もやもやずぶちゃん

ずぶの学校のやかましみさきです。絵や文、俳句、ぬいぐるみの創作、人形劇、手作り作品のお店をしています。ワークショップ、オーダーメイド受付中。おたよりください。info@zubunogakkou.com

ずぶの学校のやかましみさきです。

絵や文、ぬいぐるみの創作、人形劇、手作り作品のお店、

表現の家(ライブハウス)をしています。

ワークショップ、オーダーメイドも受付中!

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ずぶの学校新聞 no.37

~外でも中でもしっかりと立つ~

 

 

5月、ずぶの学校設立三周年です。ついに木曜日と土曜日の週二日オープンするというところまできました。

 

大学生の頃から私の思い描いていた理想の家のかたちに近づいていて驚きます。床の間や縁側、小さな庭。そういえば、私はずっと「個人商店」へのあこがれがありました。

 

お医者さんや美容師さん、建築士さん、弁護士さん…などなど個人で独立される方も多いのに、なんで先生は個人営業がほとんどないのかな? という疑問。 儲からないから…?

(あるとしたらほぼ塾←受験用の)

 

先生だって一人ずつがもっと独立していたらおもしろい。いろんな先生がまちに、普通にフラットにオープンにいたっていいなと想像していたのです。

 

 

ずぶの学校をはじめてから、卒業生と大学をめぐり考えるフィールドワークをしていますが、今回は東京編。早稲田大学でした。GWで建物はほとんど閉まっていたので、非常にざっくりとした感想ですが…学校をブランド化する方法を学びました。

 

・大きい。じゃーん!という感じ。(無理)

・新しい。きれい。エスカレーターついてる。(無理)

・古い。長い歴史の説得力。(いける!)

・グッズショップとカフェがある(学生が運営か)(やりたい)

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奥がTHE早稲田の建物だそうです。ちょっと遠い…

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レトロな建物もある! 窓が洋風 憧れのアーチ

 

これはすぐに畏怖からの崇拝になりそうだ。だいたい中のひとの考えが建物にあらわれるなぁと思うことが多いですが、学校は小さな個人にとって(生徒にとっても、先生にとっても)「親」であり「屋根」である、衣食住が整って、その傘下にいてはじめて勉強でき、研究できるのだなぁ。

 

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像を建てるのもいいな

 

そういった権威とか立場とか関係のないところで、ひとと対等にともだちになり、学びあうことはできないものか。学校の先生は、学校という傘がないところでは先生ではいられないのか。

 

学校も「ごっこ」のひとつなのだから、多少の演技は必要なのかもしれないが、妙に「先生」(自作自演の)を演じすぎているのではなかろうか。一方的に攻める(授業する)ということは実は簡単で、最大の守り(閉じこもり・シャットアウト)であると感じます。

 

何の考えもなく、ただ演技の一部として、あるいは学校の進路実績を上げるために、誰かの受け売りの情報で有名大学に行くように仕向ける雑な進路指導が蔓延していることが憂鬱です。それを欲しがる親や生徒がいることもしんどい。

 

 ここ数ヵ月(数年来)考えてきたことは「責任をとる」ということです。自分のことばや行動に対して。それで小さくても自分の「屋根」を持ったんだと思います。

 

〇自分のことばで話すこと

 

〇目の前の相手とちゃんと一対一の関係を築くこと。

 

〇たとえ行きずりの関係であっても、また会える場所(希望)を設けておくこと。

 

〇ひととひととの関係が流れていかないように意志を持つこと。

 

責任者になる修行として、ずぶぬれの編集のほかに、この春は「ディレクター」の仕事に挑戦しました。

 

学校を退職される、元同僚現まぶだちのめぐみ先生が明るく前に進めるよう企画した

 

「退職記念お話会」

 

これは先生から「したい!」という要望があって、なおかつ私も「したい!」と思って敢行しました。

 

私が「D」、健脚の元テニス部キャプテンが「AD」、先生が「徹子」という最強にとぼけた布陣で。この三人がこんな配置で再集結しようとは。

 

紆余曲折(なんやかんや)を経て実現した神社(第一部)と公民館(第二部)でのお話会は、一見とても不思議だが、実のところとても当たり前の会だったように思います。それは来るひとが「しっかりと来た」ことによるのかもしれない。

 

murimurichan.hatenablog.com

 

murimurichan.hatenablog.com

 

空間をある文脈にデザインして

あるもの、いるひとみんなを生かす努力。

(授業と同じ)

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床の間に山と犬

 

この一見変なイベント(儀礼)をあえて「する」(屋根を設ける)ことによって、大事なもの(ひと)を先生は自力でつなぎとめたんじゃないかと思います。

 

新旧関係なく好きなひと、(関係に)前のめりなひとと空間を共有すること(共存すること)が、そのひとが本当に前を向いて「生きている」時間だと感じます。それが日常の中で一人の人間として「生活している」「活動している」本来の姿ではないのかな?

 

本当は一番大切にしたいはずの、この時間をできるだけ長くする努力は、自分さえやる気ならいつからでもできる気がします。

 

(「山月記」の)李徴もお話会を開いてみれば良かったね!

(呼ぶひといないんだろうな…いや、臆病な自尊心が邪魔して呼べないのか)

 

ぼーっとしていたら流され、虎化(ゾンビ化・疎外)させられる人生に、派手な杭を打ち込んだめぐみ先生に拍手です。

 

そういう時間が、その先の未来に自分の足でしっかり立つための支えになるのではないでしょうか。私もそのためにずぶの学校活動を続けている気がします。