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ずぶの学校新聞 no.32

~クリエイトとプレイ~

 

11月は前半に日曜学校を開いて歌を歌い、後半はフリーペーパー「ずぶぬれ」の4号を作っていました。何かしらを作って、披露する機会をあえて設けることで、変わってきたことがたくさんあります。

 

  • まわりのもの(すべてのものは誰かが作ったもの!)に対する興味・関心が湧いてきたこと。というより、切実に探し求めるようになったこと。

 

  • 自分はどのようなものが好きな傾向にあるのか、統計をとるようになったこと(当社比)。占いも勉強中。

 

  • 「罪を憎んで人を憎まず」を心がけるようになったこと。些細な通り魔に遭ったときは心の中で個人的に呪いはするものの、生物の単細胞時代を思い出すことで急場をしのぐ。

 

  • その後、どうしてそういう不幸が起こるのか、自分の欠けや社会(構造)の穴を省みるようになったこと。ことばを愚痴に使うのはもったいないと思うようになったこと。できるだけ不必要なことば(多い)をそぎたい。

 

  • 絶対に必要で変わらないことばを探すようになったこと。話すときには変な感情がのらないように注意しつつ、言いたいことは言う(難しい、よく調子に乗って失敗)。人類愛に満ちたユーモアの精神を意識する。関係性は自分が作るものだと思うようになったこと。

 

  • 服や布や紙や本や、自分の持てるものを奥にしまいこまずにどうすれば最も生かせるかを考えるようになったこと。心の傷も奥の奥にはしまいこまない、ふたをしない、あっさり外に出す努力をする。ものもひとも自分も殺したくない。

 

私が高校時代から好きなお笑いコンビ「ロザン」は、菅ちゃんが「ゼロからイチ」担当(ネタ、企画、コンビの方向性などを考える)、宇治原(敬称略)が「イチからヒャク」担当(指示を完璧にこなす、事務もする)なのだそう。宇治原は菅ちゃんの操縦するロボットですね。いやいや、お互いちゃんと分かっていて相手を尊重して役割に徹している、二人の人間関係が好きです。

 

「クリエイト」はゼロからイチを生みだす、人間らしい魅力あふれる能力だと思う。ずぶの学校を始めた当初の私はここに憧れていたのかなと思っていますが、最近は強欲なことにイチからヒャクを演じる「プレイ」もあきらめたくないのだということに気が付きました。

 

人間は誰でも、「クリエイト」と「プレイ」の両方の能力を発揮して生きていると思う。得意不得意(自分の中で?)があり、時と場合によってどちらかに偏ることはあるにしろ、本来は両方の能力の可能性を持っていると思う(隠ぺいしなければ)。両方必要だと思う。

 

生きている限り、ひとに接しないことはない。誰かと接する、ひとと交流する、人間関係を築くということは最初の一歩が「クリエイト」(空間づくり)であり、それを存続させるということが「プレイ」(時間づくり)なのではないだろうか。(プレイもクリエイトの一種といえるかも)

 

ちょっとヘンテコで、心のこもったクリエイトとプレイを、あわよくばいつでもしようと企んでいるひとになりたいのかなという気がしています。

 

「僕は思う。かりに不愉快になっても、怒りを覚えても、

歌に対しては(いや、その他のことでも)歌で返すべきだと思う。(略)

 

歌にすることによって、作品にすることによって、

批判がただの批判ではなくなり、

個人を超えてすべての人への問いかけとなる。(略)

 

たとえば何かに対して批判したとする。

しかしそれは必ず跳ね返ってくる。

「そういうお前は何なんだ」と必ず跳ね返ってくる。

メッセージとはそういうものではないか。

歌とはそういうものだと思う。」

早川義夫「たましいの場所」この世でいちばんキレイなもの)

 

跳ね返ってくる。へたでもいいから、とにかくちゃんと表現する意志を持ちたいと思う。

時にひとり相撲、時にひとり芝居でも。

できる限りどこまでも、クリエイト&プレイを続けたいなという気がしています。

 

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サティのグノシエンヌに歌詞をつけて歌いました(@旧ずぶ邸)

あかまつみさき

多種多様のごっこ遊び自作自演