もやもやずぶちゃん

ずぶの学校校長のやかましみさきです。高校で国語を担当して10年ほど経ち、活動が学校の外にもはみだし気味。ゆる~くほがらかに絵や文、俳句、ぬいぐるみの創作、人形劇、手作り作品のお店をしています。おたよりください。zubunogakkou.com

もやもやずぶちゃん

ずぶの学校のやかましみさきです。

高校で国語を担当して10年ほど経ち、活動が学校の外にもはみだし気味。

学校や社会の問題をみなさんと、ゆる~くほがらかに考えていきたいです。

絵や文章、ぬいぐるみの創作、人形劇、手作り作品のお店、表現の家(ライブハウス)をしています。

おたより待ってます。zubunogakkou.com

ずぶの学校新聞 no.44

~人形と労働と私~



10月末に、大阪西区にあるイサオビルで開催されている青空週末図書館へ行きました。そこで今回のフリーペーパーずぶぬれに寄稿していただいた岡本マサヒロさんがファシリテーターをつとめる「本の会」に初参加。テーマがあったりなかったりする中で(その回のテーマは「生老病死」)参加者が本の紹介をする会なのですが、人生経験豊富な参加者の方々はあたたかく、タブーもなくて(なんでも話せる!)とても居心地が良いです(岡本さんのファシリテーションが絶妙)。また岡本さんが集めた選りすぐりの本が並ぶ本棚は私のセンスにもマッチしていて民俗学系に興味あり)読書の意欲がわきます。

そのときにお借りしたのが土方浩平氏「おんどりの歌~人形劇に生きる~」。人形劇団「おんどり座」を創設した土方さんのほぼ一代記、自伝のようなものです。1905年生まれの波乱万丈の一生。北海道で生まれ、山形県で育った貧しい幼少期、東京に出て13歳から塗装店に住み込みで働き始め、小さなストライキを発案したり、仕事の合間にゴーリキーなどの文学に関心を持って小説を書いて投稿したり、関東大震災でデマにより「朝鮮人」や「社会主義者」が殺害される様子(すぐひとが殺される)や、戦前戦中の弾圧を受けながらの(すぐひとが殺される)苦しい演劇活動の様子、戦後人形劇団おんどり座(「ふてぶてしい」「愛くるしい」人形たちと!)を結成し、信州にて活動する様子が淡々と、しかし情熱を持って描かれています。ところどころに有名な文学者の周縁のひとたち(一葉女史の妹や、多喜二の母や、菊池寛など)が登場するのも庶民目線でおもしろい。一市民の素朴な声、奮闘の記録という感じがして感動と共感を覚えます。今までに読んだことのなかった系統の本でした。高校、大学生のときはプロレタリア文学などの社会的、政治的な文学を嫌っていたのに(グルメになってきた感…)、「労働」が私を変えた部分はずいぶん大きいなあと思います。ゴーリキー読めるかな?

今日は学校の最終日で特にすることもないのでチェブラーシカを観ました(二回目、去年も観せた)。私個人では100回は観ているのではないかと思うのですが、何度観てもいいです。映像も、音楽も、内容も。

第一話は正体不明の生き物である「ばったりたおれやさん(チェブラーシカ)」(うまく立てない)が、動物園で働こうとするけど、正体不明という理由で受け入れられず(マイノリティなのです)、環境の悪い電話ボックスに住まされることに。動物園で働く(服を脱いでさらしものになるという屈辱的な労働)若い紳士のワニのゲーナは終業後家に帰ってもひとりぼっちで寂しいので、友達募集のペーパー(!)を作って街のあちこちに貼ります。それを見てやってきたチェブラーシカや集まったひとたちがたくさんいて、ゲーナは「この国には友達のいないひとが多すぎる」と嘆き、「みんなの家」をみんなで作ることを思いつきます。家が完成し、ゲーナが「友達のいないひとは名簿に登録してください」というと、キリンのひとが「そんなの必要ない、わたしたちはもう友達よ」と言います。「じゃあこの家はいらないの?」とチェブラーシカが悲しげに言うと、女の子に「そんなことない! あなたが住めばいいわ」と言われ、チェブラーシカは「じゃあここは幼稚園にしよう。ぼくはおもちゃとして働くから」と言うのです!(けなげ!そんなにまでして「働く」のか!涙)

フリーペーパー、友達募集、みんなの家、作る、幼稚園、おもちゃ……何か聞き覚えがあるような……(学校で「おもちゃとして」働けばええねん先生は)

チェブラーシカ」第一話は、旧ソビエト時代の1969年に製作された人形アニメーションです。古びない…(と思うのは私だけか?)20世紀はこういう時代だったんだなと振り返りつつ、なんとなく今の自分と重ね合わせてしまいます。(ロシアに行ってみたい…)

 

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ずぶぬれ vol.7 アンチ☆テンプレートパレード

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ずぶぬれ vol.7 表紙

よだんのよだん(巻末コラム)

 

▽ついにパレードの夢叶いました。黒澤明氏の「夢」という映画は、夏目漱石の「夢十夜」風に夢の短編オムニバス形式の映画なのですが、そのひとつに水車のある村の夢があります。そこで繰り広げられる村人たちによる明るい葬送のパレードのシーン。こういう冠婚葬祭の儀式って愉快でいいなぁとずっと憧れていたのでした。今回ずぶとじぶは「新長田アートマフィア」による初主催イベント「藝賭せ(げいとせ)」に参加し、神戸新長田のまちをうろつき取材しながら、地域のお店や施設のラジオCMを制作し、パフォーマンスとして上演しながら商店街を練り歩きました。オリジナルダンス、オリジナル楽器、オリジナル音楽、オリジナル衣装(ぬいぐるみ)……多くのひとに協力してもらってやっと叶った夢でした。謝謝!

