もやもやずぶちゃん

ずぶの学校のやかましみさきです。絵や文、俳句、ぬいぐるみの創作、人形劇、手作り作品のお店、表現の家を開いています。ワークショップ、オーダーメイド受付中。おたよりください。info@zubunogakkou.com

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絵や文、ぬいぐるみの創作、人形劇をしながら

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ずぶとじぶpresents 注文の多い小劇場

22日土曜日、無事終演いたしました。

 

ずぶとじぶpresents 「注文の多い小劇場」


9月22日(土)14時~/18時~ ■参加アーティスト 今村達紀 木村玲奈 ■観覧料 1500円 ■会場 旧ずぶ邸(ずぶの学校) 〒533-0022 大阪市東淀川区菅原6-24-17 阪急淡路駅より徒歩6分 ■ディレクター 中西ちさと(じぶ) 小屋主 やかましみさき(ずぶ)

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左から、じぶ、ずぶ、今村さん、木村さん

 

 

◎イベントのきっかけ

6月に種まき祭を終え、ひきつづき旧ずぶ邸の再生活動の方法を模索していた私ですが、四人の遊び人メンバーのそれぞれにそれぞれの生き方があり、仕事(したいこと)があり、私との関係性があるので、全員が同じ金額を出しあって、毎週必ず集まって何かを作る(作らなければならない)と決めることはできない、決めたくないと考えました。

 

そう決めてしまうと、現状の「学校」や「職場」のように嫌々でも行く(行かねばならない)という悲しい事態が発生しかねないと思ったからです。

 

それでもやはりこの場所の新たな可能性を探りたい、少しでも経済を回したい、がひとりではどうしようもないという思いがあり、私は「じぶ」こと中西さんに相談していて、中西さんは「なんらかのイベントをしよう」と言って一緒に考えてくれました。

 

中西さんはダンサーとして活動するなかで、作品を発表したいあまりに経済の部分を後回しにしてしまう(選択肢がない、じぶ曰く「好きの搾取」)ことがあると言っていて、私はそこに疑問を感じ(なぜそうなってしまうのか?)、もう少し踏み込んでみたいと思いました。

 

一生懸命お稽古して、世の中にまたとない、いい時間、空間を作っているのに、それだけの報酬(評価)なのか?と傍から見ていていつも悔しかったのです。

 

社会は本当にそのアーティストに生きていてほしいと思っているのか?

そのひとの存在価値を認め、尊重しているのか?

 

劇場、主催者側(社会)と演者、アーティスト側(個人)の関係には、ある種の支配関係、上下関係を生んでしまっている部分があると感じます。

 

ずぶとじぶが小さな「社会」となって、アーティストさんに来ていただくからには最低このぐらいのお金は支払いたい、また自分たちもこのぐらいはないと赤字になる…というような金額を考え、下記のような「注文」を案出しました。

 

【お客様へ】
当劇場は注文の多い小劇場ですのでどうかそこはご承知ください。

当劇場はとても小さな劇場です。築80年の古民家で、20人ほどしか入りませんので早めのご予約をお願いします。

観覧料として1500円をいただきます。
劇場はその半分をいただき、残りの半分はすべてアーティストにお渡しします。

上演が終わったあとは自由にお話会にご参加ください。

お帰りの際、お気に入りの作品、アーティストがございましたら応援料をお包みください。
(お名前の有無はおまかせします。記名された場合、後日アーティストよりご案内やお礼のお手紙がくるかもしれません。この応援料はすべてダンサーに還元します。)

 

【アーティストの方へ】
当劇場は注文の多い小劇場ですのでどうかそこはご承知ください。

照明や音響はほぼほぼありません。古民家の雰囲気を活かしたパフォーマンスをお願いします。

会場となる旧ずぶ邸の二階部分をパフォーマンスエリアとします。公演をする前の実験の場としてダンサーは当劇場をお使いください。(稽古場としての利用は、ご相談ください。)

アーティストは公演後お話会にご参加ください。

アーティストには入場料の売上の5割(1人2.5割)と、応援料のすべての額をそれぞれお渡しします。

積極的な広報協力をお願いいたします。

 

実際に私も自分で出費して運営している身なので社会の側も大変なことはわかりますが、大変なら「大変なんだ、困っているんだ、あなたの力を貸してほしい」と正直に本音を打ち明け、相談し一緒にどうにかしようとする姿勢をもてばいいのではないか?

