9月21日、28日にずぶの学校(旧ずぶ邸)にて
「詩とコラージュのワークショップ」が開催されました。
主催は、詩とコラージュの作家さんである中野奈々恵さん。
中野さんはずぶの学校(旧ずぶ邸)で行われている句会にも
よく参加してくださっていて
「君の声でしか知らないニルヴァーナ」
は多くの人の心をつかむ名句として今でも人気です。
「ニルヴァーナ」はアメリカのバンド名ですが、「涅槃(ねはん)」のことであり、「涅槃」は実は春の季語なのです。
以前、谷町六丁目にあるコワーキングスペース「往来」で
やかましが公開ラジオ収録にチャレンジしたとき
中野さんがお越しくださいました。
中野さん:「ワークショップ」っていうのは、参加者が相互に自分たちが持ってるものを出し合って、作用して、みんなで…一個のものを作る…というか、その場の空気を作るものなんじゃないかと。演劇のワークショップのようなイメージで。私が「ワークショップ」って自分のやることにつけるんだったら、そういう感じにしたいです。私が教えるんじゃなくて、私も参加してくれた人のやることに刺激されて、あ、じゃあこうやったらおもしろいんちゃう、でまた他の人が出して…それで自分の感覚がアップデートされるみたいな…
そうそうそう、これが本当の「双方向・対話的な深い学び」…
いわゆる「アクティブ・ラーニング」(…言うの恥ずかしいやつ)は、先生が先生の立場に、椅子に座り続ける限り不可能なのだ。
自分を変える気のないひとに、他人を変えることができるだろうか? できると思っているとしたら…ものすごく傲慢ではないか?(こどもに「態度が悪い!」とどなる前に)
そもそも学校が、先生が「先生」という職業(椅子)に座り、生きていくためにあるところがこどもが死んでしまう理由なのだ。
こどもが本当に「アクティブ(生き生きする)」であるためには、おとなが「アクティブ」でないとだめなのだ。
2回目の会には、私も参加させていただきました。
お題となる中野さんの詩がこちら👇
中野さんが この詩を読んでくださり
みんなで作りはじめます。
お一人の方は
「全体に時間のことを言っていると思ったので時計の形にしました。
電車なので車窓から見た風景のイメージを入れました」
お一人の方は
「実はやりたいことはあるけど、何かで強くブロックされている。
主人公を「おじさん」だと思った」
「西行きの電車がもうすぐ終わる」
キャッチ―な冒頭。ほぼこれだけで想像が膨らんでいきました。
西行きが「西行」に見えて仕方がない私は西は夕日の沈む、死の方角だと思ったので
仏様を入れました。たまたまかわいい仏さまがあってよかった。後光が西日みたいかな。
ごはんはお供え。
前回書いたように「マヤ」にはまっていたので、マヤではないけど壁画風の絵を入れました。
この行列が電車で、みんなが流れて行く方(死の方角)で
私は少し抵抗してそれには乗らず反対方向に行き「今」を楽しむ。
不安と焦りを抱えつつ。
「幸せだと思いたかった」のは、自分もまたいずれそちらに行くことが分かっているからかな。
でも仏様がほっこり笑っているのは死を肯定的にとらえるマヤの世界観にもつながるし、自分にとっても「ついにゆく道」がかわいいと嬉しくて積極的に行けそうです。
文字は「カーボン(炭)」だといいなと思って実際は違ったみたいですが、そういうつもりでいれました。(間違いの見立て?)
メキシコ…ではないけど、今のずぶっぽくできたなぁと思って気に入っています。
みなさんそうかもしれないけど、「読み」には「今の自分」が出るなぁとひしひし思います。
自分で自分にする占いみたい。鏡かな?
中野さんの作品はコチラ👇
あこがれの余白!!!
光の加減…
立体感…
すべて私にはないもの…
最後の三行が中野さんの実際に見た光景なのだそうです。
詩って余白なんだよなぁ
どこまでも拡がり
いつまでも待つ。やさしさ。
これが学校(私)に足りないものだった。
時間的にも空間的にも余白を持って
ひとを拡がらせ膨らませる工夫。
スクールの語源は「スコーレ(閑、ひま)」だそうだ。
おとなの都合で小さくぎゅうぎゅうにおしこめることばかり。
いったい何をしてるんだろう…むなしい。
詩とコラージュのワークショップは
中野さんのあたたかい見守りの中
自分から出てくる芽をすくすく伸ばせる場所でした。
行きたい、生きたいと思える場所がこの世にもっとあるといいなと思います。