 

www.youtube.com

 

▽一年を振り返ってみると「テンプレート(型)から脱する」ということをずっと心がけてきたように思います。当たり前に思って見直したことのなかったことを見直すと、今ここにあるものの価値が改めて感じられるようになってきた気がします。あるものをどうやって生かすのかを考えることが「創る」ということなんじゃないか? 自分自身も、人間関係もそうで、現実をよく見て、本心をよく聴いて、どうするかを考えていくところからしか、納得のいく進路、自分や社会を切り拓けないのではないでしょうか。

 

「やめる」ということは、確かに挫折の経験とも言えるかもしれません。が、本当に自分が納得のいくように「やる(生きる)」ためには一度やめてみることも必要なのかもしれない。何事かをやったあとには必ずやめるが来るのです。それは悪いことなどではなく当然の理。CM制作で取材したクライミングジムで教えていただいたことがあります。まずやる前に「オブザベーション(イメージトレーニング)」する、そのあと実際に「ムーブ(動く)」しながら「トライ(やってみる)」するということです。そして初心者は楽しくてやり続けがちなのですが、時には「レスト(休憩)」をするべしということでした。でないと思わぬところが筋肉痛になったりするそうです。

 

▽確かにそう。休憩が足りない現代人。もっとばかを休み休みしないと息苦しい。そういうストレスが積もり積もって病気になったり、犯罪を犯したりしてしまうのではないでしょうか。仕事を休んだら迷惑がかかると思ってしまうが、本当はぼちぼち休んで遊んでいる方がよっぽど迷惑がかからないのに……傍からはいくらでも言えるが囚われの身には難しい。いっせーのーででやめちまいたいことは無限にある。とりあえず、やかまし学校やめるってよ。

 

 

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かまし みさき(赤松 みさき)

1986年大阪生まれ。中・高国語教師をしながら15年にゆるいまなびや「ずぶの学校」を開校し、校長に就任。2017年、高校時代からの友人中西ちさとさん(じぶ)と参加型パフォーマンスユニットずぶとじぶを結成。今年11月神戸新長田にて「ずぶとじぶの新長田こまーしゃるパレード」を行いました。

 


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ライブハウスZUBU(あるいはブティックZUBU)

現在、旧ずぶ邸では版画と彫刻の三人展「おじゃましてます。」を開催しています。

(12月6日~9日まで)

 

京都市立芸大三回生の采(うね)さん、樋口さん、玉岡さんによる展示です。

 

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玉岡さんはとある高校の卒業生で、ずぶとは、ずぶの学校開校以来、見守り見守られてきた間柄。

 

浪人時代は開校ほやほやのずぶの学校(中崎町校舎)にちょくちょく息抜きに来てくれていました。

 

初日(6日)の夜は三人が集まれるラストナイトということで、ピザを食べながらお話を伺う会を設けさせてもらいました。

 

私の疑問ナウ ~マイテーマ~

・アートとは? 社会とは? 教育とは?

・制作は療法(癒し)ではだめなのか? 反動、逃避…

 

今読んでいる本(BGB=バック・グラウンド・ブック)
鷲田清一氏の「素手のふるまい」

 

進路の決め方は?

A:「(いい意味で)ゆるそうだったから」

 

センス(センサー)のままに、正直に進路選択をしていていいなぁと思いました。

三人とも浪人時代を経ていて、根気(とそれを許す環境)がないとできないことだとも。

私も好きな方、楽しいと思う方に向かった。大学に関しては、なりゆきまかせでしたが、自分に合った大学だったと感じています。

 

大学の授業はどんな感じなのでしょう?

A:「基本的に合評(評価)に向けて制作する」

科によって異なるが合評のペースは月一や半年に一回。

偉い(?)おじさんたちに囲まれて、主に技術についてなんやかんや言われる。

 

結果…


樋口さん「好きなものが何かわからなくなってきた」
玉岡さん「自分はこなす方が得意かもしれない」
采さん「はやく牧場に行きたい」(牧場に就職されるそうです!)

 

内部での評価を気にしすぎるとモチベーションが下がる。気が進まないことに向けて制作する(勉強する)のは意欲や才能を潰すと感じる。空気を読んだ作品作り(解答)。評価する側とされる側にかっきり分かれ、お互いに心を閉ざしている状態で果たして「教育」が発動しているのだろうか。そのあたりの現状は(教える側も実はなんだかよくわかっていない模様であるあたりも)結局高校と同じだったのでがっかりした。淀んだ空気。閉ざされたムラの中で自由な作品を作るのは無理だと思う(自由な作品は求められていない?)。

 

(そういえば自分が学生のとき、椎名林檎さんの歌詞について研究したいと言ってる子がいたし、言われてみれば、私もスピッツ草野マサムネさんの歌詞を研究したいと思ったけど、おかたい「文学」部ではそういうことはゆるされないのでした。それは趣味でやることなのか…? 人文社会学ならゆるされるのかもしれないが、では文学とは…? 学問とは? 混乱…先生の「文学」の解釈の範囲内にいることが専門性なのだろうか…? 大学の外の世界の方がよっぽど自由で生き生きしていると感じる…)

 

技術を学ぶというのは黙ってコツコツやる(こなす)べきことなのか?