 

その姿勢に応えてくれるひととともに問題に向かっていく。それが普通の(支配も依存もない)関係性だと思います。

 

今回の来ていただいたお客様は

 

昼の部 9名

夜の部 11名

 

で1500×20人=30000円でした。ありがとうございます。

 

30000円÷4人(ずぶ・じぶ・演者さんお二人)=7500円/人

 

加えて演者さんにはお客さんからそれぞれ応援料とメッセージカードが直接贈られます(ずぶとじぶを経由せず)。

お二人が封筒を開けてとても喜んでメッセージを読んでいらっしゃる様子を見て、ずぶとじぶもとても嬉しく胸が熱くなりました。

 

いつも以上に心のこもったメッセージもたくさんあったそうで、これまで劇場でやっていた「アンケート」のかたちも実は事務的だった(聞き方が悪かった、やっつけ感があった)、再考の余地ありという気づきもありました。

 

台風で割れたずぶ邸の窓修繕費用にも3100円の募金をいただき、また演者さんのお一人からはずぶの校章をお買い上げいただき(募金になります)、人が自分の意志でコントロールしているお金が気持ちよくぐるぐる回っているのが健康的で幸せでした。

 

お金の話ばっかりになりましたが、私はお金は「気持ちを表現する手段」であり「そのひと(団体)の仕事(存在)への尊重を表現できる行動」だと考えています。

(そのことに踏み込まれないことが傷つくという経験があったので)

 

自分のお財布と相談して、相手への尊重の度合を考えることは、ことばを考えるのと同様に、とても温かく大切な時間だと思います。

 

◎長屋で創作する時間

小劇場となったずぶ邸で数日間、演者さんたちとともに過ごして長屋のおもしろさを再確認しました。境界線があいまいで、それぞれがそれぞれのまま、なんとなくふわっと共存できる空間。

 

関係性も立場も役割も謎めいてくるのは、やはりここが「劇場」ではないただの家(ものが多い)だからかもしれません。

 

当初はもっとものを片付けたり、補修したりして、すっきりシンプルに(?)させる予定でいたのですが、お二人ともありのままの家にすっとなじんで、溶け込んでいらっしゃって、その違和感のないたたずまい(あり方)がそれだけで魅力的でした。

 

今ここにある空間をそのまま把握しようとする力、探求心、柔軟性がプロだなぁ…と憧れます。

(教室でもそうありたいものです)

 

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北側:はがれた壁をどうしようかと思案していると「そのままでも全然いいですよ~」とおっしゃってくださった今村さん。

 

真ん中:封筒づくりにいそしむずぶと写真を撮るじぶ

 

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南側:先日の台風で割れてしまった窓…

「ブルーシートでもいい、それもいい」とおっしゃってくださった木村さん。

逆にブルーシートが美しく見えてきた…(え?!)

 

木村さんの衣装(装束?)は、ここにあった布や服を組み合わせたもの。

東京の家から送ってもらうこともよぎったそうですが、ここにあるものがここになじむと思いそうされたとのことで、この空間を生かすということを細部まで考えてくださっているんだなぁとしみじみ。

 

服はずぶに集まるひとたちの古着(ブティックで販売中、300均)。ひととものの歴史についてももう一度じっくり思いをはせる時間となりました。

 

◎作品を観覧して

作品の動画は後日アップする予定ですが、自分の印象と感想を興奮冷めやらぬうちにまとめておきたいと思います。

 

木村玲奈さん「アラームが鳴るまでは」

「普段この家にはひとが住んでいないと聞いて、じゃあ一番長く住んでいるのはぬいぐるみたちだ」主にずぶが作った歴代の不思議なぬいぐるみたちを「出演者」(名前や設定なども詳しく聞いてくださいました)とし、ご自身は「黒子」のようなスタンスでいたとおっしゃっていました。

 

木村さんの作品の細部の丁寧さと全体の美しさは、個人的に柴崎友香さんの小説を読んでいるような、心地よいが謎めいた気持ちになります。劇的な展開ではなく何気ない風景の中に、よくよく見るとディテールにおもしろさ(ユーモアや切実さ)が散りばめられているような。

 

今回は90年代のトレンディドラマ風のタイトルをつけられたとのことでしたが、このタイトルが随所で響いてくる作品だと感じながら観ていました。

 

アラーム(iPhoneに入っているものだそう)でシーンを移動することが絶対的に決まっており、アラームが鳴るまではその場所で過ごすことが許される。

 

毎朝のことですが「アラーム」というのはなんとも無慈悲で無機質で有無を言わせない音だと思う(夜型人間ずぶ)。どんな夢を見ていようとも朝アラームが鳴れば移動しなければならない。これを一日ととらえることも一年ととらえることも、一生ととらえることもできると思った。今なら、地震の前のアラームもそうだ。突然そのときは来る。それまでの時間をどのように過ごすのかは自分で決めることだ。

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実はこのシーンは「観客に写真を撮ってもらう」というもくろみがありました。

自分が観客だったら撮れないだろうなぁとは思っていたのですが、案の定、皆さん凝視するのみ…

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……ち、近い(笑)

しかし「え、もしかして? ん?どっちだ? いいのか? やるのか?」というようなちょっとした緊張感が漂い、また木村さんの方でも声を出さないで「いいのよ、さあ、おいでなさい」ということをどこまで伝えられるのかを必死に探っていらっしゃる様子、そのかけひきがとてもおもしろい場面でした。とっさに枠を超えるのは難しい。

 

