ちゃんと本人から出たことばであれば、なんでもいい!!!!

空気を読んだり、ひとのまねをしたり、自分不在の無責任な発言、そういうのじゃなければいい。

 

それが、ずぶの学校でたまに開催する句会「かめな句会」のモットーでもあり、そういう俳句(?)が作れること、ことばをつむいでいけることがとてもうれしいです。

夏至に句集を発行します!)

 

自分発のやじるしでゆくマイウェイ(ずぶ俳句)

 

吉井さんのすごいなと思うところは(いっぱいあるけど)、歌を歌っているときに、ことばとからだが一致していることです。昔の歌でも、毎回心からそのことばを歌っているのだと感じて驚きます。

 

「触れられなければさみしいもんだよね~」のところでファンに触りにいったり…ところどころ歌詞を即興で変えたりできたり、よどみないのがすごい…前もって考えているのか、そのとき思いつくのか、訊いてみたい。

 

貫くと一本通ってはやくなるんだろうな。

(これは俳句かもしれない…)

 

ハチャメチャやってても頭はいたって冷静なんだなと思うとかっこいいなと思います。

イエモンのライブはあの人数の多さでありながら、けっこう参加型だと思う。スピッツはコンサートに近い。それもよい。)

 

うじゃにはパフォーマンスの前後に、ひとつ宣言する「木遣り(きやり)」という節のついたことばがある。

ナカガワ ステージの中で、まず私ひとりで「音~出し〜声~出し〜からだをあわせて〜これ〜すなわち〜愛を語ること〜平和を願うみなさまと~ともに~うじゃってまいりましょう〜」っていうようなことを節をつけて言って、最終的には観客もまじえて「あー」だの「おー」だのとひとりで言ってもらうっていう「うじゃ木遣り」をするんだけど、ほんとはあんまりそういう「ことば」を言いたくないんだよって。そしたら金子さん(障害福祉事業所の職員さん)はあれがあるから最後締まるんだよって言うんだけど。わしゃーってやって終わりにするよりかは、こういう思いがあるからうじゃしてるんだよっていう意味をこめて、最後に宣言…じゃないけど、お知らせするっていうコーナーがある方が締まるのは分かるんだけど。私的には…不本意なのよ。ださいのよね。「木遣り唄」は確かに少し北島三郎というか…演歌に似てるね。民謡に近い。

 

実はわたしはエリさんの「うじゃ木遣り」で泣いた経験があります。声や内容にも感動したのだと思いますが、そこまでの流れ(うじゃ)があっての歌というところでことばに多大なる説得力があったのではないかと思われます。

(その旨をお伝えしたら、「木遣りがんばろう!と思えた」と喜んでもらえました。リスポンスって大事だなーだなーもらったら返していかなきゃなー)

 

型でない自分のことばで歌を歌うということを目指したいです。

 

バンドメンバーの関係性

イエローモンキー楽しいんですよ、楽しそうでしょ、みなさんも楽しいですか?!

いろんなことがあってこれからもいいことばかりじゃないだろうけど、 おれにはイエローモンキーがあるからいいやとトイレで思った。トイレでってのがなんか残念だけど…みなさんもイエローモンキーがあるからいいやと…まあそこまでは思えないかもしれないけど…

みなさんの「かくれB級グルメ」でありたいです!

とMCで吉井さんが言っていました(順番はめちゃくちゃ、勝手につなぎました、うろ覚え)。

本当に楽しそうで、ソロの時が嘘みたいです。

(ちなみにソロも好き)

お客さんに向けてやるより前に、バンドメンバーとの関係が最優先だと思う。

誰にするかより、誰とするかが自分にとってまず重要なんだと思う。それがよいパフォーマンスにつながるのは何の仕事でもおなじだー。

したいひとと仕事がしたい。というか時間を過ごしたい。

と思っていたところで、エリさんの

だって私はお客さんとの関係よりもまずステージに立ってるひととの関係、顔の見える範囲の関係を築きたいからうじゃをやってるんだもんね。関係性がないと場を作れないわけで、誰とやっているのかを大切にしたいんだよね。

 との発言に感動しました。

お客様いのちになりすぎるのはどうなんだろうと思う。守りに入りすぎてしまうと何事も廃れる。

もちろんファンがあっての自分たちなのですが、新しいものを作るにはメンバーとの良好な人間関係がないと生まれないのです。冒険できないのです。

 

12年のそれぞれのソロ活動が今の楽しさを裏付けている。説得力があります。

イエモンは結成30周年!!!