そうしたい、そうなりたいという目標のないところで技術だけを追い求めることが私にはできない。

 

私も大学生のとき、今やっていることに対してずっと副音声がほしいと思っていた(それを求めて本を読んでいた)。どういうふうに考えてどういう態度で論文(就活も同じか)に取り組めばいいのか、取り組んでいるのか?

 

そこは「自分で考えること」なのだろうか。卒業のための単位がいるから、お金が必要だからと、切迫した必要に迫られてとりいそぎやるものなのか……?(やってみてもいいのだろうけど、やってみたんだけど…)

 

とりあえず先生は、生徒の一番最初の(目に見える)目標(対象)となるようなときめき、やる気を起こさせるようなひと、あるいは場であらねば、生徒をのばすことはできないと思う。

 

自分が話しかけたい相手、外に向かって、特定の誰か、どこかに向かってでないと、何かを投げかける気にならない。内に向かうのではなく、その外を目がける視点が「社会性」なのではないかと思う。

 

「スキルとよばれるものは、隣の芝生に行って発揮されなければじつはだめなんじゃないか。」いいかえると、「アーティストがアーティストとしてアートの分野で何かをするのは基本的にあたりまえ」のことであって、「違う言語に翻訳されて、それが活用される」ことこそスキルというべきものであり、「違う分野に出かけて行って、アートで培った何かをそこに翻訳し、何かを作れる」ことではじめてアートとなりうるのではないか、と。アーティストとは、いってみれば「隣の芝生に行けるパスポートをもっている人」のことだと。

(小山田徹 インタビュー「触れられる未来」『素手のふるまい』より引用)

 

大学のいいところは…

A:「学生の主体性(信念、信仰)」

「好きなものがあるのは気持ち悪い、おもしろい」

好きなものがあるひとが多数派の芸大生はおもしろいひとが多いようです。同調圧力をずっと感じて生きてきたから、そういう意味では気が楽な場所かも。

 


制作は療法ではだめなのか。おたく的、雑貨的なもの、娯楽、趣味的なものと、作品(芸術性、学問性)の差はあるのか。

A:「療法でいい」

 

作品は療法で手すさびで構わないと思う。そこが原動力だから。そういうひきこもりがちな、病的な、適当な、未完の初期作品が好きなのだった。

そうした術は、どこかで行き詰ったとき、生きていられないほど困ったとき、魔法のように社会に開いていく力を持っていると思う。そうやって救いや現実の変化につなげることができる場合もあるのではないかと思う。

他人を生かすことが自分を生かすことになる。私も自分のことを書くより、思いを馳せる(重ねる)相手がいる方がやる気が出たり、必要性、緊急性を感じたりする。社会は自分であり、自分は社会なのだった。自分が変わると社会が変わる。

意識の変容、人間の変容のための「術」とは、このような風景(東北の震災)を前にした、危機的な人間のために施されるべきものかもしれないと思える…(略)

少なくとも、「術」は独立した状態で誰かに見せるものではなく、「術」として使われるべきものではないかと。

(中略)

いまは落ち着いて、自身の「アート」の契機について思い出し、あるいは新しい契機を発見し、その契機に対していま自分が行える返答を、ひとつずつ試し、送り、自らの「術=アート」として磨いてゆくほかないと思う。

畠山直哉『3.11とアーティスト 進行形の記録』/『素手のふるまい』より引用)

 

使われる=動かす(プレイ)=生かす

術=とんち、センス、工夫、魔法

 

ぬいぐるみもずぶ邸も使われてなんぼなのだ!

だが雑に使われるのはいやなんだ!

この葛藤。

 

使う側と使われる側がはっきり分かれないように。

人間関係を丁寧に築きたい。

 

アートにも教育にも福祉にも宗教にも所属できないずぶは「ずぶというアート」を生かして、そのどれでもありたい。自分も他人も生かしつつ社会に根を張って、進路を切り拓いていこう。そういう存在のしかたを模索したい。

 

 

表現とはけっして個人のプロジェクトではない。とはいえそれは、なにかある同一の価値を携えて向かうということでもない。それはいってみればもっと非決定的なものであろう。個人の内なる動機とか衝迫とかから引きだされる必然として制作はあるのではなく、他者に晒され、ときに他者に身をあずけることで、つねにおなじように「わたし」であろうとする強迫から解き放たれる、そのような偶然を孕んだ可能性、それをたぐり寄せる行為として制作はある。その可能性は、じぶんとは別の存在、つまりは他者との偶然の遭遇によって他者の方からいわばわたしに贈られるものだ。がわたしの存在もまたみずからそうと気づくことなく、それを他者に贈り返している。

(『素手のふるまい』)

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(おまけ)
とりあえず私は学校を辞めて「ブティックばばあ」(妖怪風に)になろうと思う。

 

「各学校に保健室、図書館だけでなく、畳の部屋におばあちゃんが要る!」

「コンビニぐらいそういう場所があったらいいのに…」

 

とりあえずずぶはそういう場所になろうと思う。

ずぶはライブハウスのおばあちゃんになろう。

采さんは牧場で「民宿をしたい」と言う!

