もやもやずぶちゃん

旧ずぶ邸あるじのイントンコントン日記

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ずぶの学校新聞 no.25

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~待つともなしに待つ~

 

 

新しく入った教室で、私はまずひとりである。たくさんの目に見られる。たくさんの意識と無意識を感じる。前に立って、ぼうっと待つことも難しいので、とりあえずしゃべりだす。次第に、空気が揺れ始める。うまくいけば、ほぐれやわらぎ、しくじると、さらにはりつめとがる。

 

何時間かが過ぎる。全体の場で話せる人は少ないので、たいていは自己紹介の紙や、作文や、ノートなど、ひとりひとりへ短いことばを返した時から、私とそのひととの人間関係が始まる。個人ラインの始まりといえる。

 

ラインのやりとりが軽やかに弾むひと、弾まないけど、深いひと。ないけど、いい作品を作るひと。ないひと。興味がないひと。いろいろいる。

 

そんなこんなしながら、心を私の方に向けてくれるひとを探す。実はそういうひとにはもはや教えることは何もない。卒業おめでとう。何もしなくても、良くも悪くも勝手に学びとるからである。こわいが、ありがたい。そういうひとは、私の陰の協力者となって、教室の雰囲気を作っていく。例えば、作文の課題を出した時。「おもしろそう」と声に出して言ってくれる。ありがたい同志。同志は私の野望に巻き込んで、代表として作っていただく。発表していただく。「えぇーまたぁ」と言うひとも本当はすでに味方。私の方を向いているから。次は君に頼もう。味方がじわじわ増えていく。

 

アウェーの中に入っていき、ひとりひとりを発見し、巻き添えに。するだけして去る。発見し認める(見留める)だけで、向き合わない。なぜなら私は前を向いていきたいし、あなたにも前を向いていてほしいからだ。これが私の教室作りだとしたら、同じことを社会の中でもしていくと思われる。同じ方向を向いているひとがいれば一緒に何かをする。そして別れる。同志は離れていても同志なのだ。みなそれぞれに前を向いて行く。

 

ほそぼそと種まきを続ける。だめでもともと。続けることが大事。味方が増えれば増えるほど、おもしろいことができるだろう。可能性が広がるだろう。

 

ひととひとが面と向き合うと、どうしても違いが見えてしまうし、壁ができたらけんかになるし、関係が淀んで閉鎖的になると危険なので、長々とは見つめ合わなくていいと思う。横顔が見たい。横顔を見せたい。みんなの存在を認めながら、みんなから学びながら、自分の道を進めばそれでいいと思う。

 

「ずぶの学校」を作って二年が経ちました。私はずっと待っています。ずっと鷲田先生の言っていた「待つともなしに待つ」ということをしたいと思っていたのですが、だんだん方法が分かってきたような気がします。それが、私にとって「作る」ということのようです。ストレス発散だった創作が、期待する方法になりました。

 

生徒が口ごもったとき、おもしろいことばをひねりだそうとしたり、黒板に落書きをはじめたりするのはそのためです。アウェーの中で、めげながらも攻めています。誰も気が付いていないかもしれませんが。おもしろそうなことをしています。それが私の道なのです。ひとりでおもしろがりながら、ちゃっかり同志を巻き込みながら、もっとおもしろそうな展開を待っています。

 

 

 あかまつみさき

(風景画家)