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架空読書会についてのメモ

2019年の年末に行われた架空読書会。

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そのもようを一部アップしました!

 

💛架空読書会「記念すべき家族っぽくない?」

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💛架空読書会「眼鏡はファビュラスな玉」

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架空読書会は、ガチの自分語りではなく、自分と他人はあいまいで(ゆるい個人で)、夢でも現実でも過去でも未来でもいい。すべてを一人で担う必要もない。でたらめが肯定される。人の心をほぐし、わくわくさせ、どこまでも引き出して自由にしていく、理想の「言葉の学校」だ。


「架空読書会」自体、ずぶではなく卒業生の考案で行われているところがいいと思う。生徒が自分からこんなに話をしてくれる授業は今まで、どの学校でもできたことはなかった。

 

主となるプレーヤーが高校生のもの(上記2作品)が特におもしろいと感じる。言語化が難しくても、自分の言いたいことを言おうとし、理想を語ろうとしているのが伝わるし、自分のことばでぽつりぽつりと話している。ことばが産まれる、感動的な時間空間に立ち会っていると感じるからかもしれない。しかしそれは自分(おとな)もおんなじ(対等)だということがまた嬉しい。自分も知らない、言ったことのないことをこれから言うのだ。

 

ずぶでは「架空」を単なる「架空」で留め置く気はない。「架空」の半分は現実だ。夢の半分が現実なように。夢を現実にしていくところまでやりたい。行動のともなわない言葉は嫌なのだ。テンプレの世界を惑わし壊す、幸せへのユーモアのある一石、かわいい一歩として「物語の創造」がどうしても必要だと確信している。

 

今や「知性」だけでは、努力や能力や環境が必要なのであるからして、物足りなくなっている。知識や技術がないとできないというなら一生できないだろう。

 

今すぐに、ここにいるひとみんなで、できる範囲でいいから遊びたいのだ。上からではなく下からの草の根運動を今したいのだ。

 

自分と他人(まわりのひと)の幸せ、ゆるい個人の連帯を目指して、もっともっと話をしよう。「精神性」にもとづく「創造性」、進路を切り拓き進む力「行動力」がほしいのだ。

 

一緒に作ることで、一人分の知よりも何人もの未知へ。もっとおもしろい、思いがけない展開を待っている。

 

「おそれるな」耳うちありて一歩出る

 

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