もやもやずぶちゃん

ずぶの学校のやかましみさきです。絵や文、俳句、ぬいぐるみの創作、人形劇、手作り作品のお店をしています。ワークショップ、オーダーメイド受付中。おたよりください。info@zubunogakkou.com

ずぶの学校のやかましみさきです。

絵や文、ぬいぐるみの創作、人形劇、手作り作品のお店、

表現の家(ライブハウス)をしています。

ワークショップ、オーダーメイドも受付中!

おたより待ってます。

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性とお金、死について②

ずぶの学校の隣りに住む祖母に

フリーペーパーずぶぬれの年会費3000円を請求する。

(有志の購読会員制です)

 

「あんた、これなんのメリットがあんの?」と言われる。

(ちょいちょいずぶの経営のしかたにもの申す祖母)

 

(メリット…?)

 

でもちゃんと支払ってくれて帰り際に

「(読んで)勉強させてもらいます」

とにっこり言ってくれる。

 

(そうしてくれい)と思う。

 

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おばあちゃんの本の収納法

 

新しい何かが俺の中で目覚める 世界は回る

君とスパーク 愛のスピーク

命は生まれ いずれ消えゆく

だからBaby 一瞬の火花の中でうごめく獣のように

声を殺して奪い合えれば

永遠なんて一秒で決まる

THE YELLOW MONKEY「SPARK」

  

吉井さんの性は「死」と対比しての「性」なので

生きていることの喜びと哀しみを同時に感じます。

 

「表現」とは昇華された求愛だと思う。音楽は特に。

すべてのコミュニケーション(表現の交換)はplayだしsexだと思う。

即興的な生身の、食うか食われるか。奪い合い。

だから好きだと響くし嫌いだと犯罪になる。 

 

そんなことを考えながら作った春の俳句…

鳴き声のヴァリエーションよ ザ恋猫(ずぶ)

 「よ」→「ザ」のもたつきを楽しんでください…

 

 

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なんとなくイエモン風に



さて、そのplay&sexに

どれだけ「合意」し「参加」できるか

どれだけ相互に「主体的」になれるか

「幸福度」を左右する。

 

はたからは両想いに見えても

より「熱意」があり「意志」があり「意識」がある方が常に失恋状態。

 

力を持っている方が食う側、勝つ側になるのだが

双方に相手を傷つけない、相手に喜んでもらうためのたゆまぬ努力

 

「コミュニケーションの精度」

「表現力のヴァリエーション」がいつも問われていると思う。

 

(レイプやちかんなど犯罪は論外。ある程度の関係性がある場合のこと)

 

お互い納得できる勝ち方、負け方をしたい。

ぼろ勝ち、ぼろ負けはしてはいけない。

毎度勝ち出すと相手を軽視しはじめ、負けてばかりだと恨みがましくなる。

試合と同じじゃないか。

 

愛憎ということばがあるように

play&sexを「害」ととらえるか「恵」ととらえるか

紙一重というか、気分・状況次第というか

裏表のような気がします。

 

 

「恵」=メリットは自分で考えて生み出してほしいです。

奪われるからには奪うことへの主体性も持っていいのだ。

 

お金を払う、もらうこと

 

たとえば

消費する、される

雇用する、される

扶養する、されることも

sexと同じぐらい粘着質のコミュニケーションの構造がある。

 

前回①でもお話した赤坂憲雄さんの「性食考」(岩波書店

「自己からの距離、分類とタブー」という項(P114~)があり

エドマンド・リーチという方の論考

※「言語の人類学的側面―動物のカテゴリと侮蔑語について」

が紹介されている。

 

「自己(男性)」からの距離において世界の若い女性は四つに分類され

それは「食(動物・獲物)」の分類と酷似しているそうだ。

 

1、ごく身近な女性たち(実の姉妹)/ごく身近な動物たち(ペット)

→近親相姦のタブー/食用の厳禁

2、あまり近くない親族(従姉妹)/身近でない飼育動物(家畜)

→時にセックスは許されるが結婚の禁止/食用と結びついた去勢

3、親族ではない隣人・友人/山野の動物としての「獲物」

→婚姻の対象(友情と敵対)/狩猟による食用の対象(親しみと敵意)

4、遠い他人/遠くにいる野獣

→性関係はない幻想的な存在/人間の支配の外にいる食べられない存在

 

ここまで厳密ではないにせよ

お金は見えないひとや組織に使うことが多いと感じる。

その方が気楽なのだ。分かる。

幻想的な存在への消費はじゃんじゃんして

(もいいんだけど。たとえば私立大学や有名人など地位や名誉に)

 

問題だと思うのは

目の前のひと、身近なひと(家族や友人)のありがたさに

気が付かないままに無償で搾取し(傷つけ)がちだということ。

(たとえば日々の家事や雑事など)

 

路駐してかわいい服を買うのと同じで

 

身近なひと(自分の存在を支えてくれているインフラ)にお金を割くのは

もったいないと軽んじがちなのだと気付いた。

あるいは生々しいとか他人行儀とか理由をつけて。

それはお金を「不浄」とタブー視しているからではないか?

私はそうでした。

 

 

私は自分が職場で苦しい立場にいた時

行動の表現がともなわないひとは信用できなかった。

(単なるわがままなんだけども)

説得力がなくてかっこ悪いと思ってしまった。

(単なる自意識過剰なんだけども)

 

反対に

ひそかに上層部に訴えてくれたり

ご飯に誘っておごってくれたり

辞める時に手作り作品やお金(お餞別)をくれたり

というのは私の存在へのありがたい配慮だったなぁと感じ

かっこいい! と憧れています。

そんなふうに

 

義によって快く行動できる(与えられる)ひとになりたい

 

と今でも思っていて

そもそもの原動力になっています。

してもらったから、次は誰かに、と。

 難しいけど。

 

自分が何かのplay&sexに参加したいときは

参加費(税金)を払うこと(意志を表明すること)をしたいと思っています。

 

 

一方通行ではなく

 

もらったら返す

返したらもらう

(特定のひとに対してでなくても)

 

相互に主体的であるためには

お互いにそういう意識や話し合いが大切。 

でないと知らず知らずのうちに支配や依存やハラスメントに陥る。

 

何にどのくらいのお金と労力がかかるかは

やってみたことのあるひとにしかわかりにくいことではあるのでしょうが

そこは年をとるごとにレベルアップする想像力を働かせて。

 

「合意」形成に向けて対話を重ねて

相互に主体的に奪い合えるのが幸福な関係だと思うのです。

 

教育する、されることも同じ。

教え授ける、受け賜るという関係性は

もっと来てくれないと一方的な支配になるのだ。

そんなのがしたいのじゃない。

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生徒とつくりました(@旧ずぶの学校)