それはサイコーだねっっ民宿のおばあちゃんになろう。

 

そんなこんなしていると
おばあちゃんが必殺「あずきバー」を持ってきた!!

(おばあちゃんというアート、魔法ですね)

 

すると樋口さんが泣き出してしまった。え!! どうしたの?!

芸大に行くことを応援してくれたおじいちゃんとおばあちゃんは浪人中に亡くなってしまったそうです。そうや、樋口さんはおじいちゃんとおばあちゃんに向けて作品を作ったらええなぁ…(勝手にゆうてみる)

 

三人が今後どんなふうに術を発動していくのか楽しみです。

 

第7回本の会に参加して ~テーマ「生老病死」~

リンドグレーン『やかまし村のこどもたち』

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 自分の名字は旧姓のとき、とても嫌いだった。結婚はいろんな意味で、自分にとって逃避だった。もとの家族からの。それで名字が変わることに積極的だったし、わくわくした。学校でその名前(あかまつ)に「先生」をつけて呼ばれても、痛くもかゆくもなかったのは自分の名前じゃないし~と変装している気分でいたからだろう。「ずぶの学校」をはじめて自分で活動するようになったとき、今度は結婚していることが嫌になった。自分の活動だから、人の名前で活動することに違和感がある。もんもん……。今年の春にリンドグレーンの「やかまし村のこどもたち」という本を教わり、感銘を受けて、ずぶの学校で「やかまし村の種まき祭」というイベントを開き、人形劇をした。三軒の家に住む計六人のこどもたちのにぎやかな日常は、傍から見れば、ただ遊んでいるだけで牧歌的でイージーモードやんと思われるかもしれないが、本人たちは真剣だし喜怒哀楽、生老病死(隠喩的な…こじつけ?)、学びがあり、生き生きとした人間の理想郷だ。遊びは学び。ずぶの学校はある意味「やかまし村」なんだ…おお! そしたら私は今までどこのだれだか分らなかったけど、「やかまし村の」ミーサなんだ!(あ、名前は「みさき」です)というふうに考えるに至り、「あかまつ」と「やかまし」が二字違いだという嬉しい発見が「変えるしかない」という確信、「変えたい」という衝動に拍車をかけた。ちょうどそのころには文章を書くことも増えていて、自分のことがやかましくてたまらなかったこともあり、ぴったりだ、これしかない!と思った。私の理想の、生まれて生きて死にゆく場所。私のお墓、金字塔! …気が変わったらまた変わるかもしれません。(やかましみさき)

zubunogakkou.hatenablog.com

 

青空週末図書館&カフェ通信「本の青空 No.10(2018.11月25日号)」所収

sora-aozora2020.jimdofree.com

 

ずぶとじぶがゆく② ~音楽隊とセッション編~

10月21日、日曜日。

 

京都のhatoba cafeで行われたhatoba BAZAAR(ハトバ バザール)

 

というイベントにsumikov(スミコフ)の寺井さんが出店する…

ということで

 

 

※ちなみに寺井さんとは…

zubunogakkou.hatenablog.com

 

イベントにお誘いいただいた方から「何をしてもいい」と言われたそうで

 

普通に「ワークショップ」をするのももったいない!

「こだわりの職人さん」と思われるのも「しゃらくさい」

※「しゃらくさい」…分不相応にシャレオツ気取りで小生意気なこと。寺井さんがたまに発することば。

 

という反骨精神を燃やした寺井さんは…

 じぶどの(中西さん)の「たこおどり」に目をつけた!!!

たこおどりとは、中西さんのおどりの原点となっているおどりです。

 

何か強制する感じでは無くて、気づいたら全員、蛸踊りをしているみたいになれば良いかなって

乗せられる。

どうやったら、そんな風になるやろか…

とりあえず、あんまし、意味は考えなくていいです。

全て、イメージの断片を編集する為に描いてます。

前の烏合の衆のやり方を踏襲してますが、かなり自分でハードルを上げているので、、

描いてる自分も何がしたいのかわかりません。

けど、大丈夫です。

とにかく、イメージを先行して考えの先に持って行く

(寺井靖 2018.10/7)

 

※烏合の衆のやり方とは…夏に開催したイベント「烏合の衆カルニバル」のやり方のこと
note.mu

 

 なんしか、中西さんの蛸踊りの動画を見た時に、、僕の中で、ぶくぶくぶくって、何かが反応したんです。

クリームソーダのアイスとソーダーが混ざって、ブワァーって発砲するみたいに、、

(寺井靖 2018.10/13)

 

 

その動画がコチラ↓↓

(2016年に旧ずぶの学校で公演していただいたときのもの)

www.youtube.com

 

中西さんの動画を見て、僕が一番、気持ちが上がったのは、朗読の中で、お母さんの事が出てくるでしょう、あの部分が1番、好きなんです。色んな物、事、時間を、気持ち、音、気配、
ビューンって駆け抜けるでしょう、、

