もやもやずぶちゃん

旧ずぶ邸あるじのイントンコントン日記

旧ずぶ邸あるじの

ゆめうつつ、半信半疑の

いんとんこんとんらいふ

なんクルクルないさぁ~♪

その1点

21日の後半戦レポート。

和綴じ制作を終えて小梅師匠がお帰りになって

 

エンジニアでアイデアマンのAさん(四十代・男性)と

この春高校を卒業した元生徒ゆきちさん(十代・女性)

(ずぶぬれvol.5に寄稿していただきました)と

私ZUBU(三十代・その他)の

前のめりすぎる三人が放課後のずぶ邸に残されました。

 

(おお、いい感じに年齢、性別がばらけている)

 

ひととおり自己紹介を終え談話する。

 

イデアマンのAさんは

イデアをたくさん出すブレインストーミングがお好きで

終業後ほぼ毎日されているとか(前のめりすぎる!)

 

てなわけで

(Z)「…じゃあ……やってみますか?」

(A)「おお! やりますか!」

(Y)「やりましょう!」

となんの前触れも困難もなく、急にはじまるブレスト大会。

 

お題はいちばんお若い方のこれからに関係ある事柄ということで

【研究室の選び方】

になりました。

 

10分間でできるだけたくさんのアイデアを出します(質より量)

 

(A)「各先生をまわって話す」

(Z)「幅広く授業をとる」「ずぶぬれを渡して書いた文章を読んでもらう」

(Y)「だいぶ前のめりですね」

(A)「授業後に質問する」

(Z)「専門の本(入門書)を紹介してもらう」

(A)「それを読んだ感想を読んでもらっては」

……

とわちゃわちゃ続いていきました。

それで仲良くなるというコミュニケーションの方法のようです。

 

今考えれば、お題が全くいけてなかったですね。

おのずからゆきちゃんの発言が封じられて

年上の者たちから年下へのアドバイス攻撃

みたいになってしまいました。

自分の過去の経験を話したりして。はあ…

 

よかれと思ってした行動(支援)が

結局相手を殺すことになるという

あるあるなあやまち。凡ミス。反省。

 

全員が対話に対等に参加できるようなお題がよかったな。

 

全員に関係があって関係がなくておもしろいお題

ぱっとは思い浮かばない。

それを出すためのブレストをせなあかん。

次からは二回戦ものということで。

 

 

そのあとは二階で「みんなの書」コーナーをながめながら

教育について話す(立ちっぱなしで小一時間…)

 

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これ

(A)「数学の答えはひとつだけど、国語の答えはこうなんですね」

(Z)「そうなの」

 

 

(Y)「音楽の授業で、各時代の演奏の映像を見て感想を書いたら点数ついて返って来たんですけど、どういう基準で点数をつけていたのか謎です」

(Z)「そりゃあ絶対にやっちゃいけねえ!」

 

 

(A)「音楽といえば、歌のテストで大きな声で歌ったら満点(50点)をくれるというのでがんばって歌ったら、友達は満点だったけど、僕は49点でした。すごくおんちだったんです。」

(Z)「ええー傷つくじゃねえか!その1点!」

 

 

点数(数字)を、世の人の多くはものすごく絶対視しているようだけど

先生によってその付け方や基準がまちまちだ

(さらにいえばテストもまちまち、特に国語は)ということを考えたら

なんの客観性もないよな。

(実はその肝心なとこに関する内規はない)

 

ていうか

客観性って何。

 

その1点は客観的に見て(みんなの前で歌うから)

(音痴ではない)前の子と(音痴な)後の子が同じ点数ではよろしくないだろうという1点なのか

相対評価

 

それとも

 

音楽を極めた自分的に我慢できないほどの音痴具合だったことによる1点なのか

絶対評価

 

どちらにせよ音楽を専門としてきた先生の固定観念or自負

 

それ要る?

 

その専門家の自負…中学生に?

だから文章とか歌とか絵に点数つけることってできない。

 

(つけるとしたら観点は「技術」じゃなく「迫力」の度合い?  それを「意欲」という)

 

というか「評価」と名のつくものに客観的なものなんかなくない?

 

その先生の評価なんだから。

 

「客観的」なんて、先生の人権がなくない?

その先生が責任を持ってつければそれでよくない?

責任を逃れようとするなってことだ。

(そもそも生徒がその先生に習う気がないところでの教育・評価が犯罪)

 

細かいところ(50か49か)は心の中にしまっておけばよく

数字に出す必要なくない? 

入試じゃあるまいに。

 

この場合は、「その1点」の理由を先生にきいてみてもよかったのかもしれない。

(そしたら嫌われるだろうけど、たぶん)

 

不信感は「大きな声で歌えば満点をくれる」と言ってたのに

実際は違ったところ。

それは不誠実だ。

 

 

先生のちっちゃな自負を

何十年もひきずっちゃうんだぞってことを肝に銘じつつ

 

 

(だって解消する機会ないもん)

 

 

アートや学問など、専門家の自負はもちろんあっていい、

あるんだけれども、それは謎のパワー(権威)を持っているのだった。

(中高の先生なんて専門性ほとんどないくせにいばりがち)

 

 

ひと(しろうと)を傷つけてしまうなら私は要らない。

ひと(しろうと)と断絶してしまうなら私は要らない。

 

 

すぐに誤りそうになる(何度も誤った)その方向性を

今後も間違えないよう気を付けます。

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