もやもやずぶちゃん

旧ずぶ邸あるじのイントンコントン日記

旧ずぶ邸あるじの

ゆめうつつ、半信半疑の

いんとんこんとんらいふ

なんクルクルないさぁ~♪

ずぶちゃん英語

ご近所のたむたむさんが、フランス人のおともだちHervé さんをずぶ邸に連れてきてくれました。

 

フランス語の絵本を翻訳(英語に)してもらったり

Hervé さんが撮影された動画をみたり

ピザを食べたりお話したり

いつになく日本語でないことばがとびかう空間がそこにありました。

 

私は英語がわからないのですが

(実は高校の時とても嫌いだった。話の内容がつまらなすぎるわりにおぼえることが多すぎた。外国語を話すことに対する苦手意識はコンプレックス(障害)のひとつ。それもあってずっと外国旅行が遠のいていた)

 

一生懸命リスニングしてなんとなくこうじゃないかというような

想像力で補ってなんとか話についていくも…

 

「ここはどういう場所なのか?」

「ずぶぬれはどういう冊子なのか?」

 

的な話を振られると答えるのに窮する。

自分の中にワードとセンテンスがないこと

まったくくちが慣れていないこと(人生初)によることばの出てこなさ。

 

私のことを私に聞かれているので私しか答えられないはずのことだ。

英語を話せるまわりの方々もその機会を無理に奪わないようにと

見守ってくれているのを感じるが答えられない。

せっかく興味を持ってくれているのに応えられないのはつらい。

 

ことばにできないというのは弱者だなぁとひしひしと感じた。

孤独で鬱になりそうだ。

(そうでなくても孤独で鬱にはなりそうやけど)

 

Hervé さんもともだちから私のことを「プレジデント(校長)」とか「エディター(編集者)」という断片的な情報はきいたが、私が実際何をしたくて何をしているひとなのかよくわからないといった様子だった。目の前にいるのに…

私自身の声を待ってくれていたと思う。

 

私は長時間だまってねばって

皆さんのお話を聞いてその場で吸収吸収(お得意の)

してすぐまねする(お得意の)

ことで、ほとんどのともだちが帰ってしまった夜更けには

すこしチャレンジ態勢(と本当に私が話すしかない状況)が整い

 

ぬいぐるみを見せて

「アイ メイド …」

と言ってみたり

 

写真を見せて

「アイ メイド ディス ウィズ チルドレン」

と言ってみたり

 

二階の人形劇場を説明するために

「アイ ホープ チルドレン カム」

と言ってみたりできるまでに成長した!

 

とぼけたぬいぐるみを見せてアイメイドと言うた段階で

全ての謎がとけた!というリラックスした雰囲気で

(銭湯帰りってのもあった)

 

興味しんしんの表情で

(インスタでともだちになってくれた)

 

話を聴いてくれたので

それもあって恥ずかしながらも挑戦できたように思う。

(関係性が大事)

 

「~なのか~なのか、どっち?」

ときかれたときに、すごく答え(応え)たくてたまらなくて

 

「ボース…」

 

ということばがくちから出てきたときには我ながらすごく驚いた。

自分の中にそんな単語があったとは…

単語すぎるし、こんなときの答えとして合ってるか(まだ言う…)わからなくて不安だったけど

言いたいことは伝わったようだった。

この経験はまったくもってうじゃの時と同じだった。

 

切羽詰まって、何か音を発しなくてはならなくなった瞬間、私からとっさに出てきた音は、中学の時吹奏楽部でトランペットを吹いていた時に練習した「ダブルタンギング」の音だった。トゥクトゥク…と発しながら、あ、私の中にこんな音が残っていたんだ。

 

zubunogakkou.hatenablog.com

 

目の前に「私」を待ってくれているひとがいる、

さしせまった場が、本当の「学校」だなと思う。

 

「私」が「私」のことを話す練習が学校ではほぼ封じられている。

(許されていても何らかの枠の範囲内、テンプレ)

英語でも国語でも。

でも本当は自分のことを話すことからし

ことばを発することなんてできないんじゃないかと思う。

「正解」があって、封じられていて、関係性がなくて、話す気になるだろうか?

 

自由につられてひょんな感じで自分の内から出る気まぐれな「音」

それが「ことば」の原点では?

不自由な社会では「音」は出てこない。

 

私は英語、フランス語、日本語と各国にことば(文化・歴史)があるように

東京、名古屋、大阪と地方によってことば(文化・歴史)があるように

Aさん、Bさん、Cさんにもそれぞれのことば(文化・歴史)があると思っている。

同じ日本語でも、外国語であって、

そのひとが言おうとしていることや言い方がなんとなく分かってくるまでに時間がかかる。

(この文章もずぶちゃん語)

 

私は「そのひと自身のことば、文法」というものに興味しんしんで

だからひとりひとりの言語を聴いてすぐに研究、まねしつつ返すことが自分は得意なのではないかと思っている(好きだから)。

 

それでインタビューをしたりもするけど

やはり本人に書いてもらうのが一番よくて

「そのひと自身のことば」を集めたものが

フリーペーパー「ずぶぬれ」なのです。

書いてもらう前に(書くのはハードルが高い)気軽に話してもらうのが

「ずぶの学校」という場所です。でありたいです。

そして私にとっても「待たれる場所」であり

関係が固定しない、全員にとっての「学びの場」を目指したい…

 

 

……って英語でなんて言ったらいいのかな?

(そういうことを考えるようになった…のも外国語を話すともだちができたおかげ)

 

Hervé さんまた来てくれるらしいので、英語で手紙を書いてみようかと思っています。

 

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カンスケです。

 photo by Mami Sakura

 

ぬいぐるみ・ドールつくってます。人形劇します。

ぬいぐるみも「マイことば(ずぶ語)」なんだなって知る体験でした。