あれがとても好きなんです。
色んな事を一瞬で共鳴させてると思う。


なかなか、そこらへんを明確に意識出来る人は少ないと思いますが、、
確実に、、体験した人の中にビューンって駆け抜ける物が存在してると思います。

共鳴って言いかたをしますけど、、
共有じゃなくて、共感でもなくて、
響くんです。

身体に

僕は蛸踊りに関しては、世界中で1番、リスペクトしてる自信があります。


蛸踊りをみんなで踊りたいです。
ただ、それだけ。

(寺井靖 2018.10/13)

 

と寺井さんに大絶賛されたたこおどり。

久しぶりにもう一度動画を見、文章を読んでみました。

 

 記憶を探っていたら、小学校二年生の時のお楽しみ会のことを思い出した。めいめいに子供達で紙芝居や合奏などの出し物を披露するのだが、私はそこでなぜか「たこの踊り」を披露した。確か何か歌いながら…今思えば最初の振付作品だったのだと思う。会場は大笑いの大盛り上がりだったのだが、母親はその評判を聞いてひどく恥ずかしがっていた。私は母が恥ずかしがる様子を見て、自らを恥ずかしく思った。

 数年後、母とクラスメイトが出演するバレエの発表会に行った。母は「綺麗で良かったねえ」と拍手を送っていた。私の踊りは「恥ずかしかった」で、彼女のバレエは「綺麗で良かった」のかと、子供ながらにじわじわと傷つき、なんとなくバレエの事が嫌いになり、ダンスと名のつくものが苦手になっていった。

(中西ちさと「おどりとわたし1」2015.4)

 

下線部で無性にざわざわしました。

おとなのことばや価値観でこどもの可能性が殺されていく。

そういうこと、実はいっぱいある気がします。


多くのおとなはこどものころの傷つきにふたをして生きてるんじゃないだろうか。

それでこどもを抑えつける。負の連鎖。

 敗戦の否認を続ける国家のように…

 

※今回のテーマソング↓↓を聴きながら以下読んでください。

サカナクション エンドレス 歌詞&動画視聴 - 歌ネット

 


私だって本当は運動嫌いじゃない。

歌も好きやし、でもまだ小さいころのようには歌えてない(歌う気)。

中西さんは自力で回復、克服した。

 

あれがあるから今の踊りがあるなって思います

最初踊り好きやったのに、嫌いになって、十年以上経ってから

あ、踊り、好きだったんだ?!っていう覚醒

反骨精神が異常に強いんだよね

好きなことや物が結構否定されたりすることが多いから、何くそって思うことが自然多くなって、その、怒りとか悲しみとかが今の踊りの核なんやと思います

(中西ちさと 2018.10/13)

 

 

つぶされても立ち上がる、屈しないおどり…

www.youtube.com

 

ちゃんとしなあかんみたいな(空気読め的な)謎の強制が学校の空間で働いて、

お母さんの発言にもつながってる気がしますが…

 

ちゃんとって何?

 

www.youtube.com

 

「ちゃんと」しなあかんやつ。全部苦手なんだよね…笑

(中西ちさと 2018.10/13)

 

小学校で書写の時間のとき、教科書のお手本を真似したくない、だってかわいくないからと思っていました。

それもあって、ずっと字は汚かったんですが、中学生のとき習ってたピアノの先生の字がかわいいと思い、好きで真似していました。

楷書が好きじゃなかった…今思えば、誰が決めたのかわからないその「ちゃんと」した感じが嫌だったのかもしれない。いろんな字を提示してくれたら良かったのにと思います。隷書とか…

 

ちゃんとは虚無だ。

誰かわからない、何かわからないその一般社会なるものを「虚空(こくう)」として、その虚空を根拠に自分を矯正したり、他人に強制したりする構図が許せない。

 

虚空→自分
虚空→他人

 

責任逃れの、なんとなくのよくわからないもの、主語のないもので

自分や他人を追い詰めるのはやめたい。

 

自分→

これが実存主義だと思います。

 

自分初のやじるしでゆく マイウェイ

 

 

私は怒っています!

虚空→

に!!

おとなのふがいなさ、責任逃れの対応に。

www.youtube.com

前に言わんかったっけ、

さきちゃんがバットで餅をつく話。

臼にむかって、真上から振りかぶって、バットで餅を打つ。

臼のふちにバットが当たって、餅に当たらないねん。つかれへんねん。

けど、必死でバットをうちおろす。

前に、なんか、不意に頭に浮かんだ。

(寺井靖 2018.10/13)

 

私もちをつきたいのではなく、臼をつきたいのかもしれない。

臼がかわいくないんだよ。

私は臼をつきたい

壊したい

もっとやわらかくしたい

へんな形にしたい

色も塗りたい…

ちからわざではなく「とんち的手法(思いつき)」で。

(やかましみさき 2018.10/14)

 

「もちつき」ではなく「臼つき」…

とんち的な解決(うさばらし)を私は追求しています。

 

それで今回案出したのが「プラカード」でした。

(イメージはらんまのお父さんパンダ)

空間に文字を書くということ。

なんと「したい!」というと、寺井さんが作ってくれました。

 

これはやってみて、長年したかったことだったように思えました。

 

 

 

 

※パレードのためにまちを歩きながら考えたこと↓↓ 

 

蛸踊りWS、、
なんか、こう、上手いことまとめないと、みたいな事がすごく嫌で、、
ギリギリまで、、探そうと思ってて、

ハードルを上げ過ぎなんやけど、、

ずぶ
じぶ
sumikov

ほんまに、なんでかわからんけど、
中西さんとみさきちゃんとなかぼんさんと、僕でなんかやりたいのです。

(寺井靖 2018.10/13)

 

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いかついたこずきん作ります。


やっぱりその時その場で出てくるものに最後まで賭けたいところですね。粘り強く…

 

抵抗運動ですね!

