4月30日、月曜日。
この日は宝塚は清荒神にあるteraco※にて
※teracoは2016年あたりから通っている大人の学校です。ずぶの学校のパイセンであり姉妹校です。
sumikov 寺井靖さんによる
楽器作りのワークショップ
「おとづくり実験室」に参加しました。
sumikovおとづくり実験室
木の板を4枚、スプリングが1本、そしてスティック。とてもとてもシンプルな構成から生まれるもの。 「音」と真摯に向き合いアホみたいに追求し楽しむ。 それをワークショップと言っていいものかと思ってしまうチャレンジングでアホな「実験的音作り木材加工」
teraco部長のまみっちが
寺井さんをお招きしたのは
teracoが大事にしてきたことと通じるからです。
(ずぶも)
SHAREWOODS https://www.facebook.com/woodsshare/
のヤマサキさんが素材提供を行い
sumikov https://www.facebook.com/sumikov8/
の寺井さんと”楽器”をつくる、神戸HASE65で行われたのがこのワークショップでした。参加したわたしが
「楽器をつくる」といえばそうだけど
どうやらいわゆる楽器づくりではないという予感から
楽器をつくりながら話すことが、そのひとの「やりかた」や「つくりかた」の意味に通じている
という直感を得たのはWSがはじまってからすぐでしたつくりかたを寺井さんと
やりとりしながら見つけていく双方向のコミュニケーション
まわりのひとの様子をみること
話してみること
自分のやりかたを客観的にみつめてみること
そして単純に楽しむこと
できた「音」はその先のおまけのようなもの
参加された方はみんなのびのび作っていて
いつも通りのteracoの風景。
(いつもより本格的?)
先生が途中で「あ、ちょっときいてもらってもいいですか」とたじたじするほど
新しい形を勝手に模索し邁進するおのおの(夢中)
他の場所で開催されたときは
細部まで見本通りにしようとしたり
「~してもいいですか?」という質問があったりする
とおっしゃっていたのは、たやすく想像できました。
学校がそうだから。
どうやってするのか答えを教えてほしい (知らないよ)
ひとと違ったらどうしよう (違うよ)
というのが学校にいる(大多数の)生徒の日常だから。
人数が増えると自由なことされると
危なかったり(けがしたり)もするので
とおっしゃっていたのも学校と同じだなぁと思いました。
机の上の授業でけがをすることはないけど
人数が増えると精神的な不安感は増える。
教室にあまりしゃべったことのないひとがいたり
自分を認めてもらえているという実感を得にくい中で
人々はどんどん閉鎖的になって外での自由がなくなる(なくしてる)のだ
(ベッドタウン症候群)
けがをする、傷つく、損をする、間違う、遠回りするというようなことにどんどんおじけづいてやわになってきている現代
(私もやわ中のやわですが)
教える側も学ぶ側も
回避し、逃走し
(てもいいのですが、無理なときは)
それで後から何の意味もなかったとか
やらなかったらよかったというふうに
振り返ってしまうような時間の過ごし方でいいのか?
(それも自分で選んだことやで)
お互い満足し納得できないままだと
結局未来に禍根を残してしまう。
ここぞ!というとき
どうしても!というときは攻めていかねば
いつまでも関係は築けないと感じます。
その瞬間をいつも虎視眈々と探しておく。
自分にひきつける力
自分のものにする力
ハングリーな主体性をもって
人生のイニシアチブをとっていこうぞ。
「こうしたい」といったら
たいていのことは「できるよ」と言ってくれるのも嬉しかった。
(プラッチックに穴開けたり、自分では絶対にできるわけない、と思っていたこと)
「こうしろ」と命令するひとではなく、
何かをしたいというひとの要望を(やすやすと)叶えようとしてくれるひとが「先生」という役割じゃないかと思う。
昔から怖い夢を見るのを恐れていたのですが(よく見るから)
最近は見た夢を記録するようになって
夢のイニシアチブもとれるようになってきました。
(夢の話もいずれ)
先生の鑑定では(やっぱり「占い」「診断」の要素ある! あ!これが学校における「評価」のことか!)
私の「声の響きは映像的」とのこと。
初見では「ペタッとしている」「平面的」という印象を受けました。
(そう思ってるから)
がもっと他の感触があるのかも(ハングリー)
その感じを想像しながらこれから生きていくのが楽しみです。
追伸
私が作った全く実用的でない楽器「ジグザイル」の写真は後日。
(撮り忘れた)
写真:さくらまみ