うじゃは10年!

ずぶは4年…まだまだひよっこじゃ…

 

ことばの身体性について👇

zubunogakkou.hatenablog.com

 

人形劇したい! やろ~!

とすぐにできたことに感謝。貫いてきている。思い立ったが吉日。

人形劇はやかましの言語になりうる!と実感できました。

(っていうか、こっちがほんとのわたしのことばでは?!)

youtu.be

ずぶちゃん英語

ご近所のたむたむさんが、フランス人のおともだちHervé さんをずぶ邸に連れてきてくれました。

 

フランス語の絵本を翻訳(英語に)してもらったり

Hervé さんが撮影された動画をみたり

ピザを食べたりお話したり

いつになく日本語でないことばがとびかう空間がそこにありました。

 

私は英語がわからないのですが

(実は高校の時とても嫌いだった。話の内容がつまらなすぎるわりにおぼえることが多すぎた。外国語を話すことに対する苦手意識はコンプレックス(障害)のひとつ。それもあってずっと外国旅行が遠のいていた)

 

一生懸命リスニングしてなんとなくこうじゃないかというような

想像力で補ってなんとか話についていくも…

 

「ここはどういう場所なのか?」

「ずぶぬれはどういう冊子なのか?」

 

的な話を振られると答えるのに窮する。

自分の中にワードとセンテンスがないこと

まったくくちが慣れていないこと(人生初)によることばの出てこなさ。

 

私のことを私に聞かれているので私しか答えられないはずのことだ。

英語を話せるまわりの方々もその機会を無理に奪わないようにと

見守ってくれているのを感じるが答えられない。

せっかく興味を持ってくれているのに応えられないのはつらい。

 

ことばにできないというのは弱者だなぁとひしひしと感じた。

孤独で鬱になりそうだ。

(そうでなくても孤独で鬱にはなりそうやけど)

 

Hervé さんもともだちから私のことを「プレジデント(校長)」とか「エディター(編集者)」という断片的な情報はきいたが、私が実際何をしたくて何をしているひとなのかよくわからないといった様子だった。目の前にいるのに…

私自身の声を待ってくれていたと思う。

 

私は長時間だまってねばって

皆さんのお話を聞いてその場で吸収吸収(お得意の)

してすぐまねする(お得意の)

ことで、ほとんどのともだちが帰ってしまった夜更けには

すこしチャレンジ態勢(と本当に私が話すしかない状況)が整い

 

ぬいぐるみを見せて

「アイ メイド …」

と言ってみたり

 

写真を見せて

「アイ メイド ディス ウィズ チルドレン」

と言ってみたり

 

二階の人形劇場を説明するために

「アイ ホープ チルドレン カム」

と言ってみたりできるまでに成長した!

 

とぼけたぬいぐるみを見せてアイメイドと言うた段階で

全ての謎がとけた!というリラックスした雰囲気で

(銭湯帰りってのもあった)

 

興味しんしんの表情で

(インスタでともだちになってくれた)

 

話を聴いてくれたので

それもあって恥ずかしながらも挑戦できたように思う。

(関係性が大事)

 

「~なのか~なのか、どっち?」

ときかれたときに、すごく答え(応え)たくてたまらなくて

 

「ボース…」

 

ということばがくちから出てきたときには我ながらすごく驚いた。

自分の中にそんな単語があったとは…

単語すぎるし、こんなときの答えとして合ってるか(まだ言う…)わからなくて不安だったけど

言いたいことは伝わったようだった。

この経験はまったくもってうじゃの時と同じだった。

 

切羽詰まって、何か音を発しなくてはならなくなった瞬間、私からとっさに出てきた音は、中学の時吹奏楽部でトランペットを吹いていた時に練習した「ダブルタンギング」の音だった。トゥクトゥク…と発しながら、あ、私の中にこんな音が残っていたんだ。

 

zubunogakkou.hatenablog.com

 

目の前に「私」を待ってくれているひとがいる、

さしせまった場が、本当の「学校」だなと思う。

 

「私」が「私」のことを話す練習が学校ではほぼ封じられている。

(許されていても何らかの枠の範囲内、テンプレ)

英語でも国語でも。

でも本当は自分のことを話すことからし

ことばを発することなんてできないんじゃないかと思う。

「正解」があって、封じられていて、関係性がなくて、話す気になるだろうか?