(やかましみさき 2018.10/13)

 

www.youtube.com

 私は愚直にタコ踊りしますね

(中西ちさと 2018.10/13)

 

「戦場カメラマン」のような気持ちでいる私は今、「速さ」や「即興性」のある

「自分初の記録」ということがしたいのかな、

ペンやプラカードで戦いたいのかな、いや屈したくないのだ。

 

歌いながら話をすることが実はしたいのかもしれない。

したいことというのは、なかなかわからないものだ。

したいことというのは、すでにしていることのリニューアルなのかもしれない…

 

   

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いかついたこずきん



とりあえず、オリジナルのパレードがしたい!!!

 

寺井さんがまとめた動画↓↓
www.facebook.com

 

このセッションで、ずぶとじぶのパレードにために

寺井さんが楽器制作で

なかぼんさんが演奏で参加してくださることになったのでしたー!!!

すごい布陣すぎる……

求めよ、さらば与えられん。

 

ずぶとじぶは引き続きゆきます。

 

前回のおはなし↓↓

zubunogakkou.hatenablog.com

ずぶの学校新聞 no.43

~立場を超えて対話するということ~



学校では「ひとりレジスタンス」が続いているのですが、9月から新しい授業がはじまっていました。高校一年生9人と「教育」について考える時間です。これは「総合的な学習の時間」がこの学校の特進コースでは「普段の授業で学べないことを学ぶ」というもので、「心理学」や「言語学」、「人文学」、「落語」など担当の先生の得意な分野で、生徒が調べたり、発表したりする形式で行われています。昨年度末に「新たに「教育」のコマができるので、やりたいひとはいませんか」と職員に一斉メールが来たので、立候補してみたのでした(どうやらだれもやりたがらないようで、非常勤講師の私が当選しました)。私はいい取り組みだと感じましたし、普段の授業の形式とは異なる少人数の授業をやってみたかったのです。


その他のコマは二年生による発表があったのですが、新設の「教育」のコマは誰もいないので、私が壇上で話をして、そのあと一年生が授業を選択しました。もしかして開講しないかもな、それはそれでいいやレジスタンスにも疲れた)と思っていたのですが、ふたを開けてみると9人もいるじゃないか! それはそれでやっぱり嬉しいものでした。私の演説「教育という言葉に対して違和感をもっているひとに来てほしい」(学校の舞台で言えてすっきりしました!笑)に9人も集まったのは、ひとりレジスタンス中の私の「希望」でした(私が好きな四字熟語は「半信半疑」だと言っていたことに興味をひかれて選んでくれたという方もいました)


この時間に取り組んだことについては、またまとめていこうと思うのですが、授業の内容とは別に(もちろんつながっているのですが)「よければ交換日記をしたい」と提案して現在7人と交換日記中。その中には宝のような言葉がたくさんあります。



◎私は授業を受けるのが学ぶことでその他は違うとは思えないです。教育というのは人間一人一人が成長するためにすることだと私は思うので、居心地が悪いことが何回もあります。

◎私は「やれ」と言われてやる勉強がすごく嫌いです。それには色々理由があって、私の中で、自分からやらないと勉強って言わないと思ってます。する、しないは自分で決めることやし、自分のためにやることやから、やらないならやらないでいいと思うし、わざわざ他人に「やれ」と言う意味がよくわかりません。

◎(部活で途中から来た先生と合わず)苦しい環境でするのは苦痛の他なにものでもないのでやめました。



生徒が1ページ書いてきたのに対して、6ページ返すということがしばしば起こっているのですが…次が返ってくるか心配しているところです。前に立つ経験をしたことのあるひともあり、難しさや危険性の話もしています。



◎押しつけにならずに意欲を引き出すことは難しいですね。必ずリスクを負うことになる。なるほどー。私は押しつけられる≒納得がいっていないだと考えます。実際納得がいかないことはやりたくないし、反抗したくなります。だから何事にも納得し合う納得するまで説明することで「押しつける」ことにならない…??のでは?? しかしここで、納得しない人、違う考え方の人は絶対にいます。その人たちに納得してもらうことは押しつけになるような気が…。これがリスクですかね…。



説明する、説得することがとても大切だ!!!と今切実に思っています(自分もまだまだ足りていないと感じる)。表現というのは「精度の高い説得」だと思う。おとながこどもを説得することも必要だけれども、こどもがおとなを説得していくことがもっとあっていい(足りていない)と思うのです。おとな(力の強いもの)がしゃべりすぎで、こども(力も弱いもの)の話を聴かないということが常習化しています(一方通行の一斉授業が一般的になっているように)。善悪とか、損得とか、勝ち負けとかそういうことではなくて、まず聴くということがないとお互いに「成長」(成長というより、「変化」と言いたい)できない、つまり共存できないんじゃないでしょうか。