生徒に発言してほしい、主体的に関わってほしい、自分の教室での様子と重なるところがあり他人事とは思えません(笑)

しかしそれもチャイム(アラーム)が鳴るまでのこと。

 

今村達紀さん「もけもけしたものがはみ出てくる」

舞台転換をしながら自身のご家族、片腕のないひいおじいちゃんのお話をされ、じっくり聴きました。我ながらぎょっとする、ぬいぐるみの勢ぞろいから解放されちょっとほっとする観客たち(私)。

作品と作品の間の境界線もあいまいでやわらかい自然な雰囲気が保たれ、よかった。

 

今村さんも、木村さんと同じく思い出、記憶ということをやはり考えられたそうだ。そういえば私もこの家では自分の過去や原点のことをよく思い返していたのだった。

 

懐かしい家、ぼろぼろのきしむ家がそうさせるのかもしれない。私も住んでいたことがあるわけでもないこの家がなぜかふるさとのように感じることは多かったが、同じように感じられる方もいるのだ。

 

ワンカップと戦争の形見である不発弾をお供えのように前に並べて繰り返し踊る。安心感、安定感のある語り、動きを静かに見守る。

 

「家鳴り(やなり)はそこに住んでいた故人が「小鬼」的なものになって鳴らしている音なんじゃないか」というお話もとても夢があって好きだった。これからそう考えてこの家で過ごそうと思う。タイトルの「もけもけしたもの」はきっと小鬼のことだ!と思って観ていました。

 

家で鳴っている小さな音を採取して大きくし繰り返す。掬いだす。私が気づいていなかったこと、別の視点から「すでにそこにあるもの」を見つけ、生かしてくださることが本当にありがたかった。

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公演後のお話会もなんと全員が参加してくださいました!びっくり…

 

中西さんの公演をお手伝いしていて、公演後に来てくださった方々から感想を聴いたり、ゆっくり書いてもらったり、お話する時間ってとても大事だけど、立ち話になってしまったり急かしてしまったりするのもなんだなぁと思っていたので、ここではお茶をすすりながらまったりした時間を過ごすことができてよかったかなぁと思います。

 

注文が多くなった理由や、イベントのきっかけ、この家のなりたちなどを話したり、相談したりすることがしたかったのです(やかましいです)。

 

今回「劇場」を自分たちで試行錯誤したこともあってか、いつも以上に生で、ライブで、この場にいあわせることのおもしろさ(じぶ曰く「スリリング」さ)みたいなものをからだで感じた。演者さんが誠実に切実に踊っているその場所で呼吸することで、熱(体温)のようなものが伝わってくる。

 

私としては創作段階からその過程を目の当たりにできたり、お話を伺えたことも臨場感(当事者性)をかきたてる貴重な時間だった。

 

「勉強」もそうなのだが、「創作」する、など何かを「する」までの距離というのは、なかなかに遠い。それをするまでに立ちはだかる問題(別の問題、気になっていること)が山積みで、途中で力尽き、そこまでたどりつかないひとが実は多いのではないかと思っている(私がそうだから)。

 

その道のりというのは、ひととひとが話をする、心を通わせる時間を持つことで地ならしができ、環境が整っていくのではないかと思う。

 

自分が前に進んでいく原動力になっている部分を毎回毎回確認しながら進んでいかなければ、しなくていいことやしたくないことをやってしまったりする(しかも気が付かぬままそれが慣例的に「仕事」になっていったりする)気がする。

 

等身大の人の手で作られた温かい「劇場」

(同じ調子の「学校」も作ろうとしています…いやこれがもう学校なのかもしれない)

 

自分たちの手や頭…体、存在を起点に生きる(実存主義的な)、外部からあてがわれた型に自らはまってしまって思考停止している部分をほぐし、自分たちの体に取り戻すということが「創る」ということなのではないかと思う。

 

木村さんがおっしゃっていてとても嬉しかったのは

「今回流す曲は、自分が今ここで聴きたい曲を選んだ」というおことば。

(しかもそれはサティの「あなたがほしい」!ずぶもサティ好きなのです!)

どういうふうに見られるかではなく、自分の気持ちを大事にする。

 

私が学校だと言えば学校だし

私が劇場だと言えば劇場だし

 

他人にとやかく言われることではない、自分で決める、認めるということが正解。

それが私の目指すべき方向性です。

 

ずぶとじぶにとってはこの家全体が作品であり、「劇場型パフォーマンス」(つまりは「劇場ごっこ」)だったといってもいいのかもしれません。なんにでもなれる、ぬえ的な家。

 

反省点もありますが自分たちで考えて丁寧に生きるということ

「NAKAYOKU TANOSHII OMOIYARI」

(サンリオのテーマであり、ずぶとじぶのモットーであります!)

がひとまず実践できたようで満足しています。

 

イベントを組み立ててしゃきしゃき進行してくれたじぶディレクターにも大感謝です。

こうるさいずぶとじぶですが、次は11月に新長田で会いましょう!