 

自由につられてひょんな感じで自分の内から出る気まぐれな「音」

それが「ことば」の原点では?

不自由な社会では「音」は出てこない。

 

私は英語、フランス語、日本語と各国にことば(文化・歴史)があるように

東京、名古屋、大阪と地方によってことば(文化・歴史)があるように

Aさん、Bさん、Cさんにもそれぞれのことば(文化・歴史)があると思っている。

同じ日本語でも、外国語であって、

そのひとが言おうとしていることや言い方がなんとなく分かってくるまでに時間がかかる。

(この文章もずぶちゃん語)

 

私は「そのひと自身のことば、文法」というものに興味しんしんで

だからひとりひとりの言語を聴いてすぐに研究、まねしつつ返すことが自分は得意なのではないかと思っている(好きだから)。

 

それでインタビューをしたりもするけど

やはり本人に書いてもらうのが一番よくて

「そのひと自身のことば」を集めたものが

フリーペーパー「ずぶぬれ」なのです。

書いてもらう前に(書くのはハードルが高い)気軽に話してもらうのが

「ずぶの学校」という場所です。でありたいです。

そして私にとっても「待たれる場所」であり

関係が固定しない、全員にとっての「学びの場」を目指したい…

 

 

……って英語でなんて言ったらいいのかな?

(そういうことを考えるようになった…のも外国語を話すともだちができたおかげ)

 

Hervé さんまた来てくれるらしいので、英語で手紙を書いてみようかと思っています。

 

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カンスケです。

 photo by Mami Sakura

 

ぬいぐるみ・ドールつくってます。人形劇します。

ぬいぐるみも「マイことば(ずぶ語)」なんだなって知る体験でした。

www.instagram.com

ずぶ、ラジオをはじめる

3月末に、卒業生の女の子に

「ずぶ、ラジオやったら?!」

と言われて、恥ずかしながらラジオをはじめた。

(今はだれでも簡単にできる時代)

 

 

それもあって、この一か月は書くことから少し遠のいて過ごしていた。

 

学校の授業でもラジオ形式を取り入れて、生徒からもらったおたよりを読みながら

関係のない会話をしながらすすめるという方法で古典の授業をしたりした経験から

ラジオは自分にとって割と身近な方法だと思ってもいた矢先のことだった。

 

 

授業とラジオと公演

 

授業と公演の違いは、やはり準備(人間関係作りも含む)の差。

 

公演は打ち合わせ、リサーチ、クリエーション、広報、リハーサルなど本番までにさまざまな難関がある。たとえひとりで公演するとしても、音響や照明、撮影、などなど必ず誰かに手伝ってもらうことがあるだろうと思う。

 

だが授業はどうだろう? その時間、教室に行けば、はじまってしまう。チャイムが鳴れば終わり。よくよく考えれば、学校という組織自体に、その場をおぜん立て(演出)してもらって自分はそこにそれらしく立つということなのだが、組織なもんで誰にそうしてもらっているか(そうさせられているか)分からない状態、つまり、ひとりぼっちで前に立つことになる。

 

しかも授業準備というのは、往々にして「内容」の準備であって、「表現」の準備は少なめ(特に高校では)。いくら内容が整っていたとしても、表現がなければ伝わらないのに。むしろ表現(形式)のセンスの方が重要なんじゃ…? と思い始めたのが、偏差値が中間から下の層の学校に勤めて学んだ、いちばん大事なことのように思う。

 

それにしても、授業というのは多い。

週に3時間、下手したら4時間あることもある(ほぼ毎日やん)。

週に1時間、あるいは二週に1時間、あるいは一か月に1時間でもいいんじゃ…?

と私は思う。

それで1時間を90分、あるいは50分×2ぐらいにしてもよさそうなもんじゃ

と思う。

 

それぐらいでようやく準備ができそうだ。

というのは前に立つものだけでなく、学ぶ側にも(にこそ)なにかしらの準備と心の準備がいるのではないかと思う(人間関係作りも含む)。

 

自分で決めて納得してそこに行き、そこにいるということなしに

本当の「学び」は生まれないのではないか?

