もやもやずぶちゃん

旧ずぶ邸あるじのイントンコントン日記

旧ずぶ邸あるじの

ゆめうつつ、半信半疑の

いんとんこんとんらいふ

なんクルクルないさぁ~♪

泥沼でもがく

生きるってことは悪事に加担することなのだった。


4月に上空を通ったロシアの広大な敷地には
ゴミが大量に捨ててあって
そのままになっていたらしい
プーチン氏の一声でこれから変わるらしい
(朝日新聞GLOBE No.205より)

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ほぼ滋賀ほぼ静岡ほぼロシア(ずぶ俳句)



広かったらそうなるのかぁとか
他人事みたいに思ってたら

日本のペットボトルごみが
中国に送られていたらしい

え、リサイクルしていただいてるのだと思ってた…
(消費が多すぎておっつかないらしい)

中国の農村のひとが分別して洗って
資源に変えていたらしい

そのとき大量の洗剤が川に流れ
土壌からは水銀も出てきたらしい

中国が政策を転換して受け入れをやめるので
次は東南アジアに送るらしい…
(先ほどたまたま見たクローズアップ現代より)


何だろうそれは。
それが私がやってきた(いく)ことでもあるとは…
死にたくなる…



今日も古典を教えていて
自分はジャパネット高田社長か?と思った。

これとこれセットでお得!
みたいなことも言ってた。
(それも予備校の先生に習ったことだった)

それが先生の仕事なの?

受験のためにもてる知識の安売りをして
好きな文章をおとしめて辱しめて

生徒は別にそれを望んでるとも限らないのに
私が何かしないとって勝手に焦ってるだけで
それで受験に古文が「いる」とか「いらん」とか
そういう俗っぽい会話をしてしまって
後で嫌気がさす。

入試がなかったとして
私が本当に話したいことって何だろうか。


功利的な社会になってきている
というか、私がそうしているのだった。


テストがあるかぎり
社長口調でしか聞いてもらえないと思うから
即効性のあるメリット的なものをちらつかせて
釣るしか起こしておく自信がない。

そんなのでたとえ釣れても
長期的に見れば害しかないのに。

中国がだめなら東南アジアで的な方法でしか
目の前の問題に立ち向かえないのだった。
(それは…その場しのぎという。その場をしのぐことが生きるということ、悲しい現実)

もっと根本的な意欲を引き出すには?
「勉強」「学校」という概念は置いておいて
単におもしろいと思ってもらうには?

(そこが難しい。まず「勉強」「学校」に対する嫌悪感がものすごい)

「あこがれ」や「好き」という気持ちをエデュケートしたいのだが。

受け売り以外の言葉ってなかなかないんだ。

自分の言葉ってなかなかないんだ。



最近は「翻訳」に注目している。

言葉を言葉で教える方法。

そういえば昔から好きだったけど
書き下し文は翻訳だ。

外国語を日本語にだけじゃなく
すべての物事を現象を
自分で翻訳して生きてることがおもしろい。

分かったようで分からない
分からないようで分かる気もする

そのちぐはぐな世界観が
なんやかんやする力わざが
曖昧でこんとんとした境地が

ミステリアスでもっと知りたいと感じさせる。

古典を現代語に
現代語をJK語に
JK語を自分語に

何度も何度も翻訳するってことが
ミルフィーユにつぐミルフィーユが
自分の言葉を話すってことなのかなって思ったり。

やっぱり鳴き声のヴァリエーション*1なんだ。


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