それで納得いかないまま学校を、仕事を辞める(辞めさせられる)ということがたびたび起こっている気がします。辞めることは全く悪いことではないですが、なぜか悪いことのように責めてしまうものです。このやるせない気持ちはどうしのいだらいいのでしょう(ここから歌やおどり、ことばが生まれるのかもしれない)


誰かひとりがいなくなっても、あたかも辞めたひとひとりの責任(自己責任)かのように扱われ、なかったことにされ、表面上今まで通りの日常が繰り返されますが、果たしてそれでいいのでしょうか。それは往々にしてそこに残るひとたちが変化するための努力をしなかった結果のように思われます。ひとりで努力してもどうしようもないことでも、全員が立場を超えて話し合えばどうにかなった、もう少しましだったはずのことも多い気がしてなりません。


普段から、本音で話をするということが圧倒的に足りていないと感じます。タブーをとっぱらって。それが問題を未然に防ぐ予防策になるのではないでしょうか(力のあるもの、前に立つものは常日頃その土壌を耕しておくのが仕事だ)。お互いに当然と思っていることを打ち破って、相手を尊重しながら居心地の良い時間・空間・人間(じんかん)を模索していきたいのです。

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対話空間をみんなでデザインしました(詳しくは後日!)



                              やかましみさき

ずぶとじぶがゆく① ~藝賭せ面接編~

大阪空堀のまちで踊った「ひょうたんの踊り場」から

約一年半の時を超え

zubunogakkou.hatenablog.com

zubunogakkou.hatenablog.com

 

次なる公演をもくろむずぶとじぶは

夏ごろからじわじわと動き始めていました。そして…

 

11月に神戸は新長田の「藝賭せ(げいとせ)」というイベントに参加させてもらうことになりました!

shinnagataartmafia.wixsite.com

 

おめでとう!!ぱちぱち!!

 

そのオーディションは書類選考を経て、面接が8月31日に行われました。

まだまだ暑かったあのころ…ぽわわわわ~~~ん(回想)

 

於:はっぴーの家ろっけん(神戸・新長田)

(はっぴーの家がどれほどエキサイティングな場所であるかはそのとき知るよしもなかった…)

 

面接は「プレゼン5分、質疑応答10分」とのこと。

 

ずぶは、もともとパワーポイントを使った(使わなくても)THE プレゼンが大嫌い…

(そもそも面接が嫌いなんですよね~どうしても上下関係があるからね、その構造をどういった茶番(とんち)で乗り切るか(壊すか)ずぶ'sポイントとなります!はいっ線引いて!チェケラ!

 

嫌いだけど今回はひとりじゃないからイケル…!!

「ふたり」がキボウ✨

ふたりいるのに、ひとりで淡々と説明するのはおもしろくもなんともないので

にわかにやりたくてたまらくなっていた「漫才」を取り入れることに!

(「ちょっと勇気いるなぁ~」と言いつつも、やりたいやりたいとせがむずぶに応えてくれるサービス精神旺盛なじぶどの…)

 

江戸のおじいさん(ずぶとじぶ)が二人で話をしているという設定と脚本をこしらえて急遽、稽古に励みだす、ずぶとじぶ…

 

☆=二人で言うところ

 

(ず)ずぶでーす
(じ)じぶでーす


(ず)二人合わせて
(☆)ずぶとじぶでーす

 

(ず)さて、じぶさん、ずぶとじぶってーのはいったいどんな二人組だい

 

(じ)おめーさん、自分のこと忘れっちまったのかーまー一言でいうと

「参加型パフォーマンスユニット」(フリップ出す)かな?

 

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(ず)参加型だって?!?!


(じ)「参加」の部分にはどんなふうに参加するかが入るんだぜ!たとえば、「探検型パフォーマンス」。これは、大阪は空堀でやったんだが、商店街や路地裏でおどってるダンサーを、参加者に発見してもらうってーパフォーマンスだった。ほれちょいと見てみな(PCで見せる)

 

(ず)そうじゃったそうじゃった。どわすれしとった。こりゃあおもしろい企画じゃったなあーー

 

(じ)実は他にも「会議型パフォーマンス」「教室型パフォーマンス」「法事型パフォーマンス」などがある。

 

(ず)して、今回は何をしでかそうってんだっけ??

 

(じ)おいおい、また忘れちまったのかい?! 

 「CM型パフォーマンス」じゃろ。題して…

 

(☆)「新長田こまーしゃるパレード」(ドヤ、と前向く)

   (肝心なところでフリップはない、作り忘れたね…)

 

(ず)そうじゃ、じぶどのは趣味で「新長田のラジオCM」を勝手に作っておったなあ~

 

(じ)うむ、今回はそれを実際に商店街で流してもらったり、CMを実演しながら商店街を練り歩いたりしようって算段だ。

 

(ず)チンドン屋的な!

 

(じ)まあ、ためしにおいらが作ったCMをきいてくれ

 

(ず)おうともよ!