 

ひっきりなしに追われる授業というのは、お互いにストレスだ。

そういう状態で良好な関係を作るのはかなり難しい。

 

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で、こうなる。

 

現代文や古典にしても、ベテランになればなるほど同じ公演の場数を踏んで、ショー化し、思考停止していくのではないかと危惧する。

 

授業は先生の一方的な公演なのだろうか?

(「業を授ける」という言葉通りの意味ではそうかもしれない)

 

学ぶ側が自ら選んで、それを観たいならそれでもいいのかもしれないが、

学ぶ側主体の場づくり(という時点で学ぶ側が主体ではないおそれ…)というのはなかなか難しい。

 

先日、長年ファンだったDJマーキーさんのラジオの収録を観に行ったのだが、

もちろんひとりではなかった。スタッフはその場に3人いた。

 

  

ラジオは公演より授業に近いと思っていたのだが、

(「出たとこ勝負」感、「双方向」感、において)

出たとこ勝負だけど出たとこ勝負ではなかった。

 

音楽がかかっている間に、マーキーさんは紙(次のおたより?進行?)など入念にチェックしていた。

 

聴きやすい声というのは、大きいとかはっきりしているとかもあるだろうけど

「聴きたくなる声」ということだなと思った。

 

自分の話を聴いてもらえるし、読んでもらえるし、応えてもらえる声。

それをひとは聴きたいのではないかと思う。

 

授業の時間というか、教室という場所は、生徒にとっても、教師にとっても(立場関係なく)「学び」の場であってほしい。ひとりひとりが、そのとき話したいことを話せたらいいなと思う。

 

ひとは何をしていてもしていなくても「表現者」である自覚を持つべきだと思う。

したいからする、いたいからいるという認識を。

自分軸の主体性を。

 

部屋でひとりで録るラジオは、文を書くのに似ていた。

(一応勧めてくれた卒業生に向かって話しかけるつもりでやっています)

場によって変わる自分の声の変化をもう少し研究してみたいと思う。

 

 

△第一回 ずぶのひとりごと ~自己紹介①~
おそるおそる自己紹介しています。サティのグノシエンヌに歌詞をつけた「朝の歌〜自問〜」をぼそぼそ歌ってます。
https://www.spooncast.net/jp/cast/234166

△第二回 ずぶのねごと ~自己紹介②~
外山滋比古「思考の整理学」の一章と宮沢賢治の詩「告別」を読んでいます。ロングバージョンにチャレンジしてみました。
https://www.spooncast.net/jp/cast/236635

△第三回 ぼ~のぼ~のたいむ #0
孤独のグルメの話、ユニコさん出演の告知、石川啄木の歌。
https://www.spooncast.net/jp/cast/237818

△第四回 ユニコさんと ~新元号発表の日に~
4月1日、新元号発表の日にユニコさんにお話を伺いました。
https://www.spooncast.net/jp/cast/238495

△第五回 うねさん&たむたむさんと ~ずぶ邸でお茶~
芸大生のうねさんとご近所さんのタムタムさんとずぶ邸にてまったりしました。
https://www.spooncast.net/jp/cast/244901

△第六回 センスがないのは万死に値する~🖤
教員免許更新の葛藤をひとりごちました。
https://www.spooncast.net/jp/cast/257559

△第七回 『快晴元年のアップルパイ』出版記念お話会
ユニコさん著の『快晴元年のアップルパイ』の出版記念お話会@ずぶ邸 の第一部の模様。
https://www.spooncast.net/jp/cast/263792

ずぶの学校新聞 no.46

~どこでもそのまま在るための模索~

 

学校を辞めて空白の時間ができるつもりでいた4月でしたが、なんだか前よりずっと忙しかった。なぜ…

 

本を編集・出版したり、出版記念お話会で表現者の方々のお話を伺ったり、フランスの芸術家の方とお話したり、クリエイターズマーケットに出たり、出るために準備したり、

 

そのような過程で「芸術」や「アート」と一口に言っても、ひとりひとり意味も方法もとらえ方が異なるのだということが、以前から知っていたけど最近強く思うことです。

 

私は自分がやっていることを「芸術」とも「教育」とも「福祉」とも言えない、よくわからない(わけられない)気持ちでいます。どのことばもあまり好きではない。

 

今日は奈良にダンスの公演「わたしのいちばん好きな道 奈良編」を観に行きました。

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木村玲奈さんは、昨年の9月に旧ずぶ邸で踊っていただいたダンサーの方です。

zubunogakkou.hatenablog.com

私は玲奈さんの書く文章が好きで、前回のフリーペーパーずぶぬれにも投稿していただきました。

 

身体表現のことはよくわからないのですが、私は玲奈さんの「ダンス」の在り方が好きだということはわかります。自分がその土地、その場に在る意味のようなものを丁寧に体現されるその空間自体が作品で、それが玲奈さんの「ことば」なんだなと思います。

 

今回は、作品や文章が玲奈さんに少し似ている印象を持つ(私が勝手に持っているだけ)芸大生の采さん(昨年12月にずぶ邸で展示をしてくれた方)を誘って一緒に観に行ってきました(采さんは今回のずぶぬれに寄稿していただきました)。一人で行くのも好きだけど、一緒に行くのはいいなと思った一日でした。まちと作品の空気感を味わいながら、采さんの話も自分の話もじっくり聴けた。公演の数日前に送られてきたメールに、玲奈さんの手書きのマップがあって、そこに載っていたお店でエビフライ定食を食べながら(ここからもう公演がはじまっているようなもの)。
zubunogakkou.hatenablog.com

采さんとは三週間ほどまえにずぶ邸でお話したあと、ラインで少し作品についてことばを交わしていて、でもお互い意を尽くせないままになっていたので話すことはたくさんあった。

 

「どこでもそのまま在るっていうのはどういうことですか」

 

と聞かれて、私は自分がそんなことを言ったっけな?と思ったけど、でもそうだったなと思い直した。どこにいても、そのままそこにいたい。場にそうさせられるからするということをやめたい。自分がしたいからする、いたいからいるという方向性を間違いたくない。納得というか自覚というか。自分の足で立つというか。それはひとりよがりな感じではなく、自然にそうありたいと思うのですが、玲奈さんはどこでもそうあるような気がして憧れます。作品を観ているのが好きです。

土地や場の声に耳を澄ませてそこに、場とともに在るという姿勢が…

場にそうさせられるだけではないぞという意志をもってそこにいるような。

そして場とともに来客をもてなすというおおらかで繊細な気風というのか…

 

「もてなす」ということばは、采さんが12月の展示のあとに
「自分は「もてなし」がしたかったのかなと思う」と言っていたことが心に残っていて使っています。来年広島の牧場に就職予定で、土地や場に興味がある。

 

そういえば采さんも彫刻を専攻していて「立体」だったなぁと観ながら思っていた。最近自分が「立体作品」が好きだということに再度気が付いたから。場に「在る」「居る」ということのおもしろさ、希望。

 

さらに言えば、それを自分が動かす(自分が場によって動かされる)ということが最高の「もてなし」になるのでは? そうなればいいな。

 

相手がいる場で動かすところまでが作品、いや相手がいることで変わりながら続いていく作品。作品によって生かされる人生。主体的にちからわざで作る人生。

 

「ホスピタリティ」ということばも思い出す。高校で働いていたとき、作文を書いてもらうために作った手書きのプリントを見た保護者の方がお手紙をくれた(しかも作文も書いてくれた!)ことがあり、そのときにいただいたことば。

 

 

自分とひと(「もの」も)が今その場に「在る」意味を丁寧に模索したい。それがわたしが学校の教室でもやりたかったことだった。場に作られるだけでなく、場を作る。あるもの生かしの場。今すでにあるもののパフォーマンスを上げたい。これからもどこにいてもそれは模索したい。根無し草なりに。

 

それは「表現」というのか「ことば」というのか「問いかけ」?「姿勢」「呼吸」…「立ち方」「在り方」「生き方」? 「社会」への希望というのか理想というのか。わからない。

 

奈良町物語館…わくわくする場所でした。2階は秘密基地みたいで居心地がよかった。

(写真はないです、あったのはこれ👇)

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2階にあった文章「うらはらなくら」のタイトル(全12回)がどれもよかった…