 

(ミャンマーカレーteteCM)
(ず)かわいい~
(じ)ダンサー御用達なんじゃ

 

(マルヨネCM)
(ず)ううむ昭和の香り漂う……
(じ)下町ふぜいじゃな

 

(アグロガーデンCM)
(ず)ん!犬かあ~~

 

(じ)んまー勝手に作ったんだけどね、しかし今回はお店のひとに聞いてもらって、よければお店で流してもらったり、よければパフォーマンスに参加してもらったりして、地域のひとと交流しながら作っていきたいと考えておる。

 

(ず)なるほど、まちのひととアーティストが関わりながら、

 仲良く楽しくなるような相乗効果のある作品になればいいのう!

 

(☆)NAKAYOKU TANOSHII(フリップ)

 OMOIYARI!!(フリップ)

 

 

ありがとうございました。

 

自然なかけあいになるまで、何度も練習する二人…

(於:ミャンマーカレーtete)

 

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まるご市場入って(どこから?!)左側、ミャンマーカレーtete

 

時間になり、懐刀を仕込んでついにやってきた、

はっぴーの家ろっけん…

 

たどりついてみると、玄関前がざわめいている…

まだ準備が整っていないらしい…準備??

裏情報によれば、マフィアの方にもなにやら演出があるらしい…ナヌ?!

怪しい雲ゆきになってきたぞ…

 

しかし! われわれはわれわれの道をゆくのみ!

 

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一階の玄関前で鏡(車)を見ながらしばし稽古。よしよし、自然なかけあいになってきた。

 

すると謎のメイドさんに二階に通され、昭和なムード漂う部屋へ…

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歌謡(?)も流れている、謎のおじいさんに声かけられる。

これも演出なのか? 座敷で面接なのか?

 

と思ったら、さらに上の階に案内された。

その部屋は暗く、

荘厳なクラシックが流れていた…

ヘンデルの「サラバンド」だそうです)

 

 

「え?ここかね?」

(スリッパのままきょろきょろするじいさんたち←ずぶじぶ)

 

広間には…な、なんと…

マフィアがずら~~~~りと並んでいた!!!

 

こんな感じ↓

 

www.instagram.com

こんなに明るくなかったヨ…

(はっぴーの家の首藤さんのインスタより)

 

どっひゃー!!

なんか…にらまれとーる…!!

(なるほど、そうきましたか…←だれ)

 

こ、これは…!!

普通に面接されるより断然おもろいやないか!

(しかもこちらにも仕込みがあるのだからさらにおもしろくできる予感!チャンス!)

と俄然はりきって、ゆらゆら漫才をはじめる…

ずぶで~す、じぶで~す……

 

この雰囲気のギャップは前代未聞すぎる! 何対決??

(と心の中でげらげら笑いころげるずぶ)

 

相手との距離、室内の明るさに問題があり

せっかく用意した映像(パソコンの)、渾身のフリップ(←描きたかっただけ!)はたぶん見えなかったのでした…

(でもやりました!←やりたかっただけ!)

 

しかし!!肝心のCMは

音声だけのラジオCMだったため

完全に室内に響きわたったのです!!

 

♪~

「オイシイカレーに カワイイコモノ
 マチでウワサの ミャンマーカレーテテ 

 マルゴ市場ハイッテヒダリガワ マッテルヨ~」

 

片言の日本語でチャーミングに話す外国人女性の声(じぶどのです)に

笑いをこらえきれないマフィアたち…

 

そのあとの質疑応答では

「で、上納金は?」といかめしく問われ

「じょうのう??」「Jyo-no-??」とぽかんとしていると

「何を納めてくれますか?」と通訳してもらい…

 

あ、これ…キタ!! フリや!!!!

と勇んだずぶ(勇みがち)が

「NAKAYOKU TANOSHII OMOIYARIです。」

きっぱりと答える。

 

クスクスクス…

 

ボスらしきひとに「……具体的には…?」と問われ

すかさずきっちり説明する(フォローする)じぶどの…

(具体的には、上記の漫才の後半の内容です、おそらくインパクトが強すぎて内容が全然頭に入ってこないパターンになってしまったのではないかと思われます。#ずぶあるある)

 

終わって別室に案内されると

2人のマフィアさんに普通の感じでお話を聴いてもらえました。ほっ。

広間の方からも、どっと笑い声が聞こえてきて一安心。

 

マフィアごっこ(やりたいだけ!)VS江戸っ子ごっこ(やりたいだけ!)の

ある意味緊迫した、やりたい放題のゆるい一戦でした。

(これぞ「面接型パフォーマンス」だねっ)

 

あーやりたいことなんでもやっていいって嬉しいなぁ~~~

やっていいんやな~~~健康いちばん!

アートは自由だ。ありがとうっ!(?)

 

 

そんなこんなで目下、新長田のまちのCMを鋭意制作中です!

 

11月18日からの藝賭せ開きで商店街はどんな雰囲気になるのでしょうか!

そして25日の練り歩きは??

(かわいいデモ行進に参加したい方募集中です)

 

面接後、「今日の大仕事が終わったービール飲みたい!」

と日の目を見なかったフリップと新長田駅で記念撮影するずぶとじぶ↓

www.instagram.com